映像授業 2016-12-16 | 日記 You Tube には「授業」や「講義」がたくさんアップされている。今日、映像授業TryITの「高校物理」のいくつかをみていた。コンパクトにまとまっている印象を受けた。黒板に図や問題やまとめの映像が投影され、それをもとにチョークを使って講義をしていた。よく準備された授業である。
休肝日 2016-12-15 | 日記 先週の土曜日にビールがなくなった。日曜日に焼酎がなくなった。がんばって、補充はしていない。月曜日にはお土産の日本酒300ccを飲んだ。火曜日、水曜日と酒なしである。今日もなしで行けそうである。飲みたくなっても酒はないのである。
干し柿みたび 2016-12-14 | 日記 干し柿がうまい。いま食べているのは干して4週目の柿になる。外側に糖の白い粉が少しふきでている。2週目から食べられた。思いがけない収穫である。あと少し残っているが、三度、干し柿を作ろうと思った。木にはまだ数十個付いている。鳥が食べに来ている。すぐ行動に移った。梯子に登って、20個ほどついている一枝を切った。バラバラにして、皮をむいて、ひもにかけ、15個吊るした。正月用である。思い立ってから、40分ほどで完了した。自分でも驚くほど手際がよかった。
飛騨市図書館タイムスリップ 2016-12-13 | 飛騨 飛騨市図書館は、瀧たちが三葉の住む糸守町について調べた図書館のモデルである。映画では内部も外部も正確に描写されている。 5年ほど前の1年間に何度か利用したことがある。「一所不在」ということばは存在するのかどうか調べていた。辞書を片端からみていった。そのなかに「新明解四字熟語辞典」(三省堂)があった。「一所不住」の「住」を「在」と書き誤らないように注意してあった。疑問は解消した。「一所不在」はない。〈一所不住と縁 ――「農大無謡」考〉参照。 50年ほど遡ると、図書館はもとより市役所もない。同級生のM君の家があり、母の勤めていたY製作所があった。製作所の裏は、原っぱでレールが敷かれていて、トロッコがあった。大きな池もあった。
飛騨古川駅 2016-12-12 | 飛騨 映画「君の名は。」をみてきた。きれいで精密な画。思いがけない展開。初めから最後まで楽しめるファンタジーである。「糸守」町は、映画のなかに出てくる地図を現実の地図と重ねると飛騨市「古川」町である。 飛騨古川駅は、「三葉」(女主人公)を探すために飛騨へやってきた「瀧」(男主人公)たちが降り立つ駅である。よく知っている駅である。映像をみていて、あれっ、と思った。上りの車線に、下りの「ワイドビューひだ」が入ってくるではないか。監督は跨線橋に興味をもち、瀧たちに渡らせたかったのだろう。実際は、下りは改札のあるホームに降りることになっていて、跨線橋を使う必要はないのである。上りの列車(高山、岐阜、名古屋方面)に乗るときに渡るのである。
作業着 2016-12-09 | 日記 農作業や果実の収穫するとき、たいてい作業着に着替えている。部屋の掃除は普段着のままである。掃除といっても掃除機をかける程度で、拭き掃除はほとんどやってこなかった。拭き掃除の基本は「雑巾で水ぶき」と指摘するサイトに刺激されて、午前中、拭き掃除をやった。そのとき、膝がすれてもいいように作業着に着替えた。家の中では初めてである。これがよかった。能率的で集中できる。外でも内でも作業するときは作業着が一番である。
バスタオル不要論 2016-12-08 | ノート 風呂上がりにバスタオルを使うのは娘だけである。妻もわたしも使わない。妻の理由は知らない。わたしにはきっかけがあった。 ドナルド・キーンのエッセイだったと思う。銭湯でのこと、日本手拭の使い方に注目している場面があった。20年以上前の記憶である。風呂のなかでは手拭で体を洗い、上がってからは絞りながら体を拭いている。1本の日本手拭ですべてを済ませていること感心していた。これがきっかけで、バスタオルは使わなくなった。日本手拭は試したが使いにくかった。ホテルや旅館で用意してあるペラペラの薄いタオルが断然使いやすかった。いまはもっぱらこの薄いタオルである。1本ですべて済む。生活習慣である。洗濯の量が違うだろう。相撲部屋はともかく一般の家庭でバスタオルは要らないのではないだろうか。
生活習慣 2016-12-07 | 日記 昨年の今頃は酒を飲んでいなかった。信じられないが飲みたくなかったのである。しかし今はダメだ。残り少なくなると買い足している。飲んで食べている。たいてい最後は記憶がない。体重は70キロ台に戻った。夜中に目が覚めるようになった。運動するように努力しているつもりだが、このごろはラジオ体操をサボっている。今週は無理だが、来週から見直すことになるだろう。
「わたしの城下町」 2016-12-05 | 飛騨 小柳ルミ子が昭和46年に歌った「わたしの城下町」。この「城下町」は、「瀬戸の花嫁」のイメージもあって、四国や中国地方の「城下町」だと思っていた。しかし、この城下町のモデルは「飛騨高山」であった。金森長近の城下町である。昨日、塩崎隆氏の講演「流行歌とともに歩んで」を聞いてきた。塩崎氏は11年ほど飛騨高山で暮らしていたという。氏が最初にプロデュースしたのが「わたしの城下町」で、作詞家の安井かずみに依頼するとき、高山の思い出を語ったのだという。