高内壮介『暴力のロゴス』で提起されていた対応論、市川亀久彌『創造性の科学』で提起されていた等価変換理論。この2つの理論の止揚をめざして複素過程論をつくろうとしていた。30年ほど前のことだ。
『もうひとつのパスカルの原理』の第5章で取り上げている。ブログを始めてから4章まではたびたび読み直すことはあったが、5章以降はネガティブな感情が先だって、読み直す気になれなかった。
昨年、ひさしぶりに5章をパラパラ読んでみた。がんばっていたじゃないか、と思った。例えば、こんなところ。
(引用はじめ)
市川が強調しているように、創造過程の核心はΣaの廃棄からcεをへてΣbを導入していく過程にあるだろう。すなわち、「さなぎ」の段階である。これは対応論でいえば延長性(依存)と断絶性(否定)が交錯する段階といえる。対応論と等価変換理論は、延長性をcε、断絶性をΣaの廃棄・Σbの導入と対応させれば同じものといえるだろう。二つの理論とも歴史の論理にもとづいている。
また、「さなぎ」の段階は実体の本質と偶有性が問題になる段階とも考えることができる。本質をcε、偶有性をΣa・Σbと対応させれば、修正した武谷三段階論のエッセンスは等価変換理論のなかに認めることができるといえる。したがって、私は同定理論を等価変換理論の認識論と考えてきたから、同定理論と武谷三段階論を統一する場は等価変換理論のなかにあるということになるだろう。
形成過程をもっとくわしく把握するために、等価変換理論にさらに立ち入っていくことにしよう。
(引用おわり)
『もうひとつのパスカルの原理』の第5章で取り上げている。ブログを始めてから4章まではたびたび読み直すことはあったが、5章以降はネガティブな感情が先だって、読み直す気になれなかった。
昨年、ひさしぶりに5章をパラパラ読んでみた。がんばっていたじゃないか、と思った。例えば、こんなところ。
(引用はじめ)
市川が強調しているように、創造過程の核心はΣaの廃棄からcεをへてΣbを導入していく過程にあるだろう。すなわち、「さなぎ」の段階である。これは対応論でいえば延長性(依存)と断絶性(否定)が交錯する段階といえる。対応論と等価変換理論は、延長性をcε、断絶性をΣaの廃棄・Σbの導入と対応させれば同じものといえるだろう。二つの理論とも歴史の論理にもとづいている。
また、「さなぎ」の段階は実体の本質と偶有性が問題になる段階とも考えることができる。本質をcε、偶有性をΣa・Σbと対応させれば、修正した武谷三段階論のエッセンスは等価変換理論のなかに認めることができるといえる。したがって、私は同定理論を等価変換理論の認識論と考えてきたから、同定理論と武谷三段階論を統一する場は等価変換理論のなかにあるということになるだろう。
形成過程をもっとくわしく把握するために、等価変換理論にさらに立ち入っていくことにしよう。
(引用おわり)