否定は自己関係的に解釈されるようになる。例えば、AはBであると規定されると、AはBでないものとして捉えられるようになる。そしてこの否定態にはCやDへの移行が想定されはじめる。「規定は否定である」は「新たな規定を生み出すための自己否定」の意味を持ち始める。規定的否定によって認識の進展が生じるのである。規定的否定の構想の核心である。ヘーゲルは「否定」に対して「肯定」以上の積極的で建設的な役割を担わせたのである。
「規定は否定である」の意味は、スピノザでは他を否定する否定態であった。しかし、ヘーゲルでは自己を否定する否定態となり、しかも他への移行が可能になったのである。この「自己」と「他」にアンチノミーの二項が対応する。規定的否定は二項を関連づけるために要請された。しかし、「否定」は一項から開始されるために、共時的な否定ではなく通時的な否定という限定された形式で把握された。
スピノザの規定論の指示表出はカントのアンチノミーの自己表出と結合することによって、対立の二項に機能する場所を見つけ「規定的否定」となった。このときスピノザの規定論は、カントのアンチノミーの自己表出と関連することによって認識化していったのである。
「規定は否定である」の意味は、スピノザでは他を否定する否定態であった。しかし、ヘーゲルでは自己を否定する否定態となり、しかも他への移行が可能になったのである。この「自己」と「他」にアンチノミーの二項が対応する。規定的否定は二項を関連づけるために要請された。しかし、「否定」は一項から開始されるために、共時的な否定ではなく通時的な否定という限定された形式で把握された。
スピノザの規定論の指示表出はカントのアンチノミーの自己表出と結合することによって、対立の二項に機能する場所を見つけ「規定的否定」となった。このときスピノザの規定論は、カントのアンチノミーの自己表出と関連することによって認識化していったのである。