対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

科学以上の科学は必要か

2018-09-19 | 許萬元
「内在主義・歴史主義・総体主義のゆくえ」は中断している。気になっているのだが進めない。古い文献を引っ張り出して読みなおしている。鈴木茂は許萬元の弁証法理論を批判している。「科学以上の科学は必要か」はその論文のタイトルである(『唯物論と弁証法』所収、文理閣、1989)。
はじめの科学は経験科学(相対的・有限的)である。次の科学(学)は絶対的・無限的で、ヘーゲルの(論理)学を指している。鈴木には許萬元の弁証法は「科学以上の科学」にみえる。これは「思考と存在の同一性」に基づいている。ここを批判するのが鈴木の許萬元批判の中心である。
この鈴木の批判の一部を継承して「内在主義・歴史主義・総体主義」のゆくえを、いいかえれば、「論理的なものの三側面」のゆくえを見定める予定である。継承するのは「外的反省の立場」、「有限者の立場」に限定すること、「科学以上の科学(学)は必要ない」ことである。鈴木茂は「論理的なものの三側面」の定式を批判的に見ていたと思うが、それについての言及はない。

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