1 一所不在?
「農大無謡」は、ぼくが学生時代におぼえた歌のひとつである。それは岐阜大学の凛真寮に伝承されていた。みんなで合唱もしたし、一人で歌ったりもした。「農大」は「岐阜高等農林学校」のことである。「無謡」は、「謡」(うたい)、「無」(な)しと書いたが、意味のよくわからない曲名だと思っていた。それでも、「のうだいぶよう」の歌詞は、味わいがあり、忘れがたいものだった。
そのなかに、「いっしょふざい」という一節があった。
「いーいっしょ、ふーざあいーいの、なーらいゆえー」
6番の冒頭である。
手にしたプリントには、「一生不在」とあったと思う。これを「いっしょふざい」と歌っていた。一「生」不在ではなく、一「所」不在だと思ったが、これが広辞苑(第2版)になく、不思議に思った記憶がある。辞典には、一所不住(いっしょふじゅう)だけが載っていた。
一所不住 「一定の住所を定めぬこと。日葡「イッショフヂュウノソウ(僧)」
いま、「一所不在」をネットで調べると、いくつかヒットする。
●四字熟語
意味は、「決まった場所に定住せず、各地を点々と移動すること。修業僧が各地を旅すること」とし、文学作品における例文として、夏目漱石『吾輩は猫である』を挙げている。「一所不在の沙門雲水行脚の衲僧は必ず樹下石上を宿とすとある。」
●「一所不在」生気あふれる88歳 堀文子展、25日まで。(朝日新聞の文化芸能記事)
しかし、『吾輩は猫である』を確かめると、漱石は「一所不在」ではなく「一所不住」と書いている。
また、堀文子展の方も、本文には、「一所不住」とある。
作風の「一所不住」。図録のあいさつ文では「描く事は物を見極める事でその感性を鈍らせない為に常に心を空っぽにし、知識や経験をためこまないように心掛けて来ました。繰り返す事をさけたのは心の停滞が絵から生気をなくすから」とし「いつも不安でいる状態が私の創造の道標であり、それが私が一定の画風を作れなかった理由」という。
一所不住と一所不在。一所不住は昔からあるが、一所不在は日本語としてどうなのだろうか。
ぼくは学生時代からずっと「一所不在」ということばの存在を疑ったことはなかった。むしろ、「住」は生活と関連しているだけなのに対して、「在」は存在と関連して広く深い意味をもっているのではないかと思っていたのである。しかし、40年たって、疑問が生まれてきた。確かめようと思った。
「広辞苑」の新しい版(第五版、六版)には、なかった。
「大辞林」第三版も、一所不住だけで、一所不在は載っていなかった。
「日本国語大辞典」第二版も、一所不住だけで、一所不在はなかった。
「新明解四字熟語辞典」(三省堂)には、意味、表現、用例とともに、注意として、次のようにあった。
「住」を「在」と書き誤らない。
一所不在は、一所不住の書き誤りとしてのみ、存在しているのである。たしかに、筆記するとき、「住」と「在」はよく似ている。
そうすると、「農大無謡」の「いっしょふざい」は、誤りだったということになる。これは最初からだったのだろうか、それとも途中からなのだろうか。タイトル「農大無謡」も誤っているのではないだろうか。別の名があったのではないかと思った。
「農大無謡」で検索すると、「岐阜大学 凛真寮OBの集い」 が出てくる。このサイトは1960年代の前半に学生時代を送った先輩たちのサイトである。ここに寮歌集があり、「農大無謡」が収められている。
5、農大無謡
一、飛騨の山雪ゃまだ解けぬ 信濃路長く松太し
坊さんどこ行く日が暮れる 鈴鹿の嶺に陽は落ちた
泊めてあげよか縁じゃ故二、諸国遍路の旅なれば 人棲む里や棲まぬ里
人の情けは一ならず 元より悟道は堅けれど
苦しき夜も多からん三、若しも山路で日暮れたら 樵夫の小屋を叩たかんせ
俺等の先輩がそこにいる 何の御馳走もないけれど
しめじ山蕗山女汁四、もしも田圃で日暮れたら 野良の百姓どんに声かけろ
俺等の先輩がそこにいる 何の御馳走もないけれど
煮しめ鱒汁鉄火味噌五、もしも都で日暮れたら 一番大きな家さがせ
俺等の先輩がそこにいる 何の御馳走もないけれど
豆腐般若湯米の飯六、一生不在の慣い故 今宵はここで安らかに
行方定めぬ旅とても 縁ありゃ又来て下しゃんせ
ここは美濃の門岐阜の在
ぼくは1970年代の前半に学生だったが、記憶によれば、この歌詞がこの歌をおぼえたときのベースになっているように思う。
それでも、「松太し」は「松ふる(古)し」と歌ったし、「山路」は「みやま」(深山)、「 鱒汁」は「どじょうじる」と歌っていた。「鱒」は「鰌」の間違いだと思う。 ちなみに、「先輩」は(あにき)と歌った。
「農大無謡」の歌詞を掲げているサイトは、もう一つある。(つづく)