『世界の見方の転換1」で山本義隆はプトレマイオスとケプラーの軌道を比較している。
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この図でいえば、KA(離心円上)とMA(楕円上)の距離を求めてから、それぞれ角度の関係を導き、プトレマイオスの理論とケプラーの理論が方向でも距離でもほとんど一致することを確認している(『世界の見方の転換1』の本文や付記A‐3)。プトレマイオスの時代の観測精度は角度で10分だったから、プトレマイオスの離心円と等化点のモデルは観測結果とよく一致していた。ところが、ティコ・ブラエが現れ、円軌道からのずれが検出される。山本義隆は、8分の誤差の数学的な背景を解明している。
しかし、ケプラーが三日月形を切り取る方法を思いつき、離心円から楕円へ歩み始めるときには、2つの理論を比較していない。
比較してみよう。
「一般化」での離心円の距離KAと楕円の距離MAは次のようだった。(エイトンと山本義隆を読み比べる7、参照)
KA=1+ecosβ+e2/2・sin2β
MA=1+ecosβ
この関係をβ=90°(cos90°=0、sin90°=1)でみると、次のようになる。
EA=1+e2/2
FA=1
ここで離心率e=0.09265を代入すると、EA=1.00429である。半径を100000とすれば、EAは100429である。切り取るべき最大の幅429はe2/2である。これは「平均的な長さを取る所で三日月形つまり距離の短縮分が最大になり、ちょうど最大の視覚的均差の正割100429 が半径100000 を上回る分になる」ときの数値と対応する。ケプラーは「正割EA(100429)の代りに半径EB(100000)を用いると観測結果FA(100000)のとおりとなる」と推論する。
離心円上の火星と太陽の一般的な距離KA(=1+ecosβ+e2/2・sin2β)のβ=90°の特殊な距離EA(=1+e2/2)が100429の数学的な背景である。そして、最大の視覚的均差5°18′は辺EBと辺EAの∠BEAであることも分かる。EA/EBの比が正割1.00429なのである。
上の図は『新天文学』第59章「楕円軌道を証明する」章にある図と同じ構造(記号は違う)である。山本義隆の楕円軌道発見の図では、KAとEAが結ばれていない。
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これではプトレマイオスとケプラーを比較することはできない。実際、これは離心円(プトレマイオス)と楕円、あるいは円周距離と直径距離の関係をケプラーの「目覚め」から排除する結果をもたらしている。「円軌道を放棄すると同時に、その円形性からの外れ」ではなく、「円形性からの外れ」だけに着目する構造になっている。
どうしてこのような構造を「発見」の図としたのだろうか。それは最大の視覚的均差5°18′を∠BFAに想定したことにあるといっていいだろう。いいかえれば『新天文学』第56章(独訳、英訳)の読解を間違えたのである。ケプラーの「目覚め」を△BFAに見てしまったために、EとAを結ぶ必要がないと考えたのだろう。
FA=FBsec(5°18′)=(1-0.00429) (1+0.00429)a≒a=EB
これが山本義隆の楕円軌道発見図と説明の核心である。
わたしは山本義隆の発見図と説明が最初よくわからなかった。しかし、「目覚め」の個所は最も興味がある箇所だったので、何とか理解しようと思った。『新天文学』第56章(岸本良彦訳)を読んでみると、山本義隆の「目覚め」の分析に疑問を持つようになった。『世界の見方の転換』の全体は圧倒的で他の個所では疑問など持たなかったが、ここだけは違った。そして、『新天文学』第56章の解釈として、間違っているのではないかと思えてきたのである。それはわたしの読解力が優れていたからではなく、岸本良彦の訳と訳注が優れていて読みとりやすかったからである。訳注の視覚的均差の解説を読めば本文を誤解することはなかった。山本義隆の説明には「視覚的均差」は出ておらず、∠BFAが5°18′であると断定されているだけである。ようするに、ここには『新天文学』(岸本良彦訳)を利用できなかった「弱み」が集中しているといえよう。
もちろん翻訳(独訳と英訳)は原典(ラテン語)の忠実な訳だろう。エイトンは5°18′の場所を正しく読みとっている。英文でも、岸本良彦訳の日本語と同じ内容が書かれているのだから、本文を長く引用すれば、「正割の代わりに」が出てきて、発見図を再考できたかもしれないと思う。しかし、山本義隆はケプラーの「目覚め」の場面の「引用」をしなかった。その代わりに、「そのとき∠BFAが5度18分で、そのセカント(余弦の逆数つまり1/cos5°18′)が1.00429であることからひらめいた」と我田にケプラーを引いている。
『新天文学』第56章の「目覚め」のときに、プトレマイオスとケプラーを比較する問題意識があれば、また、岸本良彦訳の『新天文学』があれば、楕円軌道発見の図と説明の誤りは避けられたかもしれないと思う。
エイトンの「3段階」の「直径距離の法則」に対して、山本義隆は「2段階」の「直径距離の法則」で止まってしまった。ケプラーの「目覚め」の分析において『世界の見方の転換』は点睛を欠いているのである。
