対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

周期律の形成について、目次と後書

2021-12-28 | 周期律
以前のホームページ( OCN や so-net) にあったが、FC2にはない記事がたくさんある。これもその一つである。Gooのブログに載せることはできるだろうか。7000字ほどあるが、許容されるのだろうか。心配することはなかった。1つの記事に30000字(HTMLタグ含む)まで可能だという。
「周期律の形成について」(1980年)は読みづらかったので、目次を2000年に追加し、また「まえがき」を2005年に書いた。こんど後書(あとがき)として提出するのはこの「まえがき」を改訂したものである。

周期律の形成について 目次

   第1章 エンゲルスのメンデレーエフ評価
     1 ガリウムと海王星の発見の対比
     2 方法としての武谷三段階論
   第2章 プラウトの仮説とベルセーリウス ――― 現象論的段階
   第3章 周期表の形成 ―――  実体論的段階への移行
     1 試行錯誤と「原子量の差」
     2 周期表の「位置」の特徴 
     3 元素の原子類似性―――「化学元素の周期的規則性」より
   第4章 エカとポスト・ホック
     1 1869年の周期表
     2 未知元素の予言と命名法
   第5章 長周期型から短周期型へ
     1 ペーシェンスの解析
     2 二つの研究
     3 「中間系列」設定の意味
   第6章 普遍性と偶然性 ――― 実体論的段階の整理
     1 逆転問題と希土類元素の位置づけ問題
     2 偶奇数列導入による仮象
     3 テルルの原子量に付されている疑問符
   第7章 希ガスの発見 ――― 実体論的段階の表と裏
     1 エカ元素の発見と木星の衛星
     2 ラムゼー ――― 零族におけるメンデレーエフ
     3 変更の可能性のない逆転配置
   第8章 武谷の「実体」の問題点
     1 武谷の「実体」論
     2 三つの移行形態について
   第9章 ケドロフの時代区分との違い
     1 ケドロフの時代区分
     2 亀裂ではなく確立していく過程
   第10章 「逆転」問題の解決 ―――  本質論的段階への移行
     1 原子番号 ―――「諸元素の高振動数スペクトル」より
     2 実体の偶有性の止揚
     3 Qの導入とボーア原子論
   第11章 周期表とボーア原子論
     1 希土類元素の位置づけ
     2 ボーア原子論 ――― 「原子の構造」より
     3 周期律の形成過程の要約
     4 希土類元素群の内的順序構造の空白
   第12章 スプロンセンの位置づけとの違い
     1 スプロンセンの位置づけ
     2 「間」の分析の欠如
   第13章 「希土類元素」問題の解決 ――― パウリの排他原理
   第14章 超ウラン元素
     1 超ウラン元素の出現 ―――「放射性元素93」より
     2 韻を踏む命名

周期律の形成について あとがき

 武谷三段階論を方法にして周期律が形成されてきた歴史をたどってみようと思ったのは1972年だった。メンデレーエフの周期表は、ニュートン力学の形成過程におけるケプラーの三法則と同じように実体論的段階にあるのではないか。これが基本的な考え方だった。

 エンゲルスは『自然弁証法』の中で、メンデレーエフが予言した元素(エカアルミニウム)がガリウムとして発見されたとき、その業績を海王星の発見と対比していた。海王星の発見はニュートン力学の本質論的段階を特徴づけるものだったので、この対比を分析することから始めた。
 太陽系と原子系の探究、ニュートン力学の形成史と周期律の形成史は、魅力的な認識過程と思われた。しかし、なかなかまとまらず、どうにか形になったのは1980年だった。

 メンデレーエフの周期表が実体論的段階にあるという考えを確信し、推し進めようと思ったのは、1871年の「化学元素の周期的規則性」を読んでいるとき、一つの発見をしたことにある。メンデレーエフは、その論文で提出した周期表のなかで、テルルの原子量に疑問符をつけていた。そして次のような説明をしていたのである。

「テルルについては周期律と一致させて125?とし、Berzeliusらによる128とはしなかった。」

 これをはじめて読んだとき、この疑問符に、周期律形成の歴史が圧縮されているように思えたのである。この疑問符は、現象論的段階の個別性の主張と実体論的段階の法則性の洞察が拮抗している場所に付されていると思われた。じっさい、本質論的段階において、テルルとヨウ素の関係について、位置はメンデレーエフのまま、原子量はベルセーリウスのままで、疑問符は解消しているのである。

