対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

柿花落

2017-05-17 | 日記
柿の花が大量に落ちている。昨年はミカンで、今年はカキ。花ボケで、生理落花しているのだと思った。花の数が多いのである。

しかし、調べてみて、これまで気づかなかっただけで、正常なのかもしれないと思えるようになった。「花は終わりかけになると、ボトボトッと、音をたてて地面にどんどん落ちる。その場に居合わせると壮観」とあった(「季節の花300」)。「柿花落」という季語もあるという。読みは「かきのはなおつ」らしい。知らないことばかりである。この柿は渋柿だが、その種類を知らない。

双葉

2017-05-16 | 紅葉葵、栽培記録
モミジアオイは10個ほど発芽し、双葉が開いてきた。これからも続くだろう。

画には、茶褐色の種、発芽した白い芽、閉じた双葉、開いた双葉が写っている(白い芽のすぐ左の黄緑色はモミジアオイではない)。
開いた双葉のうち、4つは別の鉢に移した。双葉から本葉が出てくるようだ。楽しみである。

ツマグロヒョウモン

2017-05-15 | 日記
2匹の蝶が、ひらひらと舞っていた。10センチほどの距離を保ちながら1分以上、庭の東側から西側、そしてまた東側へと飛んでいた。翅の色が違っていて、オスとメスなのである。足元にも来て、2匹の蝶の舞いを見下ろす場面もあった。カメラをもってくる間に2匹はいなくなった。探していると、1匹がいちじくの葉の上にいた。

調べてみた。これはツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)のオスのようだ。

みかんの花

2017-05-12 | 日記
蜜柑の花が咲きはじめた。例年と比べると遅い。香りが漂う。ジャスミンに似ていると思う。クマンバチや蜜蜂、アゲハが花にひかれてやってきている。

もう1本の蜜柑(昨年、花ボケした)は新しい葉は出てきているが、まだ蕾を数個数えるだけである。

システムの復元

2017-05-11 | 日記
しばらく順調に起動していたが、5月になって、調子が悪くなった。また起動が途中で止まるようになった。今日もダメだった。5月になって3回目である。しかし、うろたえるわけではない。セーフモードを使ってシステムを復元するだけである。復元ポイントは自動で作成されているし、システムの復元はドキュメントに影響がないので、正常に起動するまでに時間がかかるだけである。
windowsが起動できないとき、CPが自動的にシステムを復元して起動できるようになっているといい。

ドクガの毒針毛

2017-05-10 | 日記
毛虫が1匹、柿の枝を這っていた。ドクガ(毒蛾)の幼虫だった。(以前、ツバキがチャドクガにやられた。)さがしてみると何匹か葉を食べている。毒針毛がすごい。皮膚にふれると、赤く腫れあがりかぶれるという。

発芽

2017-05-09 | 紅葉葵、栽培記録
去年はモミジアオイの種を庭に直接まいて観察していた。しかし、全く変化は見られなかった。発芽も確認できなかった。今年は先週、庭の土をプラスチックの容器に入れ、その上に20個ほど蒔いた。乾燥に気をつけていた。日にも当てるようにしていた。黒い殻から白い芽が出てきた。3個発芽している。殻がとれないと枯れていくという。殻がとれると双葉が展開していくようだ。しばらく様子見である。

茶を食べる

2017-05-08 | 日記
ふきのとうをごま油で炒めて、味噌とからめる。わが家の食べ方である。これを新茶の生葉でやってみた。生葉をごま油で炒める。しんなりする程度。味噌(「つけてみそかけてみそ」)とからめる。いい感じである。初夏の味覚。また、ごま油で炒めた生葉を塩で食べる。こちらもよい。楽しみが増えた。

ヒバカリ

2017-05-05 | 日記
雑草対策でカーペットを敷いている場所がある。蜜柑の木の下もその1つである。10数年ぶりにめくってみた。幼い蛇がいた。白っぽく見えた。生まれたばかりなのだろうか。何年か経っているのだろうか。乗っているのは木の根で、直径2センチほどである。これまで成体は見たことがあるが、幼蛇は初めてである。家の床下にいるものと思っていた。

本州に生息している蛇は8種類だという。1アオダイショウ・2シマヘビ・3ジムグリ・4ヤマカガシ・5ヒバカリ・6シロマダラ・7マムシ・8タカチホヘビ。成体の記憶と特徴「体色は淡褐色や褐色。吻端から口角、頸部にかけて白や淡黄色の斑紋が入る」からヒバカリ(日計、日量、竹根蛇)ではないかと思う。

花桃のためらい

2017-05-04 | 日記
花桃の花はまだ残っている。花桃は花を観賞するように改良された桃である。花に近づいてみると中央に緑色がある。これはしべ(蕊)ではなく花びらである。

『胎児の世界』(三木成夫著、中公新書、1983)に次のようにある。(括弧はゲーテの「植物メタモルフォーゼ」より)
(引用はじめ)
こうしてどんな植物も時至れば「抑え難い衝動と力強いはげみによって、花を咲かせ、愛の営みにいそしむ」のであるが、この自然の流れには、ときに、あるとどこおりが現われる。
「八重の花が開くのは、雄しべ雌しべの代わりに花びらばかりが出る時で……」
そこでは”愛の営み”の一歩手前で、華やかなためらいが長短さまざまに見られることになる。
(引用おわり)
花桃、華やかなためらい。