対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

楕円と弁証法

2007-02-03 | 弁証法

 唯物弁証法の三法則の内的連関を断ち切り、「対立物の相互浸透」だけを引き継ぐ。そのとき、弁証法を表わす幾何学的図形は螺旋ではなく、楕円になる。これが、わたしの考えである。

   「対立物の相互浸透」のゆくえ

   螺旋と楕円

 楕円とは二つの焦点をもつ図形である。そこに二つの論理的なものを位置づけ、複合する。これが楕円を弁証法の幾何学的図形と考える理由である。弁証法の共時的構造と通時的な構造と対応しているのである。

 二つのつながりに関する技術としての弁証法。主法則は、対立物の相互浸透――対話による展開あるいは否定と肯定――展開の楕円的な形式。

 展開の楕円的形式を整理しておこう。

  1 論理的なものを選択する主体は、図の中心に位置する。
  2 二つの論理的なものは、二つの焦点に位置する。
  3 二つの焦点から、混成モメントが形成される。
  4 混成の軌跡は統一され楕円を描く。

 例えば、ニュートンの楕円。

 ニュートンは、ケプラーの惑星の法則とガリレイの落体の法則 を選択して、この二つを焦点に位置づける。順序正しくいえば、二つの法則を選択し、それぞれピンで留めた点が、焦点となる。ニュートンは、ケプラーの法則とガリレイの法則を混成する。これは楕円の作図でいえば、固有の長さの糸を用意して、その両端をピン(焦点)に固定することに対応する。固有の長さを決定することが、混成モメントの形成にあたる。ニュートンの場合、運動法則の定式と万有引力の構想である。そして鉛筆で、糸がたるまないように、また切れないように、張りつめたまま、回転していくこと、これが、天上の法則と地上の法則の統一に対応する。

  ニュートン力学の形成と弁証法 

 わたしは螺旋と対照させて楕円をとりあげている。円と対照して楕円をとりあげたのが花田清輝だった。(「楕円幻想 ─ ヴィヨン」『復興期の精神』)

 円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転するというプラトンの教義に反し、最初に、惑星の軌道は楕円を描くと予言したのは、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエであったが、それはかれが、スコラ哲学風の思弁と手を切り、単に実証的であり、科学的であったためではなかった。プラトンの円と同じく、ティコの楕円もまた、やはり、それがみいだされたのは、頭上にひろがる望遠レンズのなかの宇宙においてではなく、眼にはみえない、頭のなかの宇宙においてであった。それにも拘わらず、特にティコが、円を排し、楕円をとりあげたのは、かれの眺めいった、その宇宙に、二つの焦点があったためであった。すくなくとも私は、ティコの予言の根拠を、かれの設計したウラニエンボルクの天文台にではなく、二つの焦点のある、かれの分裂した心に求める。転形期に生きたかれの心のなかでは、中世と近世とが、歴然と、二つの焦点としての役割をはたしており、空前の精密さをもって観測にしたがい、後にケプラーによって感謝されるほどの業績をのこしたかれは、また同時に、熱心な占星術の支持者でもあった。

 惑星の軌道と楕円を最初に結びつけたのがティコ・ブラーエとは、意外に思われた。わたしはケプラーだと思っていたからである。ケプラーの楕円の前にあったティコの楕円。そしてケプラーの楕円の後にあるニュートンの楕円。共通するのは「二つの焦点のある、かれの分裂した心」である。

焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊なばあい、── すなわち、その短径と長径とがひとしいばあいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに一般的な存在であるともいえる。ギリシア人は単純な調和を愛したから、円をうつくしいと感じたでもあろうが、矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。

 たしかに楕円のほうが円よりも一般的な存在である。さらに、円は単純な調和で、楕円は複雑な調和であるともいえるだろう。しかし、楕円は矛盾と関係があるのだろうか。「矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和」。これはレトリックだと思う。それともマルクス主義の制約というべきなのだろうか。いったい、楕円のどこが、なにが、「矛盾」しているというのだろう。「矛盾」の上に描かれている花田清輝の楕円。

