山本義隆は『新天文学』(ケプラー著、岸本良彦訳、工作舎、 2013)を利用していない。『世界の見方の転換3』の執筆中はまだ翻訳されて行なかったからである。もっぱら英訳でやっていた。「この訳がもっと早く出ていればずいぶん助かっただろう」と「あとがき」で述べている。助かっただけではなく、誤りも避けられたのではないかと思う。
わたしは最初に『世界の見方の転換3』(山本義隆、みすず書房、2014)を読んだ。カテゴリー「楕円幻想」の記事で疑問を投げかけている箇所(「14 楕円軌道への道」の末尾)は、最初よくわからなかった。何度か読み直しても分からなかった。それで、たまたま『新天文学』があるのを知って、手に取ったのである。通読はできず、関心のある章を拾い読みした。第56章を読みこんでいくとき、ケプラーの「目覚め」はわたしなりに理解できた。しかし、それと山本義隆の展開は違っているのではないかと思われた。『新天文学』のケプラーの目覚めと山本義隆が展開するケプラーの目覚めは別物に思われたのである。
山本義隆は図12.11「ケプラーの第1法則(楕円軌道)の発見」を提示している。
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不可解なのは、この図は『新天文学』に提示してある図から、わざわざEAとKAを消去してあることだ。この図のなかにケプラーの目覚めを見ているのだが、歪曲された目覚めにしかならないのではないか。第56章の展開とは違うのである。
第56章の関連する箇所を読んでみよう。
(引用はじめ)
恐る恐るこういう考えに転じて、改めて考えてみると第45章では意味のあることは何ひとつ述べていなかったから、火星に対する私の勝利はむなしいものだったと思ううちに、全く偶然に最大の視覚的均差を測り取った5°18´という角度の正割に思い至った。この値が100429であることを見たとき、まるで新たな光のもと、眠りから目覚めたかのように、以下の推論をしはじめた。
平均的な長さを取る所で均差の視覚的部分が最大になる。平均的な長さを取る所で三日月形つまり距離の短縮分が最大になり、ちょうど最大の視覚的均差の正割100429 が半径100000 を上回る分になる。したがって、平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる。
さらに第40章の図において、HAの代わりにHRを用い、VAの代わりにVR、EAの代わりにEBを取り、あらゆる個所でそのようにすると、離心円上の他の位置でも、この場合に平均的な長さを取る所で起こったのと同じことが起こるだろう、という一般的な結論を下した。
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(引用おわり)
山本義隆は「平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる」ことを把握していない。また、最初の「目覚め」と「一般的な結論」を整合して把握することにも山本義隆は失敗している。いいかえれば「直径距離」が統一して捉えられていない。これらはEAとKAが結ばれている図でなければ不可能なのである。
どうしてEAとKAをわざわざ消したのだろう。不可解といわざるを得ない。本文は英訳でも同じだろう。訳注が違うのだろうか。
『新天文学』(ケプラー著、岸本良彦訳)第56章を山本義隆はどのように読んでいるのだろうか。和訳を読むかぎり、EAとKAを消す必要はないと思えるのだが。
わたしは最初に『世界の見方の転換3』(山本義隆、みすず書房、2014)を読んだ。カテゴリー「楕円幻想」の記事で疑問を投げかけている箇所(「14 楕円軌道への道」の末尾)は、最初よくわからなかった。何度か読み直しても分からなかった。それで、たまたま『新天文学』があるのを知って、手に取ったのである。通読はできず、関心のある章を拾い読みした。第56章を読みこんでいくとき、ケプラーの「目覚め」はわたしなりに理解できた。しかし、それと山本義隆の展開は違っているのではないかと思われた。『新天文学』のケプラーの目覚めと山本義隆が展開するケプラーの目覚めは別物に思われたのである。
山本義隆は図12.11「ケプラーの第1法則(楕円軌道)の発見」を提示している。
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不可解なのは、この図は『新天文学』に提示してある図から、わざわざEAとKAを消去してあることだ。この図のなかにケプラーの目覚めを見ているのだが、歪曲された目覚めにしかならないのではないか。第56章の展開とは違うのである。
第56章の関連する箇所を読んでみよう。
(引用はじめ)
恐る恐るこういう考えに転じて、改めて考えてみると第45章では意味のあることは何ひとつ述べていなかったから、火星に対する私の勝利はむなしいものだったと思ううちに、全く偶然に最大の視覚的均差を測り取った5°18´という角度の正割に思い至った。この値が100429であることを見たとき、まるで新たな光のもと、眠りから目覚めたかのように、以下の推論をしはじめた。
平均的な長さを取る所で均差の視覚的部分が最大になる。平均的な長さを取る所で三日月形つまり距離の短縮分が最大になり、ちょうど最大の視覚的均差の正割100429 が半径100000 を上回る分になる。したがって、平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる。
さらに第40章の図において、HAの代わりにHRを用い、VAの代わりにVR、EAの代わりにEBを取り、あらゆる個所でそのようにすると、離心円上の他の位置でも、この場合に平均的な長さを取る所で起こったのと同じことが起こるだろう、という一般的な結論を下した。
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(引用おわり)
山本義隆は「平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる」ことを把握していない。また、最初の「目覚め」と「一般的な結論」を整合して把握することにも山本義隆は失敗している。いいかえれば「直径距離」が統一して捉えられていない。これらはEAとKAが結ばれている図でなければ不可能なのである。
どうしてEAとKAをわざわざ消したのだろう。不可解といわざるを得ない。本文は英訳でも同じだろう。訳注が違うのだろうか。
『新天文学』(ケプラー著、岸本良彦訳)第56章を山本義隆はどのように読んでいるのだろうか。和訳を読むかぎり、EAとKAを消す必要はないと思えるのだが。