しかし、存在の弁証法から認識の弁証法を切り離して弁証法を理解する立場からみれば、この「否定」は合理的ではなく神秘的である。
認識の弁証法の基礎にはヘーゲルとは違った「論理的なもの」の規定がある。
認識の弁証法の基礎にはヘーゲルとは違った「論理的なもの」の規定がある。
論理的なものは形式の面から見ると二つの側面をもっている。1 指示表出すなわち悟性の側面、2 自己表出すなわち理性の側面である。この「論理的なもの」も〈内容を欠いた形式的に論理的なもの〉ではない。「内容」に対応するのが指示表出であり、「形式」に対応するのが自己表出である。この「論理的なもの」を基礎にしてヘーゲル弁証法の神秘的核心を把握したいと思う。