 エンゲルスの螺旋には、「否定の否定」の矛盾があった。花田清輝の楕円には、「レトリック」の矛盾があるといえるだろう。「矛盾」を排除して「対話」の上に描くのが、わたしの楕円である。二つの焦点に位置する「論理的なもの」、その「対話」によって描かれる楕円。これが、わたしの「楕円幻想」である。

 『復興期の精神』を最初に読んだのは、「周期律の形成について」をやり直していたころである。30年ほど前である。1970年代、弁証法といえば武谷三段階論(『弁証法の諸問題』)であった。なつかしく思いだす。そのころ、わたしが見ていた弁証法は螺旋だったのである。

     さあれ
     20世紀の弁証法いまいずこ


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いつも拝読させていただいておりますZEEDと言いま... (ZEED)
2007-02-10 11:51:04
いつも拝読させていただいておりますZEEDと言います。楕円の矛盾について一言。

対立する”焦点”と”運動点”との”関係”に矛盾があります。マルクスの資本論に楕円運動の矛盾に関してこういう記述があります。

「ある物体が不断に他の物体に落下しながら、同じく不断に飛び去るというのは、一つの矛盾である。楕円は、その中でこの矛盾が解決され、また実現されている運動形態の一つである。」
第3章第2節 流通手段 a商品の変態より
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「ZEEDの弁証法日記」のZEEDさんなのでしょうか。... (喜一郎)
2007-02-10 17:23:46
「ZEEDの弁証法日記」のZEEDさんなのでしょうか。拝見しております。

わたしは存在の領域には矛盾はないという立場で弁証法を考えています。マルクスの楕円の例は「見せかけの矛盾」ではないかと思っているのです。

次を見てください。わたしの立場を明確にしています。

  「板倉聖宣の弁証法について」http://www10.ocn.ne.jp/~shima/gam.html#230
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 なるほど。始めからご存知だったのですね。リン... (ZEED)
2007-02-10 21:03:14
 なるほど。始めからご存知だったのですね。リンク拝読させていただきました。いろいろ勉強になります。
ちなみに、小生はごさっしのとおりのZEEDです。
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 武谷三男は「自然の論理について」(『弁証法の... (喜一郎)
2007-02-12 08:56:25
 武谷三男は「自然の論理について」(『弁証法の諸問題』所収)で、マルクスの楕円を肯定的に引用している。「運動における矛盾(たとえば引力と斥力)と運動形態の関連の弁証法」として。
 1970年代には、これを肯定的に把握していた。1990年代に疑問をもちはじめた。2000年以降は否定的に把握している。
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武谷三男の著作集は学生時代に読みました。彼は現... (古井戸)
2007-08-02 18:28:00
武谷三男の著作集は学生時代に読みました。彼は現象論、実体論、本質論。。を資本論にも適用して経済学を解説していますね。ニュートン力学における本質が 加速度、にあるように現象を分析(微分)していけば、加速度~労働力が本質であることになる、と。

武谷の弁証法適用にかんしては分析派哲学者、市井三郎が疑義を発したが武谷からは回答がなかった、というふうに書いています。市井三郎『哲学的分析』
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武谷三男は『資本論』を手本にしていました。この... (喜一郎)
2007-08-04 21:11:13
武谷三男は『資本論』を手本にしていました。このような武谷の姿勢は学生時代に『資本論』を読むきっかけの一つになったものです。しかし、いまはこの『資本論』の弁証法に疑問をもつようになっています。積極的にいえば、『資本論』の弁証法は否定されるべきだと考えています。

また、現象論・実体論・本質論という三段階論は、分析の優れた方法ではあっても、弁証法とは関係がないのではないかと思っています。ニュートン力学の形成における弁証法を、わたしは武谷三段階論とは違った立場(複合論)から、分析しています。

 「ニュートン力学の形成と弁証法」

    http://www10.ocn.ne.jp/~shima/newton.html

これは、わたしなりのアンチテーゼです。

市井三郎は読んだことがありません。「武谷の弁証法適用」に対する疑義には興味があります。どのような観点から疑問を提出しているのでしょうか。機会があれば、確かめてみたいと思います。 
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