対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

弁証法の漢字ひらがなモデル1

2015-02-13 | 弁証法
はじめに

 弁証法は「対話をモデルにした思考方法で、認識における対立物を統一する技術」である。これは中埜肇と上山春平を統一したものである。

 中埜肇は弁証法を「対話をモデルにした思考方法」と考え、上山春平は「認識における対立物の統一」と考えていた。しかし、中埜は「対話」を分析するさい、上山は「問題解決の過程」を分析するさいに、「論理的なものの三側面」の規定と対応させていた。このために「対話をモデルにした思考方法」も「認識における対立物の統一」も歪曲されているように思われた。

 中埜の「対話」と上山の「問題解決の過程」を具体的に止揚していく過程は「試論2003」(「弁証法試論」第5・6章)において示している。ここではその具体的な過程には立ち入らず、漢字とひらがなのモデルを使って止揚の過程を表現したいと思う。

   第5章  対立物の統一と対話
   第6章 複合論


オオイヌノフグリ

2015-02-12 | 日記
 大犬の陰嚢と書く。実の形に着目した名前だが、花の色に着目した方が良かったのではないだろうか。「瑠璃唐草」(るりからぐさ) や「星の瞳」(ほしのひとみ)という別名がある。

  「犬ふぐり 星のまたたく 如くなり」 高浜虚子

 

 花の色はコバルトブルーや瑠璃色と形容される。しかし、色見本と比べると花脈は濃いが、全体としてもっと淡い印象を受ける。撮った写真の色を調べると16進数とRGBカラーコードで#9cbdff(156,189,255)くらいである。これはコバルトブルー#0047ab(0,71,171)や瑠璃色#2a5caa(42,92,170)よりも、空色(そらいろ)#90d7ec(144,215,236)、天色(あまいろ)#2ca9e1(44,169,225)、水色(みずいろ)#bce2e8(188,226,232) に近い。

 花の色を天空色(てんくういろ)と名づけることにしよう。天空の城ラピュタ、天空の色ホシノヒトミ。

椿

2015-02-11 | 日記
 「つばき」は厚い葉の木「厚葉木(あつばき)」に由来するらしい。椿のつぼみは眠りが浅い。桜が3・4月まで眠りつづけるのに、1・2月の暖かい光に敏感に反応して目覚める。春をつげる木、椿。鳥媒花である。「椿」は国字ではなく国訓である。

 メジロやヒヨドリが赤い花に誘われる。花粉が花びらにこぼれている。

  

表出の品詞論8

2015-02-10 | 自己表出と指示表出
 これに対して、詞と辞を区別する品詞論は表出の粒子説ということができる。

 「彼が信念と勇気とをもっているならば彼はその仕事をなしとげるだろう」

 「彼」の指示表出、「が」の自己表出、「信念」の指示表出、「と」の自己表出を読んでいくことになる。一つひとつの品詞は白黒と識別できる。「彼」の指示性を読み次に「が」の関係性を読む。また「信念」の指示性を読み「と」の関係性を読む。このように表出の指示性と関係性は非連続的につながっている。

 波動の場合も粒子の場合も、一つの文章のなかで自己表出と指示表出の合計は同じである。 (了)

表出の品詞論7

2015-02-09 | 自己表出と指示表出
7 表出の波動説と粒子説

 吉本隆明の品詞論は、いわば表出の波動説である。一つの品詞のなかで自己表出と指示表出の2つの契機は並存していて、次の品詞の自己表出と指示表出の契機へとつながっていく。

 「彼が信念と勇気とをもっているならば彼はその仕事をなしとげるだろう」

 「彼」の自己表出と指示表出、「が」の自己表出と指示表出、「信念」の自己表出と指示表出、「と」の自己表出と指示表出を読んでいくことになる。自己表出の関係性と指示表出の指示性は、一つの品詞のなかで揺れながら、次の品詞へとつながっていく。自己表出を白色、指示表出を黒色とすれば、一つひとつの品詞は濃淡の差はあるが灰色にみえる。

さざんか

2015-02-06 | 日記
 山茶花と書く。しかし、中国では「山茶花」は「椿」(ツバキ)を指すという。誤って定着したらしい。「たき火」の歌詞が思い起こされる。「さざんか さざんか さいたみち たきびだ たきびだ おちばたき」

  

表出の品詞論6

2015-02-04 | 自己表出と指示表出
6 品詞論の違い

 吉本隆明の品詞論はすべての品詞について強弱の違いはあるにせよ、自己表出と指示表出の側面を指摘するものである。
     
   
  
 しかし、私は指示表出の品詞(指示詞)と自己表出の品詞(関係詞)を区別しようと思う。これは吉本が基礎にした時枝誠記や三浦つとむの品詞論に戻ることを意味する。傾向性やアクセントとして想定された詞・辞や客体的・主体的表現の区別を二分概念として捉えなおすのである。吉本の品詞論は言語の構造に基づいている。これに対して私の品詞論は表出の根拠の違いに基づいている。

表出の品詞論5

2015-02-03 | 自己表出と指示表出
5 「詞」は指示表出、「辞」は自己表出

 記号の2つのグループは指示詞・関係詞とよぶことができる。しかし鈴木朖の分類を継承し発展させたのは時枝誠記である。敬意を表して二つのグループを「詞」・「辞」としよう。

 悟性と詞が対応する。理性と辞が対応する。悟性と理性は指示表出と自己表出と対応しているから、指示表出は詞と対応する。自己表出は辞と対応する。

表出の品詞論4

2015-02-02 | 吉本隆明
4 指示と関係

 三浦つとむは『日本語はどういう言語か』のなかで、語を根本的に二つに区別する鈴木朖(アキラ)の「言語四種論」(1824)をとりあげている。鈴木は「体の詞」・「作用の詞」・「形状の詞」の「三種の詞」と「てにをは」を区別し、次のように特徴づけている。前が「三種の詞」、後が「てにをは」である。

  さす所あり・さす所なし
  詞なり・声なり
  物事をさし顕して詞となり・其の詞につける心の声なり
  詞は玉の如く・緒の如し
  詞は器物の如く・それを使ひ動かす手の如し
  詞はテニヲハならでは働かず・詞ならではつく所なし

 三浦つとむは「物事をさし顕して」と「心の声」に着目して客体的・主体的な表現を見る。私はさす所の有無、玉と緒、器と手に着目して、指示・関係を見よう。