ハミルトンは1843年10月16日、2種類の公式を書いている。
朝、手帳と橋の欄干に書いたもの。
i2=j2=k2=ijk=-1
夜、ノートに書いたもの。
i2=j2=k2=-1
ij=k,jk=i,ki=j
ji=-k,kj=-i,ik=-j
この2つの式は4元数の公式として同じものである。しかし、朝の1行の式は「ことの重大性が一瞬に感じとれたこと」、「電気の回路は閉じ、閃光がひらめいた」(An electric circuit seemed to close, and a spark flashed forth.)と形容されているものである。この2つの公式の違いは何なのだろうか。比喩的にいえば、朝の式は迷いのなかでみた光であり、夜の式は悟りのなかで輝く光といえばよいのではないだろうか。
ノートには研究の経緯が述べられている。そのなかで注目すべきは、3元数の積について、特殊な場合と一般的な場合では違いがあったことである。
特殊な場合、
(x+iy+jz) 2
(a+iy+jz)(x+iy+jz)
では、これらはij=0やij=-ji(iとjだけで閉じている)の仮定だけでも3元数は成立していた。
これに対して、一般的な3元数の積
(a+ib+jc)(x+iy+jz)
を考えた場合は、3元では収まらず、「積ijが新しい虚数、ji=-kとしたときのkになるのではないか」という考えがあったことである。4元数が隠顕していたのである。
朝の式の核になっているのはijk=-1である。この式がどのように現れたのかは「謎」(ハミルトンにとっても)である。しかし、この式の中でij=0が成立しないことは明確である。ハミルトンにとってij=0(やij=-ji)は空間のベクトルを3元(1,i,j)で完結させたいという要請・願望・先入観の表現である。
ijk=-1の出現によって、この道が消えたのである。いいかえれば3元数の積は3元では表現できず、第4の元を導入せざるを得ないことが明確になったのである。ijk=-1はij=0を排除して4元数と直面させた。「迷いのなかでみた光」というゆえんである。
しかし、迷いはすぐになくなったわけではない。ノートを読むと、ijk=-1を自覚した後でも、ij=0の可能性に対する未練は残っていたことがわかる。ハミルトンは次のように述べている。
(引用はじめ)
未だに(そしてたぶん前にも)ij=0になることは可能ではないか、と考えていた:そして(朝の思考過程を夜になって思い出そうと試みて)私は信ずるに、この等式ij=0が真であることが分かるのが、奇妙かもしれないが、もっともらしいとさえ考えた
(引用おわり)
感動的な告白ではないか。3元だけで完結させたいという気持ちはそれほど強かったのである。しかし、この後、ハミルトンは気を取り直して、3行のほうの公式を「仮定もしくは定義」として書き下ろしている。
そして、一般的な4元数の積において「乗積の絶対値が絶対値の乗積に等しい」ことを確認し、4元数に拡張したオイラーの公式を導いている。そこでノートは終わっている。
参考文献
『ハミルトンと四元数』(堀源一郎著、海鳴社、2007)1章、2章(ノート)
『四元数の発見』(矢野忠著、海鳴社、2014)2章、3章(ノートの解読)
朝、手帳と橋の欄干に書いたもの。
i2=j2=k2=ijk=-1
夜、ノートに書いたもの。
i2=j2=k2=-1
ij=k,jk=i,ki=j
ji=-k,kj=-i,ik=-j
この2つの式は4元数の公式として同じものである。しかし、朝の1行の式は「ことの重大性が一瞬に感じとれたこと」、「電気の回路は閉じ、閃光がひらめいた」(An electric circuit seemed to close, and a spark flashed forth.)と形容されているものである。この2つの公式の違いは何なのだろうか。比喩的にいえば、朝の式は迷いのなかでみた光であり、夜の式は悟りのなかで輝く光といえばよいのではないだろうか。
ノートには研究の経緯が述べられている。そのなかで注目すべきは、3元数の積について、特殊な場合と一般的な場合では違いがあったことである。
特殊な場合、
(x+iy+jz) 2
(a+iy+jz)(x+iy+jz)
では、これらはij=0やij=-ji(iとjだけで閉じている)の仮定だけでも3元数は成立していた。
これに対して、一般的な3元数の積
(a+ib+jc)(x+iy+jz)
を考えた場合は、3元では収まらず、「積ijが新しい虚数、ji=-kとしたときのkになるのではないか」という考えがあったことである。4元数が隠顕していたのである。
朝の式の核になっているのはijk=-1である。この式がどのように現れたのかは「謎」(ハミルトンにとっても)である。しかし、この式の中でij=0が成立しないことは明確である。ハミルトンにとってij=0(やij=-ji)は空間のベクトルを3元(1,i,j)で完結させたいという要請・願望・先入観の表現である。
ijk=-1の出現によって、この道が消えたのである。いいかえれば3元数の積は3元では表現できず、第4の元を導入せざるを得ないことが明確になったのである。ijk=-1はij=0を排除して4元数と直面させた。「迷いのなかでみた光」というゆえんである。
しかし、迷いはすぐになくなったわけではない。ノートを読むと、ijk=-1を自覚した後でも、ij=0の可能性に対する未練は残っていたことがわかる。ハミルトンは次のように述べている。
(引用はじめ)
未だに(そしてたぶん前にも)ij=0になることは可能ではないか、と考えていた:そして(朝の思考過程を夜になって思い出そうと試みて)私は信ずるに、この等式ij=0が真であることが分かるのが、奇妙かもしれないが、もっともらしいとさえ考えた
(引用おわり)
感動的な告白ではないか。3元だけで完結させたいという気持ちはそれほど強かったのである。しかし、この後、ハミルトンは気を取り直して、3行のほうの公式を「仮定もしくは定義」として書き下ろしている。
そして、一般的な4元数の積において「乗積の絶対値が絶対値の乗積に等しい」ことを確認し、4元数に拡張したオイラーの公式を導いている。そこでノートは終わっている。
参考文献
『ハミルトンと四元数』(堀源一郎著、海鳴社、2007)1章、2章(ノート)
『四元数の発見』(矢野忠著、海鳴社、2014)2章、3章(ノートの解読)