 武谷三段階論は素粒子の研究を位置づける科学方法論として提出されたものである。それゆえ、物理学の発想が基礎になっていて、武谷の「実体」の考え方は、素粒子や模型や構造と緊密に関係している。このような「実体」の考え方は克服しなければならないと思った。なぜなら、メンデレーエフの周期表を実体論的段階と把握するとき、その「実体」は、中間子のような粒子を意味しないからである。また、ケプラーが導入した太陽系のような「構造」を意味しないからである。

 わたしは三段階論の定式を構成しているヘーゲル判断論に着目した。そしてこれを基本に据えることにした。すなわち、認識(科学)の方法論としての側面を切り捨て、認識の本質論の側面を継承しようとした。いいかえれば、素粒子論を探究していく科学方法論としての側面を切り捨て、判断や推論がどこまで展望できるのかという自然認識の論理的な順序として武谷三段階論を把握しようとしたのである。
 ようするに、武谷三段階論に固有の「実体」の考え方では、周期律の形成過程は把握できないと思われたのである。武谷の「実体」とは別に、わたしなりに「実体」とは何かを考えた。

 メンデレーエフは「原子量」を「実りある当面の現実的素材」として把握していた。このメンデレーエフの「原子量」の考え方を、ヘーゲルの「実体」と対応させればよいのではないかと思われた。花田圭介の「科学発展の論理について」が参考になった。かれは次のように「実体」を解説していた。
(引用はじめ)
 ヘーゲルの用語を借りていえば、実体はそれのもつ多様な性質を発現させる力であるが、なおその力と発現は「本質が直接的現有をもつ場合の、それ自身として存在する無制約な本質」であるところの実体と、文字通り本質に対して可変的な性質である偶有性との、関係としてとらえられている。このことを認識の発展に従ってなるべく分り易く説明すれば、偶然的現象のなかの一定の諸性質を、まだそれを制約している本質的な法則が認識されていないところの実体に結び付て、その実体の偶有的な性質として対応づけることなのである。
(引用おわり)
 認識の発展に従ってなるべく分り易く説明してあるところが、ありがたかった。実体を本質と偶有性の複合体と考えればよいと思われたのである。「実体」は、素粒子や模型や構造ではなく、「本質と偶有性」である。そして、実体論的段階とは、偶有性をも原理に組み込んでいる段階で、判断や推論をするとき変則性を必然的に伴ってしまうと考えればよいと思われた。いいかえれば、大部分は説明できるが、一部に謎が残っている段階である。武谷は、ケプラーの段階では、天王星の運動はケプラーの法則より複雑な法則に従っているといえるだけなのであると述べている。わたしの「実体」の考え方は、「構造」や「模型」としての「太陽系」ではなく、複雑な「天王星の運動」に着目するものである。

 このように「実体」を「本質と偶有性」によって把握する考え方は、メンデレーエフの「原子量」だけでなく、ケプラーの導入した「太陽系」にも通じると考える。ケプラーの「太陽系」は、ニュートンの「太陽系」とは違っている。例えば、ケプラーは太陽の力を想定しているが、太陽は惑星を引っぱっているのではなく、接線方向に押していると考えている。これがケプラーの「太陽系」の偶有性である。もちろん、ケプラーはこのような「太陽系」で、惑星の三法則を発見しているのである。

 周期律の形成史から、「天王星の運動」に対応する実体論的段階の偶有性をみておこう。
 周期表の中には、テルルとヨウ素、コバルトとニッケルなど位置と原子量の大きさが逆転している元素対がある。また、周期表の一つの枠に一つの元素が原則だが、希土類元素(ランタノイド)のように、一つの枠に、まとめて配置しなければならない元素群がある。  このような「逆転元素対」や「希土類元素群」が、メンデレーエフの段階の偶有性である。これらに対して、実体論的段階では、明確な説明はできないのである。

 わたしは実体論的段階・本質論的段階の考え方を、ケドロフの『科学的発見のアナトミア』とスプロンセンの『周期系の歴史』と対照して、明らかにしようと思った。

 ケドロフはメンデレーエフ以降の周期律の歴史を、「化学における批准」(1869―1900)・「動乱の時代」(1895―1912)・「物理学における突破口」(1913―現在)と区分している。
 エカ元素の発見、周期表への零族(希ガス)の導入が「化学における批准」である。また、「動乱の時代」は、X線、放射能、電子などの発見された時代をさしている。
 「化学における批准」と「動乱の時代」をあわせた時間が、わたしの考える周期律の実体論的段階の歴史的時間である。しかし、化学において批准され、そのあと動乱の時代を迎えたとは考えない。

