対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ウラジロチチコグサ

2018-06-15 | 庭の草木
駐車場から裏口の辺りまで、いままで見たことのない雑草が生えてきている。生育にばらつきがあり、高いものや低いもの、褐色のものや緑のものがある。ロゼットから伸びてきていて、通路に林立している感じである。試しに数本抜いてみると、わりと簡単に抜ける。刈る手間はかからないと思われるが、ちょっと数が多い。

ウラジロチチコグサ(裏白父子草)だろう。葉の裏が白い。綿毛が飛ぶ。南米原産で、昭和40年代に渡来したのだという。

ヒメジョオンの花

2018-06-14 | 庭の草木
ここしばらく、ヒメジョンと書いていたが、ヒメジョオン(姫女菀)が正しい。ヒメジオンでもない。
ヒメジョオンの花は小さな花の集まりで、中央に黄色の管状花が、まわりに白い舌状花が並ぶ。最近は刈るだけの「雑草」になっていたが、よく見れば、素朴で美しい花である。
ハチが引き寄せられ、花粉をあびていた。

探究の三段階論

2018-06-13 | アブダクション
『弁証法の系譜』(上山春平著、こぶし書房、2005)をパースに着目して読み直している。「探究の三段階」という表現があることを知った。1905年ころの草稿だという。「私は、いま、探究の三段階における推論過程の正当な根拠に関して、私の到達している結論を述べたいと思う。」
「探究の三段階における推論過程」とは、「アブダクション→ディダクション→インダクション」のことである。パースの最終の定式は次のようなものである。
(引用はじめ)上山が要約したパースの定式をピックアップして引用。
「アブダクション」は、探究の第1段階であり、仮説形成(新しい理論の発見、新しい着想)の過程である。この過程は、現象の観察を起点とし、仮説の発見をへて、仮説の定立におわる。
「ディダクション」は探究の第2段階であり、「アブダクション」の提供する仮説をテストするために、それを論理的推論の前提にくみかえ、そこからあらゆる可能な結論をひきだす過程である。
「インダクション」は、探究の第3段階であり、「アブダクション」の提供する仮説から、「ディダクション」によってひきだされた可能な論理的結論を、事実とつきあわせて、仮説の真理性を確証する過程である。
(引用おわり)
この探究の三段階論はアインシュタインの思考モデルと対応すると想定しているものである。ホルトンはアインシュタインの思考モデルを「EJASE過程」と呼んだが、仮説が確証されることに着目すれば、最後にAを追加して「EJASEA過程」と呼ぶのもよいだろう。このように見ると、探究の三段階と思考モデルは次のような対応になる。思考モデルでは、Aは「公理」となっているが、ここでは「仮説」と考えている。

アブダクション(仮説)  EJA
ディダクション(演繹)  AS
インダクション(帰納)  SEA


単純な対応だが、便利な点は、連結が見やすいことである。仮説Aを段階ごとに確認できる。
このように探究の三段階の定式は受容できるが、パースのアブダクションの定式は、この三段階論においても維持されているのだろうか。疑問としなければならない。

パースのアブダクション(仮説)は、規則と結果から事例を推論するものである。
(1)この袋の豆はすべて白い(規則)、
(2)これらの豆は白い(結果)、
(3)ゆえに、これらの豆はこの袋の豆である(事例)。
これに対して、ディダクション(演繹)は、規則と事例から結果を推論するものである。
(1)この袋の豆はすべて白い(規則)、
(2) これらの豆はこの袋の豆である(事例)、
(3)ゆえに、これらの豆は白い(結果)。
この1アブダクションと2ディダクションをつないでみよう。

1規則・結果・事例――2規則・事例・結果。

三段階論のアブダクションは仮説の形成であり、この仮説はディダクションの出発点となっている。それは「規則」に対応するはずである。しかし、パースの定式の第3項目は「事例」になっていて、ディダクションの第1項「規則」とつながっていない。