(了)
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この図でいえば、KA(離心円上)とMA(楕円上)の距離を求めてから、それぞれ角度の関係を導き、プトレマイオスの理論とケプラーの理論が方向でも距離でもほとんど一致することを確認している(『世界の見方の転換1』の本文や付記A‐3)。プトレマイオスの時代の観測精度は角度で10分だったから、プトレマイオスの離心円と等化点のモデルは観測結果とよく一致していた。ところが、ティコ・ブラエが現れ、円軌道からのずれが検出される。山本義隆は、8分の誤差の数学的な背景を解明している。
しかし、ケプラーが三日月形を切り取る方法を思いつき、離心円から楕円へ歩み始めるときには、2つの理論を比較していない。
比較してみよう。
「一般化」での離心円の距離KAと楕円の距離MAは次のようだった。(エイトンと山本義隆を読み比べる7、参照)
KA=1+ecosβ+e2/2・sin2β
MA=1+ecosβ
この関係をβ=90°(cos90°=0、sin90°=1)でみると、次のようになる。
EA=1+e2/2
FA=1
ここで離心率e=0.09265を代入すると、EA=1.00429である。半径を100000とすれば、EAは100429である。切り取るべき最大の幅429はe2/2である。これは「平均的な長さを取る所で三日月形つまり距離の短縮分が最大になり、ちょうど最大の視覚的均差の正割100429 が半径100000 を上回る分になる」ときの数値と対応する。ケプラーは「正割EA(100429)の代りに半径EB(100000)を用いると観測結果FA(100000)のとおりとなる」と推論する。
離心円上の火星と太陽の一般的な距離KA(=1+ecosβ+e2/2・sin2β)のβ=90°の特殊な距離EA(=1+e2/2)が100429の数学的な背景である。そして、最大の視覚的均差5°18′は辺EBと辺EAの∠BEAであることも分かる。EA/EBの比が正割1.00429なのである。
上の図は『新天文学』第59章「楕円軌道を証明する」章にある図と同じ構造(記号は違う)である。山本義隆の楕円軌道発見の図では、KAとEAが結ばれていない。
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これではプトレマイオスとケプラーを比較することはできない。実際、これは離心円(プトレマイオス)と楕円、あるいは円周距離と直径距離の関係をケプラーの「目覚め」から排除する結果をもたらしている。「円軌道を放棄すると同時に、その円形性からの外れ」ではなく、「円形性からの外れ」だけに着目する構造になっている。
どうしてこのような構造を「発見」の図としたのだろうか。それは最大の視覚的均差5°18′を∠BFAに想定したことにあるといっていいだろう。いいかえれば『新天文学』第56章(独訳、英訳)の読解を間違えたのである。ケプラーの「目覚め」を△BFAに見てしまったために、EとAを結ぶ必要がないと考えたのだろう。
FA=FBsec(5°18′)=(1-0.00429) (1+0.00429)a≒a=EB
これが山本義隆の楕円軌道発見図と説明の核心である。
わたしは山本義隆の発見図と説明が最初よくわからなかった。しかし、「目覚め」の個所は最も興味がある箇所だったので、何とか理解しようと思った。『新天文学』第56章(岸本良彦訳)を読んでみると、山本義隆の「目覚め」の分析に疑問を持つようになった。『世界の見方の転換』の全体は圧倒的で他の個所では疑問など持たなかったが、ここだけは違った。そして、『新天文学』第56章の解釈として、間違っているのではないかと思えてきたのである。それはわたしの読解力が優れていたからではなく、岸本良彦の訳と訳注が優れていて読みとりやすかったからである。訳注の視覚的均差の解説を読めば本文を誤解することはなかった。山本義隆の説明には「視覚的均差」は出ておらず、∠BFAが5°18′であると断定されているだけである。ようするに、ここには『新天文学』(岸本良彦訳)を利用できなかった「弱み」が集中しているといえよう。
もちろん翻訳(独訳と英訳)は原典(ラテン語)の忠実な訳だろう。エイトンは5°18′の場所を正しく読みとっている。英文でも、岸本良彦訳の日本語と同じ内容が書かれているのだから、本文を長く引用すれば、「正割の代わりに」が出てきて、発見図を再考できたかもしれないと思う。しかし、山本義隆はケプラーの「目覚め」の場面の「引用」をしなかった。その代わりに、「そのとき∠BFAが5度18分で、そのセカント(余弦の逆数つまり1/cos5°18′)が1.00429であることからひらめいた」と我田にケプラーを引いている。
『新天文学』第56章の「目覚め」のときに、プトレマイオスとケプラーを比較する問題意識があれば、また、岸本良彦訳の『新天文学』があれば、楕円軌道発見の図と説明の誤りは避けられたかもしれないと思う。
エイトンの「3段階」の「直径距離の法則」に対して、山本義隆は「2段階」の「直径距離の法則」で止まってしまった。ケプラーの「目覚め」の分析において『世界の見方の転換』は点睛を欠いているのである。
(了)