以前、パスカルの三角形や数学的帰納法を考察したとき、『数学入門』(下)を参考にした。いまは微分の基礎について考えているが、またしてもお世話になる。
それはコーシーの収束条件についての指摘である。「微積分の誕生の時代から、コーシーの収束条件が生まれてくるまでには約150年の年月を必要とした。そのことは変化や運動の中にひそんでいる二者闘争の論理を感じとることがどのくらい困難だったのかよく物語っている。」(『数学入門』)
遠山啓がコーシーの収束条件に見たものは、「二者闘争の論理」と「否定の否定」だった。
(引用はじめ)
コーシーの独創性は「いくらでもaに近づく」という事実のそこにひそんでいる二者闘争の論理をえぐり出した点にある。/数列anが「aに近づく」ということはaに近づくことを否定する敵対者を想定して、その敵対者を打ち破ることと同じだと見なしたのである。コーシーの収束条件が難解だと思われているのは、その条件がこのような否定の否定という形をもっているからである。
(引用おわり)
『数学入門』(下)は1960年が初版である。「二者闘争の論理」と「否定の否定」は弁証法の時代の形容といえよう。
それはコーシーの収束条件についての指摘である。「微積分の誕生の時代から、コーシーの収束条件が生まれてくるまでには約150年の年月を必要とした。そのことは変化や運動の中にひそんでいる二者闘争の論理を感じとることがどのくらい困難だったのかよく物語っている。」(『数学入門』)
遠山啓がコーシーの収束条件に見たものは、「二者闘争の論理」と「否定の否定」だった。
(引用はじめ)
コーシーの独創性は「いくらでもaに近づく」という事実のそこにひそんでいる二者闘争の論理をえぐり出した点にある。/数列anが「aに近づく」ということはaに近づくことを否定する敵対者を想定して、その敵対者を打ち破ることと同じだと見なしたのである。コーシーの収束条件が難解だと思われているのは、その条件がこのような否定の否定という形をもっているからである。
(引用おわり)
『数学入門』(下)は1960年が初版である。「二者闘争の論理」と「否定の否定」は弁証法の時代の形容といえよう。