瀬山士郎『なっとくする数学の証明』(講談社、2013年)に数学的帰納法の説明がある。
(引用はじめ)
帰納法をinductionといいます。数学的帰納法もmathematical inductionといいます。indutionを英和辞典で調べると、誘導とか誘発、提示、提出という意味が出てきます。普通の帰納法は証拠の提示という意味なのでしょう。数学的帰納法は誘導というと分かりやすいと思います。つまり、初めから順にドミノ倒しと同じ感覚で、次々と無限個の命題が証明されていくわけです。
(引用おわり)
最初、これを読んだとき、間違っていると思った。というのは「誘導」はinduction全体と対応しているのではなく、ductionとだけ対応しているからである。inが無視されているように思えたからである。演繹はdeductionで、こちらも誘導の意味を含んでいる。だから、「誘導」はあいまいで、正確に帰納法や数学的帰納法を捉えるにはinduction全体を取り込まなければならないと思えたのである。
しかし、さらに考えていると、「数学的帰納法は誘導」というのは案外いいのではないかと思えてきた。というのは、数学的帰納法は、「帰納論理とは違って、純粋に自然数の構造に依存した演繹論理の一種」であり、deductionの意味も持っているからである。つまり、数学的帰納法にinductionとdeductionとの二重の意味を重ねれば、「誘導」はうまい具合にinとdeの意味が捨象されたように読みとれるからである。
しかし、さらに考えてみると、やはり違っているのではないかと思う。正確に帰納法や数学的帰納法を捉えるにはやはりinduction全体を取り込まなければならないと思う。
(引用はじめ)
帰納法をinductionといいます。数学的帰納法もmathematical inductionといいます。indutionを英和辞典で調べると、誘導とか誘発、提示、提出という意味が出てきます。普通の帰納法は証拠の提示という意味なのでしょう。数学的帰納法は誘導というと分かりやすいと思います。つまり、初めから順にドミノ倒しと同じ感覚で、次々と無限個の命題が証明されていくわけです。
(引用おわり)
最初、これを読んだとき、間違っていると思った。というのは「誘導」はinduction全体と対応しているのではなく、ductionとだけ対応しているからである。inが無視されているように思えたからである。演繹はdeductionで、こちらも誘導の意味を含んでいる。だから、「誘導」はあいまいで、正確に帰納法や数学的帰納法を捉えるにはinduction全体を取り込まなければならないと思えたのである。
しかし、さらに考えていると、「数学的帰納法は誘導」というのは案外いいのではないかと思えてきた。というのは、数学的帰納法は、「帰納論理とは違って、純粋に自然数の構造に依存した演繹論理の一種」であり、deductionの意味も持っているからである。つまり、数学的帰納法にinductionとdeductionとの二重の意味を重ねれば、「誘導」はうまい具合にinとdeの意味が捨象されたように読みとれるからである。
しかし、さらに考えてみると、やはり違っているのではないかと思う。正確に帰納法や数学的帰納法を捉えるにはやはりinduction全体を取り込まなければならないと思う。