「ひらがな弁証法」を読みなおしていて、弁証法の共時的構造と通時的構造がひらがなになっていないことに気づいた。
たしかに、弁証法の共時的構造を「ひらいて、むすんで」とあらわしている。しかし、これは「論理的なもの」に動きに着目したもので、「共時的構造」自体を表現していない。
同じように、弁証法の通時的な構造を「ふたつを、ひとつに」あらわしているが、やはりこれも「論理的なもの」の動きに着目したもので、「通時的構造」自体ではない。
共時的構造を、「ひろがるかたち」と表わそうと思う。また、通時的構造を「つながるかたち」の表わそう。
弁証法の共時的構造は、弁証法を「対話をモデルとした思考方法」と捉える考え方(中埜肇氏が『弁証法』で主張していた見解)に基づいている。一方、弁証法の通時的構造は、弁証法を「認識における対立物の統一」と捉える考え方(上山春平氏が『弁証法の系譜』で主張していた見解)に基づいている。
わたしは「論理的なもの」に、自己表出と指示表出という2つの側面を想定して、これを媒介にして、「対話をモデルとした思考方法」と「認識における対立物の統一」を、それぞれ「弁証法の共時的構造」と「弁証法の通時的構造」に止揚したのである。
まとめておこう。
弁証法の共時的構造は、「二個の主体」「「媒介性と相補性」など中埜肇が対話の特徴としてあげた要素をアルファベットと矢印で表示し、選ばれた2つの「論理的なもの」の自己表出と指示表出(中央にある bi + a と c + di)から、混成モメント(両側の a + di と c + bi) が形成される構造を表現している。
c | ← | bi | + | a | → | di |
+ | ↑ | ↓ | + | |||
bi | ← | c | + | di | → | a |
これを「ひろがるかたち」と表わす。
弁証法の通時的構造は、認識における対立物の統一の過程を表わしたもので、いわゆる正反合の図式に対置している構造である。A =a+bi と A' =c+di を、複素数の掛け算をモデルにして、B=x+yi として複合する過程を表現している。
1(選択) | A =a+bi |
A' =c+di | |
2(混成) | A×A' =(a+bi)×(c+di) |
≒(a+di)×(c+bi) | |
3(統一) | =(ac-bd)+(ab+cd)i |
=x+yi | |
=B |
これを「つながるかたち」と表わす。