跳ぶのか、踊るのか。 ―― ロドスはマルクスの薔薇 5
5 ロドスの下向と上向
最後に、Hic Rhodus, hic salta!(マルクス)とHic Rhodus, hic saltus!(イソップ)の関係をみることにする。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』にもどって、確認しておこう。先の引用はあえて、ラテン語の表現とドイツ語の表現に注釈を付けなかった。実際は、次のようになっているのである。
確認しよう。ここには、次のような注が付いている。
『資本論』には、Hic Rhodus, hic salta!だけが書いてある。そして、次のような注釈がついている。「ここがロドスだ、さあ跳べ!」(向坂逸郎、岩波文庫)、「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ!」(大内兵衛・細川嘉六、大月書店)。ここに初めて、二番目の読み方が登場したのである。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』では無理だったろう。そこには二本の薔薇が並んでいた。『資本論』において、ヘーゲルの薔薇Roseと切り離され、単独でマルクスの薔薇Rhodusとして提起されて初めて、saltaは「跳ぶ」可能性をもったのである。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではsaltaは「踊る」のままで、「跳ぶ」兆候はないのである。
『資本論』のHic Rhodus, hic salta!も『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』と同じである。これはマルクスの頭の中では、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」である。マルクスの内部では、これは積極的になったHier ist die Rose, hier tanze! である。Rhodusはマルクスの薔薇なのである。しかし、いったんマルクスから離れ、多くの人に読まれ始めると、Rhodusはロドス島とみえ、Hic Rhodus, hic saltus!と結びつく可能性が生まれたのである。そして、実際、saltaは、命がけの跳躍(salto mortale)をして、saltusになったのである。いいかえれば、saltaは「跳ぶ」に変わったのである。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」はマルクスが作ったのではない。マルクスの頭の外で作られたのである。命がけの跳躍(salto mortale)はマルクスの頭の外で起こったのである。いいかえれば、マルクス主義の運動が作り出したのである。ラテン語には精通していないが、イソップの物語はよく知っている人たちが多くいたのである。
それはマルクスの精神を否定するものではなく、マルクスの精神をより積極的に表現したのである。マルクスが、ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!をラテン語に翻訳したのは、ヘーゲルの精神を積極的にとらえ直すことにあった。このときマルクスは誤ってHic Rhodus, hic salta!と書いた。こんどは、正しい「踊る」saltaが「跳ぶ」saltusと誤って読まれ、Hic Rhodus, hic saltus!と重なることによって、このマルクスの精神は、さらに積極的に捉えられるようになったのである。
マルクスの精神はマルクスの頭の外で補完され実現されたのである。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
初めに『資本論』である。そこでsaltaが「跳ぶ」に変わった。次に『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』が読まれるようになって、二本の薔薇が、ロドスと薔薇に分かれる。「ここがロドスだ、ここで跳べ!」(イソップ)と「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」(ヘーゲル)が併置されていると解釈されるようになったのである。
私の学生時代は1970年代前半だが、Hic Rhodus, hic salta!は、もっぱら「ここがロドスだ、ここで跳べ!」であった。『唯心論と唯物論』も読んだが、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は目に入らなかった。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」という訳があることは、堀江忠男を読むまでまったく自覚することはなかったのである。
堀江忠男はHic Rhodus, hic salta!の成立過程を次のように捉えていた。(『弁証法経済学批判』参照)
「Hic Rhodus, hic saltus!」(ここがロドスだ、ここで跳べ!)。Hier ist die Rose, hier tanze!(これが薔薇だ、ここで踊れ!)をラテン語に直した「Hic rodon, hic salta! 」。マルクスはこの二つを知っていて、前半Hic Rhodusと後半hic salta!を結びつけて、Hic Rhodus, hic salta!と書いた。それゆえ、これは「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく「ここがロドスだ、ここで踊れ!」
そして、その考えを自然なものにするために、古代ギリシアまでさかのぼって、イソップの話を書き替えたのである。
イソップのHic Rhodus, hic saltus!が、ヘーゲルによって独特な解釈をされ、Hier ist die Rose, hier tanze!なった過程をRhodusの下向ということにしよう。そして、ヘーゲルの薔薇が誤って翻訳され、ふたたびRhodusになり、Hic Rhodus, hic salta!になった過程を、Rhodusの上向としよう。
