新聞の広告に『言語の本質』(中公新書、今井むつみ/秋田喜美著)が載っていた。「オノマトペ」と「アブダクション」という言葉が目に留まり、興味を持った。
オノマトペは、これまでは言語学では周辺に位置づけられていたが、これを中心に据えて考察していく姿勢に感心した。また、言語がオノマトペから離れて、その世界を拡大して過程に「アブダクション」推論が位置づけられて、ブートストラッピングサイクルが提示されていた。こちらにも感心した。
『言語の本質』のアブダクションに興味がわいた。それは以前吉本の「自己表出」を認識論に応用して、その「自己表出」に対して「アブダクション」を想定していたからである。例えば、次のように、アインシュタインの思考モデルに対して、自己表出と指示表出を設定していたのである。
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これはアインシュタインの思考モデルとパースの探究の三段階論の対応を提示したものである。アブダクション(仮説)―― EJA、ディダクション(演繹)―― AS、インダクション(帰納)―― SEAである。
これはいまも追究しようとしているものである。この図をブートストラップモデルと名付けてもいいのではないかと思った。くつ(ブーツ)の履き口にあるつまみ(ストラップ)、J(アブダクション)がストラップである。
分家の「自己表出」はアブダクションだが、ひるがえって、本家の「自己表出」はどうなのだろうかと思った。言語の自己表出もアブダクションといえるのではないかと考えた。そこで『言語にとって美とはなにか』を見直すことにした。
オノマトペは、これまでは言語学では周辺に位置づけられていたが、これを中心に据えて考察していく姿勢に感心した。また、言語がオノマトペから離れて、その世界を拡大して過程に「アブダクション」推論が位置づけられて、ブートストラッピングサイクルが提示されていた。こちらにも感心した。
『言語の本質』のアブダクションに興味がわいた。それは以前吉本の「自己表出」を認識論に応用して、その「自己表出」に対して「アブダクション」を想定していたからである。例えば、次のように、アインシュタインの思考モデルに対して、自己表出と指示表出を設定していたのである。
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これはアインシュタインの思考モデルとパースの探究の三段階論の対応を提示したものである。アブダクション(仮説)―― EJA、ディダクション(演繹)―― AS、インダクション(帰納)―― SEAである。
これはいまも追究しようとしているものである。この図をブートストラップモデルと名付けてもいいのではないかと思った。くつ(ブーツ)の履き口にあるつまみ(ストラップ)、J(アブダクション)がストラップである。
分家の「自己表出」はアブダクションだが、ひるがえって、本家の「自己表出」はどうなのだろうかと思った。言語の自己表出もアブダクションといえるのではないかと考えた。そこで『言語にとって美とはなにか』を見直すことにした。