 ケドロフは実体論的段階の偶有性を切り捨てることによって、「化学における批准」を設定していると思う。すなわち、零族が導入されるときでいえば、アルゴンとカリウムの逆転配置についてはふれていない。逆転問題を切り捨てることによって、「批准」という区分が仮構されていると考える。そして、それゆえ、19世紀末の諸発見が、批准された周期律(ケドロフは「栄光の殿堂」と形容している)にとって「亀裂」と捉えられていると考える。

 わたしの場合は、「批准」と「動乱」は、はじめから、並行しているという立場である。それゆえ、「動乱の時代」において、周期律に「亀裂」が入ったとは考えない。周期律は、本質的な把握と偶有的な把握を並行させていて、つねに形成過程にあるという立場である。
 ケドロフの「物理学における突破口」は、周期律の本質論的段階のはじまりに対応する。
 周期律の形成過程において、実体論的段階と本質論的段階を区別するのは、ボーア原子論である。いいかえれば、ボーア原子論によって、実体論的段階から本質論的段階へと移行した。ボーアは元素の周期律を原子構造の反映と捉えた。

 次に、スプロンセンの『周期系の歴史』と対照しておこう。
(引用はじめ)
 周期表が最終的な形に落ちついたのは、周期性の本質が原子構造から説明できるようになるより前のことであった、ということは注目すべき事実である。原子構成要素粒子の発見は分類体系を疑惑のなかに投げこんだりはせず、それまでの漠然とした判断を補強することになった。
(引用おわり)
 ここで、実体論的段階とは「周期表が最終的な形に落ちついた」や「漠然とした判断」に対応し、本質論的段階とは「周期性の本質が原子構造から説明できるようになる」や「それまでの漠然とした判断を補強すること」に対応するといえる。周期表と原子構造論を区別するのはよい。しかし、『周期系の歴史』の立場が、わたしが考える周期律の形成史と決定的に違うのは、原子構造論の誕生過程が問題になっていないことである。原子構造論が周期律の外部で生まれたかのように考えられていることである。

 ケドロフは『科学的発見のアナトミア』で、ボーアの発想を紹介している。「導きの糸となったのは、いわゆる元素周期系のなかに表現されているところの原子番号にともなう独特な性質変化であった。」
 また、広重徹は『物理学史Ⅱ』でボーア原子論について、次のように述べている。「原子の構造から元素の周期律と化学結合を説明しようというJ.J.Thomsonがその原子模型で目指した目標を、Rutherfordの原子模型に基づいて、作用量子を導入することによって達成しようとする企てから生まれた。」

 周期表がボーア原子論の母胎だったのである。原子構造論は周期律の外部で誕生したのではなく、内部で生まれたのである。ボーアによって、周期律の形成過程は実体論的段階から本質論的段階へと高められる。メンデレーエフの周期表がケプラーの惑星の法則、ボーアの原子論はニュートンの運動方程式に対応しているのである。

 実体論的段階から本質論的段階への移行は、「実体的なる法則の見方」を否定することにある。いいかえれば、実体論的段階の偶有性を止揚することにある。
 実体論的段階では、元素の性質の周期的な関係は、原子量によって考えられていた。これが「実体的なる法則の見方」だった。これに対して、本質論的段階では、原子の構造から媒介され、原子の核電荷(原子番号)と電子構造における周期性によって元素の性質を考えるようになった。これが周期律の認識に「固有なる論理的な性格」である。

 原子の核電荷(原子番号)を基準に周期性を考えることによって、「逆転元素対」の偶有性は解決した(モーズリー)。原子量は同位体(陽子数が同じで中性子数が違う)の平均値となったのである。原子量は同位体の平均値だから、同位体の存在比率によって、逆転する場合がでてくる。例えば、テルルの同位体は何種類かある。その中で128Te と130Te の存在比はあわせて65パーセントに達するから、存在比100パーセントの127I の原子量との逆転がおこるのである。

