オイラーの公式の発見から、eixのマクローリン展開の契機を排除するという「思い込み」は、オイラーの公式の最後の場面(『無限のなかの数学』)を誤解したことに由来する。
志賀浩二は、現在の教科書での導出を紹介した後、次のように述べていた。
「この完成した数学の形式のなかからは、もうオイラーのたどった無限の道は消えています。」
わたしはこの「無限の道」が公式の最初の発見と思っていたから、「完成した数学の形式」を「無限の道」の後(時間的に)に想定してしまった。しかし、「オイラーのたどった無限の道」が独特(代数的手法)だったのであって、「完成した数学の形式」を「無限の道」の前に想定しても何も問題はなかった。アプローチが違っているのである。
オイラーの公式の発見には起承転結がある。「無限の道」は「転」で行われている。「起」「承」で、eixのマクローリン展開があっても、何の差し支えもないのである。
志賀浩二は、現在の教科書での導出を紹介した後、次のように述べていた。
「この完成した数学の形式のなかからは、もうオイラーのたどった無限の道は消えています。」
わたしはこの「無限の道」が公式の最初の発見と思っていたから、「完成した数学の形式」を「無限の道」の後(時間的に)に想定してしまった。しかし、「オイラーのたどった無限の道」が独特(代数的手法)だったのであって、「完成した数学の形式」を「無限の道」の前に想定しても何も問題はなかった。アプローチが違っているのである。
オイラーの公式の発見には起承転結がある。「無限の道」は「転」で行われている。「起」「承」で、eixのマクローリン展開があっても、何の差し支えもないのである。