ヘーゲルによる下向。イソップのロドスRhodusは、現実と置き換えられ、薔薇Roseとなる。他方、跳躍saltusは、存在するものを把握する(「to apprehend what is 」)行為として、踊れ tanzeになった。
マルクスによる上向。ヘーゲルの薔薇は誤ってラテン語に翻訳されロドスRhodusとなる。他方、踊るtanzeは正確に翻訳されてsaltaとなったが、このとき踊るsaltaは、「和解」ではなく「挑戦」の色彩を帯びるようになった。
そしてHic Rhodus, hic salta!はロドスRhodusを支点にして、Hic Rhodus, hic saltus!と関連するようになった。そして、Rhodusは、「薔薇」から「ロドス」に変わり、saltaは「踊れ」から「跳べ」に変わったのである。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、一つの与えられた課題(task)に挑戦する人(自分でも他人でも)を鼓舞する箴言として把握されるようになっている。
これはイソップのHic Rhodus, hic saltus!(主張と行為)ともヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!(現実と哲学)とも違っている。しかし、「踊る」saltaが「跳べ」と解釈されることによって、両者を複合した意味をもつようになったのである。
「主張と行為」の関係の中に「現実と哲学」の関係が入り込み、また「現実と哲学」の中に「主張と行為」が入り込んで、両者が「課題と挑戦」を構成している。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、ラテン語の意味としては誤った翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップのHic Rhodus, hic saltus!とヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を止揚していて、歴史的にも文化的にも連帯している表現なのである。
踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。saltaの意味が振れる原因を、Rhodusと saltaの奇妙な結合に見出し、ロドスの下向と上向という過程が19世紀に起きたと想定することによって、Rhodusと saltaの謎を解こうとしたのである。
以前(「踊るのか、跳ぶのか。」)は、肯定的理性・「to be」(このままでいい)と否定的理性・「not to be」(このままではいけない)を「踊る」と「跳ぶ」で区別していた。
「踊る」 ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「跳ぶ」 ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
いまは、「踊る」で区別できる。「踊る」のドイツ語表記tanzeとラテン語表記saltaである。
「踊る」tanze(和解) ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「踊る」salta(挑戦) ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
日本語の「踊る」に着目すれば、「踊るのか、跳ぶのか。」では、肯定的理性・「to be」だけに限定されていた「踊る」は、いまはすべて(肯定的理性・「to be」と否定的理性・「not to be」)を含むようになっている。「踊る」の拡張が、以前との大きな違いである。
ロドスでは踊らない。なぜならマルクスのHic Rhodus, hic salta!は、積極的になったHier ist die Rose, hier tanze!だからである。ロドスとは関係ないのである。
踊るのは、薔薇。これはヘーゲルとマルクスが共有する認識である。Hier ist die Rose, hier tanze!とHic rhodon, hic salta! 。これはHic Rhodus, hic salta!の基礎である。
跳ぶのはロドス。Hic Rhodus, hic salta!が多くの人に読まれはじめると、Rhodusを支点にHic Rhodus, hic saltus!と関連して、saltaは踊るから跳ぶに変わったのである。
「踊る」tanze ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「跳ぶ」salta ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。揺れるのは、 Rhodusとsaltaの奇妙な結合に由来している。a garbled mixture of Hegel’s two versions ―― Hic Rhodus, hic salta!。
あと一つ指摘して終わろう。
マルクスが『資本論』の第1巻を仕上げようとしていたころ、ドイツの知識人たちは、ヘーゲルを「死せる犬」として取り扱っていた。これに対して、マルクスは、次のように述べている。
5 ロドスの下向と上向
最後に、Hic Rhodus, hic salta!(マルクス)とHic Rhodus, hic saltus!(イソップ)の関係をみることにする。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』にもどって、確認しておこう。先の引用はあえて、ラテン語の表現とドイツ語の表現に注釈を付けなかった。実際は、次のようになっているのである。
自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――このように、19世紀のドイツで表現されたものが、時代を越え、国を越えて、20世紀の日本にまで来ると、マルクスが同じ一つのことを言っているのではなく、イソップとヘーゲルの二つを併置していると捉えられるようになるのである。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここでとべ!)
Hier ist die Rose, hier tanze!(ここにバラがある、ここでおどれ!)
