三日月の幅は離心円の半径の0.00429倍である。ケストラーも山本義隆も、離心円とその内側に楕円を描いて、三日月の幅が0.00429であると記している。しかし、この値は楕円軌道が発見される前の観測値であり、楕円軌道発見の後の値とは違っているのではないか。いいかえれば、切り取られるべき三日月の幅は0.00429だったが、実際に切り取られた幅の値ではなかった。正割の代わりに半径(直径距離)を用いるというケプラーの方法を正確に適用することによって、この値を求めてみよう。
午後からミカンを収穫した。今季、何度か目で、10キロほど採った。まだ、少し残っていて、あと1、2度とるつもりだ。天気もよくて汗ばんでしまった。今季はヒヨドリがよく啄みに来ている。メジロより多く来ているのではないだろうか。
昨年の3月にカメラを新調したころは、冬鳥がいなくなっていく時期で、メジロを撮りそこねてしまった。心残りで、気にしていた。この冬、鳴き声は聞くし、よく見かけるのだが、すばしこくて、シャッターを押すチャンスがなかなかなかった。
脚立を片付けているとき、チルチル小さな鳴き声が聞こえた。枇杷の木にいた。しかし、うまく撮れない。そのうち、ミカンの方に移動していった。追ってみたが、やはり撮れない。姿は見えなくなるが、それでもまったく別の場所へ行ってしまうわけではなく、近くにいる気配はしていた。それで、ミカンの木の下の椅子に腰かけて待つことにした。
しばらくすると、気配を殺していたのが功を奏したのか、目の前にメジロが飛んできて、実を啄みはじめた。
昨年の3月にカメラを新調したころは、冬鳥がいなくなっていく時期で、メジロを撮りそこねてしまった。心残りで、気にしていた。この冬、鳴き声は聞くし、よく見かけるのだが、すばしこくて、シャッターを押すチャンスがなかなかなかった。
脚立を片付けているとき、チルチル小さな鳴き声が聞こえた。枇杷の木にいた。しかし、うまく撮れない。そのうち、ミカンの方に移動していった。追ってみたが、やはり撮れない。姿は見えなくなるが、それでもまったく別の場所へ行ってしまうわけではなく、近くにいる気配はしていた。それで、ミカンの木の下の椅子に腰かけて待つことにした。
しばらくすると、気配を殺していたのが功を奏したのか、目の前にメジロが飛んできて、実を啄みはじめた。
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昼近くになっても、庭は寒かった。ジョウビタキのカッ、カッという鳴き声に誘われて、出てきたものの、姿はなかった。椅子に座って、待っていると、南天の枝に止まった。そのうち、地面に降りて、虫を探しはじめた。
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30年ほど前、森毅の本を読み始めたころ、柔軟な思考に感心するばかりであった。1は0桁、10は1桁、100は2桁とすると、2は何桁といえばよいか。それは0と1の間になるはずである。2の累乗を見ていくと、210=1024≒1000で、10回で3桁になるから、2は約0.3桁である。同じように、3なら32=9≒10で、2回で1桁になるから3は約0.5桁である。
高校生のとき、対数表のlog102=0.3010、log103=0.4771をみて、桁数とは思っていなかったが、たしかに10を底とする対数とは〈桁数〉のことなのであった。
高校生のとき、対数表のlog102=0.3010、log103=0.4771をみて、桁数とは思っていなかったが、たしかに10を底とする対数とは〈桁数〉のことなのであった。
ブッシュマンの数え方だと聞いたことがあった。これは、3以上は区別できないということではなく、1と2は3と区別するが、3以上は全部同じ原理で捉えるということのようだ。(『数字とことばの不思議な話』(窪薗晴夫著、岩波ジュニア新書、2011)で「ホップ、ステップ、ジャンプの原理」と名付けられている。)
「1、2、たくさん。」において、1と2は特別扱いだが、3以上は規則的に一括処理される。それは日本語や英語の数え方にも見られる。
日本語
「一人、二人、三人、四人、五人、…」
ふつうは、次のように読む。
「ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん、…」
「ひとり」と「ふたり」は訓読みで、「さんにん」以上は音読みになり、「数-にん」になる。
英語
once, twice, three times, four times, five times,…
3回以上は、特別な語を用いず一括して「数-times」である。
「1、2、たくさん。」において、1と2は特別扱いだが、3以上は規則的に一括処理される。それは日本語や英語の数え方にも見られる。
日本語
「一人、二人、三人、四人、五人、…」
ふつうは、次のように読む。
「ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん、…」
「ひとり」と「ふたり」は訓読みで、「さんにん」以上は音読みになり、「数-にん」になる。
英語
once, twice, three times, four times, five times,…
3回以上は、特別な語を用いず一括して「数-times」である。
朝から日差しがあって気持ちがいい。昨年末、カキやハナモモやナンキンハゼの枝は切り落として、鳥が憩える場所は少なくなっている。今年は、さらに枇杷を切る予定である。朝、ヒヨドリは枇杷の木にいて鳴いていた。近づくと、警戒して飛び立ち、幹だけになっている柿の木の切断面に止まった。そのうち、サザンカの木に移った。枝は細く、たわんでもよさそうなものだが、軽いのだろう、変化は感じられない。花を啄んでいる。
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咥えているのは雄しべである。
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咥えているのは雄しべである。
土曜日、名古屋で昼食の後。古い商店街を駅方面に歩いているとき、北へ向かっているとばかり思っていたが、実際は西に向かっていた。家族でわたしだけが向きを間違えていた。目印になる建物の位置関係は合っている。向きだけが違うのであった。最初から違っているように思われた。家に帰って地図を見た。栄と名古屋駅は東西である。名古屋駅とI市は南北である。反省してみると、栄と名古屋駅を南北と思い込んでいた。名古屋にいて駅に向かうのは家(I市)に帰ることを意味しているから、名古屋駅とI市の南北の位置関係だけが意識され、その手前の位置関係はないものとして長い間処理してきたのではないかと思われた。
あぐむ
2018-01-08 | 飛騨
おせち料理が3日も続くとさすがに飽きてくる。このようなときの気分は「あぐむ」と表現するとぴったりするのだが、子供には通じなかった。「飽ぐむ」と表記するのかと思っていたが、辞書には「倦む」しか載っていなかった。飛騨地方の方言であった。近いのは「飽く」(1.十分に満足する、心ゆく。2.程度が過ぎていやになる。)である。「倦む」と表記しては飛騨の「あぐむ」ではない。考えあぐむ、攻めあぐむなど、「倦む」の場合、嫌気がするのは同じだが、事が成し遂げられていない。しかし、「飽ぐむ」の場合、「飽和」に達した後の嫌気である。
「あぐむ」の英訳、be tired of(=having a strong distaste from surfeit)。
「あぐむ」の英訳、be tired of(=having a strong distaste from surfeit)。