 また、原子の内部電子群を考えることによって、「希土類元素群」の偶有性は解決された(パウリの排他原理)。希土類元素群は、最外殻の電子配置は同じであるが、内部の4f軌道の電子配置が違うのである。これが、一つの枠の中に、14個の希土類元素(ランタノイド)を位置づけなければならない理由である。

 わたしは周期律の本質論的段階を代表する科学者として、モーズリ、ボーア、パウリを取り上げた。この中から、一人にしぼるとき、これまで、「排他原理」によって希土類元素群の問題を最終的に解決したパウリを選んできた。いまは、ボーアのほうが妥当ではないかと思う。実体論的段階と本質論的段階の境界に立ち、原子構造論によって実体論的段階の二つの偶有性を止揚する土台を提供しているからである。

 ニュートン力学の形成過程のティコ・ケプラー・ニュートンに対応するのは、周期律の形成過程では、ベルセーリウス・メンデレーエフ・ボーアということになる。

周期表に「ウランーネプチニウムープルトニウム( Uranium - Neptunium - Plutonium )の並びがある。これに気づいたとき、周期律の形成過程とニュートン力学の形成過程の対応は予定されていたように思われ感動した。ウランはメンデレーエフが一番重い元素として自分の周期表の「限界」に位置づけていた。ネプチニウム、プルトニウムは最初の超ウラン元素として二十世紀に合成されたものである。これらの元素の名前は、太陽系の惑星と対応させたものだったのである。天王星、海王星、冥王星( Uranus - Neptune - Pluto ) である。
海王星の発見がニュートン力学の本質論的段階を特徴づけるのと同じように、ネプチニウムの合成は周期律の本質論的段階を特徴づけているのだった。

 武谷は「ニュートン力学の形成について」の中で、実体論から本質論への移行に三つの形態を指摘していた。メンデレーエフの周期表は実体論的段階にあるという立場から、「移行」の捉え方の違いをみておきたいと思う。武谷は「実体」の導入や排除によって、次のような移行を想定している。
(引用はじめ)
 実体論から本質論への移行において三つの形態が存在する。第一は実体の導入が直ちに本質論に導く場合であって、それはその実体が新たなる性質のものでない場合、すなわち海王星の導入、立体化学、物質構造論などである。
 第二に、実体がまったく機能的なものに解消される場合、それは逆に言えば機能を実体として捉えていた場合であって、これはフロギストンやエーテルなどがよい例である。
 第三に、まったく新たな実体であって、新たな論理を要求しているものである。ニュートン力学の運動方程式や、原子における量子力学等である。後に述べるように原子核物理学の新たなる諸素粒子もまたそうであろう。
(引用おわり)
 この武谷の分類は、まったく根拠がないと思われた。まず、三つに特定する理由が見当たらない。また間違ってもいる。例えば、第一の場合、海王星の導入を例に挙げているようにまったくの誤解である。ニュートン力学は、海王星の導入によって、実体論から本質論へ移行したのではなく、ニュートン力学がすでに本質論的段階にあったから、海王星の導入は、その理論的段階を特徴づけているのである。そもそも、「新たなる性質のものでない」ときに認識に進展などないのである。

 第三の場合は混乱している。「新たな論理」を要求されるのは、実体論から本質論への移行に限られるわけではない。現象論から実体論でも要求されるのである。「新たな実体」の「新たな」という形容で幻惑されるかもしれないが、実体の導入は、実体論から本質論ではなく、現象論から実体論への移行を担うものである。実体の導入と法則性の洞察は対応していると考えられる。そして、それが「実体的な法則の見方」を構成するのである。ケプラーの三法則でも、シュタールのフロギストン説でも同じである。
 実体論から本質論への移行は、「実体的なる法則の見方」を否定することによって実現するといえるだけだと考える。この否定の特殊な場合として、第二の場合(実体の機能化)はありうると思う。

 実体論のもつ偶有性を止揚することが、本質論への移行である。ボーア原子論は、新たな実体ではなく、実体論的段階の偶有性の止揚と対応している。
 同じように、ニュートンの運動方程式も「新たな実体」ではない。ケプラーとガリレイの「実体的なる法則の見方」の否定であり、それらのもつ偶有性の止揚と考えるべきだと思う。

 自然認識の論理的な順序として武谷三段階論をみるとき、武谷固有の三段階論は実体論的段階にあるのではないかと思う。武谷の「実体」は「偶有性」を含んでいるのである。

(了)





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