1 ヘーゲル弁証法の神秘的核心
ヘーゲルは「論理的なもの」に次の三つの側面を見ている。(『小論理学』79節~82節)
(1)抽象的側面あるいは悟性的側面
――悟性としての思惟は固定した規定性とこの規定性の他の規定性に対する区別とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものがそれだけで成立すると考えている。
(2)弁証法的側面あるいは否定的理性の側面
――弁証法的モメントは、右に述べたような有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の諸規定への移行である。
(3)思弁的側面あるいは肯定的理性の側面
―― 思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは対立した二つの規定の統一、すなわち、対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する。
ヘーゲルの「論理的なもの」は〈内容を欠いた形式的に論理的なもの〉ではなく〈論理的であると同時に実在的である「概念」〉である(城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫参照)。ヘーゲルの「論理的なもの」は三側面がそのまま三段階になっている。見方を変えると進展の形式がそのまま構造となっている。この進展の形式を松村一人は「対立する一項の内在的否定による進展」と表現した。
ヘーゲルは「論理的なもの」に次の三つの側面を見ている。(『小論理学』79節~82節)
(1)抽象的側面あるいは悟性的側面
――悟性としての思惟は固定した規定性とこの規定性の他の規定性に対する区別とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものがそれだけで成立すると考えている。
(2)弁証法的側面あるいは否定的理性の側面
――弁証法的モメントは、右に述べたような有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の諸規定への移行である。
(3)思弁的側面あるいは肯定的理性の側面
―― 思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは対立した二つの規定の統一、すなわち、対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する。
ヘーゲルの「論理的なもの」は〈内容を欠いた形式的に論理的なもの〉ではなく〈論理的であると同時に実在的である「概念」〉である(城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫参照)。ヘーゲルの「論理的なもの」は三側面がそのまま三段階になっている。見方を変えると進展の形式がそのまま構造となっている。この進展の形式を松村一人は「対立する一項の内在的否定による進展」と表現した。