確認しよう。ここには、次のような注が付いている。
はじめの行のラテン語、ここがロドスだ、ここでとべ、はイソップ寓話の一つ(岩波文痺『アイソーボス寓話』第五一話)に由来する。「ロドス島のとびくらべでものすごくとんだ、ちゃんと証人がいる」といってほらを吹く人に、「証人なんかいりゃしない、ここがロドス島だ、ここでとんでみろ」という話である。すなわち、ここで実践してみせろの意。ところでつぎのドイツ語、ここにバラがある、ここでおどれは、ロドス島がロドンすなわちバラに由来した名でバラの花で有名な島であることから、ロドスにバラをひっかけたしゃれであって、ヘーゲルは『法律哲学』の序文で「ここがロドスだ、ここでとべ」をこう言いかえることができるといっている。マルクスはここでこのヘーゲルの文章を思い出して、前の句にこれをつけたのである。Hic Rhodus, hic salta! の「salta」が「跳べ」と読まれるようになったのは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではなく、『資本論』だっただろう。そもそも『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』は当時、マルクスの周辺の人が読んだだけで、ほとんど読まれていないと言っていい。しかし、『資本論』は多くの人に読まれたのである。
『資本論』には、Hic Rhodus, hic salta!だけが書いてある。そして、次のような注釈がついている。「ここがロドスだ、さあ跳べ!」(向坂逸郎、岩波文庫)、「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ!」(大内兵衛・細川嘉六、大月書店)。ここに初めて、二番目の読み方が登場したのである。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』では無理だったろう。そこには二本の薔薇が並んでいた。『資本論』において、ヘーゲルの薔薇Roseと切り離され、単独でマルクスの薔薇Rhodusとして提起されて初めて、saltaは「跳ぶ」可能性をもったのである。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』ではsaltaは「踊る」のままで、「跳ぶ」兆候はないのである。
『資本論』のHic Rhodus, hic salta!も『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』と同じである。これはマルクスの頭の中では、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」である。マルクスの内部では、これは積極的になったHier ist die Rose, hier tanze! である。Rhodusはマルクスの薔薇なのである。しかし、いったんマルクスから離れ、多くの人に読まれ始めると、Rhodusはロドス島とみえ、Hic Rhodus, hic saltus!と結びつく可能性が生まれたのである。そして、実際、saltaは、命がけの跳躍(salto mortale)をして、saltusになったのである。いいかえれば、saltaは「跳ぶ」に変わったのである。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」はマルクスが作ったのではない。マルクスの頭の外で作られたのである。命がけの跳躍(salto mortale)はマルクスの頭の外で起こったのである。いいかえれば、マルクス主義の運動が作り出したのである。ラテン語には精通していないが、イソップの物語はよく知っている人たちが多くいたのである。
それはマルクスの精神を否定するものではなく、マルクスの精神をより積極的に表現したのである。マルクスが、ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!をラテン語に翻訳したのは、ヘーゲルの精神を積極的にとらえ直すことにあった。このときマルクスは誤ってHic Rhodus, hic salta!と書いた。こんどは、正しい「踊る」saltaが「跳ぶ」saltusと誤って読まれ、Hic Rhodus, hic saltus!と重なることによって、このマルクスの精神は、さらに積極的に捉えられるようになったのである。
マルクスの精神はマルクスの頭の外で補完され実現されたのである。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
初めに『資本論』である。そこでsaltaが「跳ぶ」に変わった。次に『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』が読まれるようになって、二本の薔薇が、ロドスと薔薇に分かれる。「ここがロドスだ、ここで跳べ!」(イソップ)と「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」(ヘーゲル)が併置されていると解釈されるようになったのである。
私の学生時代は1970年代前半だが、Hic Rhodus, hic salta!は、もっぱら「ここがロドスだ、ここで跳べ!」であった。『唯心論と唯物論』も読んだが、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は目に入らなかった。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」という訳があることは、堀江忠男を読むまでまったく自覚することはなかったのである。
堀江忠男はHic Rhodus, hic salta!の成立過程を次のように捉えていた。(『弁証法経済学批判』参照)
「Hic Rhodus, hic saltus!」(ここがロドスだ、ここで跳べ!)。Hier ist die Rose, hier tanze!(これが薔薇だ、ここで踊れ!)をラテン語に直した「Hic rodon, hic salta! 」。マルクスはこの二つを知っていて、前半Hic Rhodusと後半hic salta!を結びつけて、Hic Rhodus, hic salta!と書いた。それゆえ、これは「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく「ここがロドスだ、ここで踊れ!」
そして、その考えを自然なものにするために、古代ギリシアまでさかのぼって、イソップの話を書き替えたのである。
