ヘーゲルは弁証法的論理学を形式論理学よりも高度なものと想定した。ヘーゲルは『小論理学』で次のように述べている。
(引用はじめ)
思弁的な論理学は単なる悟性の論理学を含んでいるから、前者から後者を作り出すのは、わけのないことである。それには前者から弁証法的なものと理性的なものとを取去りさえすればいい。
(引用おわり)
ヘーゲルは悟性の論理学の上に、それと整合的に思弁的な論理学を構築していると考えている。しかし、「有限な諸規定の自己揚棄」と「反対の諸規定への移行」に問題があるとしたら、思弁的な論理学は不安定な基礎の上に構築されていることになる。
わたしたちは、弁証法的なもの (弁証法的側面あるいは否定的理性の側面)と理性的なもの(思弁的側面あるいは肯定的理性の側面)を取り去ることによって、悟性の論理学までもどり、技法としての弁証法を提起しているのである。
(引用はじめ)
思弁的な論理学は単なる悟性の論理学を含んでいるから、前者から後者を作り出すのは、わけのないことである。それには前者から弁証法的なものと理性的なものとを取去りさえすればいい。
(引用おわり)
ヘーゲルは悟性の論理学の上に、それと整合的に思弁的な論理学を構築していると考えている。しかし、「有限な諸規定の自己揚棄」と「反対の諸規定への移行」に問題があるとしたら、思弁的な論理学は不安定な基礎の上に構築されていることになる。
わたしたちは、弁証法的なもの (弁証法的側面あるいは否定的理性の側面)と理性的なもの(思弁的側面あるいは肯定的理性の側面)を取り去ることによって、悟性の論理学までもどり、技法としての弁証法を提起しているのである。
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