高瀬正仁の「オイラーの公式」に対する評価が気になっている。対照して展開してみようと思う。例えば高瀬は次のように述べている。『無限解析のはじまり』(高瀬正仁著、ちくま学芸文庫、2009年)。
(引用はじめ)
数eの複素冪指数の冪を作ると三角関数との関連が明らかになるというのが、オイラーの公式が教えてくれる事実ですが、意外といえば確かに意外ですし、おもしろい事実です。ではありますが、この公式を見る限りではオイラーがなぜこのような等式に関心を抱いたのか、根本のところが不明瞭で、そこに不満があります。
(引用おわり)
おそらく、オイラーは「このような等式」に関心を抱いていなかった。ゴールドバッハへの書簡(1741年、1742年)の後、1743年に突然、「オイラーの公式」が見えてきたのである。問題意識をもって取り組んだのではなく、それまでは見えていなかった公式が突如として可視化されたのである。根本のところはたしかに不明瞭である。しかし、そこに不満はない。
(引用はじめ)
数eの複素冪指数の冪を作ると三角関数との関連が明らかになるというのが、オイラーの公式が教えてくれる事実ですが、意外といえば確かに意外ですし、おもしろい事実です。ではありますが、この公式を見る限りではオイラーがなぜこのような等式に関心を抱いたのか、根本のところが不明瞭で、そこに不満があります。
(引用おわり)
おそらく、オイラーは「このような等式」に関心を抱いていなかった。ゴールドバッハへの書簡(1741年、1742年)の後、1743年に突然、「オイラーの公式」が見えてきたのである。問題意識をもって取り組んだのではなく、それまでは見えていなかった公式が突如として可視化されたのである。根本のところはたしかに不明瞭である。しかし、そこに不満はない。