対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

蜜柑の木の理性

2019-05-21 | 庭の草木
何年か前に柿の木がアメリカシロヒトリにやられて葉がすべてなくなってしまった。果実が生長の過程にあり、どうなるか興味をもって見守った。そのうち、葉が再び茂って果実は大きくなった。葉がなくなったこと、果実が生長の過程であること、光合成が必要であることを木は知って、それに対処したように思えた。植物の理性を感じた。植物の判断と推論は、葉や枝や根などの組織が持つ情報伝達物質(なんらかのホルモン)を、維管束を通してやり取りすることによって行われていることが実感された。

蜜柑の表裏のくり返しも蜜柑の木の理性の現れといえるだろう。単純な図式だが、2つの契機によって蜜柑の収穫量が左右されている。2つとは、収穫後に木に保存されている糖の量と果実の中で作られるジベレリンという植物ホルモンとである。
光合成によって作られる糖は、木の各組織(根、枝、葉、果実)の生長の素材になる。表年(豊作)のときは、果実に糖が多く使われてしまう。そのため、翌年の花芽の素材となる糖が不足して、花芽が出来づらくなる。
また、果実で作られたジベレリンには花芽の生長を阻害する作用がある。表年(豊作)のときは当然ジベレリンも多く作られる。ジベレリンが果実の近くの花芽に維管束を通して流れて、翌年の花芽の生長を阻害する。
花芽が少ないところに、さらに生長を阻害されるのである。そのために、翌年は裏年(不作)になる。

果実の量によって、翌年の収穫量は左右される。北側の蜜柑はここ数年表裏を繰り返している。これに対して、南側はほぼ一定の収穫である。北側は2年で調整しているが、南側は体力に見合った果実の量を記憶していて、1年のうちに調整している(生理落果)。南の方が賢いのではないかと思われる。北側も表年(豊作)に摘果して果実の量を調整すれば、凸凹がならされ、翌年も一定の収穫が見込まれる気がする。ほっておくけれど。

ふりかえってみると、北側の蜜柑も以前はほぼ一定の収穫だった。表裏が目立つのはここ数年である。思い出してみると、何年か前に、虫が発生して、葉が落ちて収穫が少ない年があった。次の年に花ボケを観察したのではなかっただろうか。北側の蜜柑はこのときの後遺症を引きずっているのではないかと思われる。