余談だが、ロードス島というのは、ギリシアの東南方の海上、トルコ半島の西南端に近い島で、紀元前から地中海貿易の要衝だったところである。したがって、芝居、奇術、踊りなどの興業が盛んだったらしい。アイソフォスの寓話のなかに、ロードス島で他人が真似のできないほどすばらしく踊ったという人にむかって「ここでロードス島だと思ってもう一度踊ってみよ」といった話がある。しかし、ロドスでは踊らないのである。ロドスでは跳ぶのである。踊るのは、薔薇。跳ぶのはロドスである。しかしマルクスの書いているラテン語は、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。堀江とは違った成立過程を提示しなければならないと思った。
イソップのHic Rhodus, hic saltus!が、ヘーゲルによって独特な解釈をされ、Hier ist die Rose, hier tanze!なった過程をRhodusの下向ということにしよう。そして、ヘーゲルの薔薇が誤って翻訳され、ふたたびRhodusになり、Hic Rhodus, hic salta!になった過程を、Rhodusの上向としよう。
ヘーゲルによる下向。イソップのロドスRhodusは、現実と置き換えられ、薔薇Roseとなる。他方、跳躍saltusは、存在するものを把握する(「to apprehend what is 」)行為として、踊れ tanzeになった。
マルクスによる上向。ヘーゲルの薔薇は誤ってラテン語に翻訳されロドスRhodusとなる。他方、踊るtanzeは正確に翻訳されてsaltaとなったが、このとき踊るsaltaは、「和解」ではなく「挑戦」の色彩を帯びるようになった。
そしてHic Rhodus, hic salta!はロドスRhodusを支点にして、Hic Rhodus, hic saltus!と関連するようになった。そして、Rhodusは、「薔薇」から「ロドス」に変わり、saltaは「踊れ」から「跳べ」に変わったのである。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、一つの与えられた課題(task)に挑戦する人(自分でも他人でも)を鼓舞する箴言として把握されるようになっている。
これはイソップのHic Rhodus, hic saltus!(主張と行為)ともヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!(現実と哲学)とも違っている。しかし、「踊る」saltaが「跳べ」と解釈されることによって、両者を複合した意味をもつようになったのである。
「主張と行為」の関係の中に「現実と哲学」の関係が入り込み、また「現実と哲学」の中に「主張と行為」が入り込んで、両者が「課題と挑戦」を構成している。
Hic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」は、ラテン語の意味としては誤った翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップのHic Rhodus, hic saltus!とヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を止揚していて、歴史的にも文化的にも連帯している表現なのである。
踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。saltaの意味が振れる原因を、Rhodusと saltaの奇妙な結合に見出し、ロドスの下向と上向という過程が19世紀に起きたと想定することによって、Rhodusと saltaの謎を解こうとしたのである。
以前(「踊るのか、跳ぶのか。」)は、肯定的理性・「to be」(このままでいい)と否定的理性・「not to be」(このままではいけない)を「踊る」と「跳ぶ」で区別していた。
「踊る」 ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「跳ぶ」 ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
いまは、「踊る」で区別できる。「踊る」のドイツ語表記tanzeとラテン語表記saltaである。
「踊る」tanze(和解) ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「踊る」salta(挑戦) ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
日本語の「踊る」に着目すれば、「踊るのか、跳ぶのか。」では、肯定的理性・「to be」だけに限定されていた「踊る」は、いまはすべて(肯定的理性・「to be」と否定的理性・「not to be」)を含むようになっている。「踊る」の拡張が、以前との大きな違いである。
ロドスでは踊らない。なぜならマルクスのHic Rhodus, hic salta!は、積極的になったHier ist die Rose, hier tanze!だからである。ロドスとは関係ないのである。
踊るのは、薔薇。これはヘーゲルとマルクスが共有する認識である。Hier ist die Rose, hier tanze!とHic rhodon, hic salta! 。これはHic Rhodus, hic salta!の基礎である。
跳ぶのはロドス。Hic Rhodus, hic salta!が多くの人に読まれはじめると、Rhodusを支点にHic Rhodus, hic saltus!と関連して、saltaは踊るから跳ぶに変わったのである。
「踊る」tanze ―― 肯定的理性・「to be」(このままでいい)
「跳ぶ」salta ―― 否定的理性・「not to be」(このままではいけない)
踊るのか、跳ぶのか。跳ぶのか、踊るのか。揺れるのは、 Rhodusとsaltaの奇妙な結合に由来している。a garbled mixture of Hegel’s two versions ―― Hic Rhodus, hic salta!。
あと一つ指摘して終わろう。
マルクスが『資本論』の第1巻を仕上げようとしていたころ、ドイツの知識人たちは、ヘーゲルを「死せる犬」として取り扱っていた。これに対して、マルクスは、次のように述べている。
それだからこそ、私は自分があの偉大な思想家の弟子であることを率直に認め、また価値論に関する章のあちこちでは彼に特有な表現様式に媚を呈しさえしたのである。これを集約した表現が Hic Rhodus, hic salta! である。いまでは世界中で、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」と読まれているが、マルクスが書いているのは、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。ロドスはマルクスの薔薇なのである。 (了)
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