パースのアブダクションの定式に立ち入ってみよう。

ヨウシュヤマゴボウ咲く

2018-06-12 | 庭の草木
つぼみを見つけてから、10日ほどだが、生長が速い。太くなっている。高くなっている。ヨウシュヤマゴボウだけでなく、ヒメジョンの数と丈もかなりのものである。ヨウシュヤマゴボウは咲きはじめているのだが、気になったのは、花よりもそこにいた昆虫である。カマキリだろうか。



枇杷の実と椋鳥

2018-06-11 | 庭に来る鳥
今年は枇杷の実をよく採っている。これまでは枇杷酒や枇杷種酒を作ったりしたが、今年は生で食べるだけにした。甘くみずみずしい。妻にも娘にも評判である。知り合いにも分けている。採ったときは小粒だと思っても台所でみるとけっこう大粒だったりした。また、まだ熟していないと思うような実も、表面の白い粉を指で拭いてみると十分熟していたりする。
ヒヨドリ、スズメときて、今日はムクドリが撮れた。

思考モデルと探究モデル

2018-06-08 | アブダクション
ホルトンは、アインシュタインの思考モデルを、科学理論の形成にたいするEJASE過程と呼んでいる。


以前、EJA過程に着目して、ここに伊東俊太郎の「発見的思考」を重ねてみた。この対応は拡張できるのではないか。

EJA  アブダクション(仮説)
AS  ディダクション(演繹)
SE  インダクション(帰納)

いいかえれば、アインシュタインの思考モデルとパース探究モデルは対応する。
上山春平によるとパース探究過程は次のようである。(『弁証法の系譜』より)
(引用はじめ)
パースの論理思想の基本的性質は、つぎの言葉に要約されている。「アブダクションは、仮説を形成する過程であり、……ディダクションはヒントにもとづいて予見をひきだし、インダクションは、この予見をテストする」。パースによれば、≪アブダクション≫とは、現象の観察を出発点とし、仮説の発見をへて、仮説の定立にいたる仮説形成(新しい着想、新しい理論の発見)の過程、≪ディダクション≫とは、≪アブダクション≫の提供する仮説を論理的推論の前提命題に組みかえ、そこから論理的に可能な結論をひきだす過程、≪インダクション≫とは、≪ディダクション≫によってひきだされた論理的結論を、事実とつきあわせることによって、≪アブダクション≫によって提供された仮説の真偽(真理性)を検証する過程をさす。
(引用おわり)

枇杷雀図

2018-06-07 | 庭に来る鳥
昨日、梅雨入り。天気予報を見ると、今日を外すとしばらく洗濯ができないようだ。洗濯物を干すときはまだ曇っていたが、昼近くになって予報通り晴れてきた。
枇杷は熟してきているが、それでもまだ2割程度である。鳥が来るのが収穫の合図である。熟した大粒の実だけをいくつか採ってみた。
にぎわしい鳴き声、一番集まっているのはスズメである。動きが機敏で、なかなか撮れなかった。今日は気づかれず近づくことができた。

熟した実だけを啄んでいる。

直感、直観、直覚。

2018-06-06 | ノート
手元の英和辞典で、intuitionを引くと、直感、直観、直覚と3つ出てくる。いずれの訳も、推理や思考によらず、感覚によって物事を直接的にとらえることを指している。
ネットによると、intuitionは最初、西周によって「直覚」と訳されたが、徐々に「直観」に代わっていったとある。「直観」も「直覚」も、字形は違うが、中国に輸出されているという。intuitionのtuにはlookの意味があり、直「観」が正しい訳だという記事も見た。「直感」の履歴は見なかったが、『アインシュタイン・ロマン』2(NHK、1991)の思考モデルでは、最初の飛躍(J)を「直感」的と形容している。わたしに馴染みがあるのは「直観」だが、感覚を高度な「視覚」だけに限定する必要もなく、聴覚や臭・味・触覚を含めて広くとらえるのも「あり」かなと思う。「科学理論の形成に関するアインシュタインのモデル」(ホルトン、亀井理訳)では、最初の飛躍は「直観」的と形容されている。
「直観」と「直感」は見たことがあるのだが、「直覚」はなかった。正確にいえば、記憶になかった。「如何にして私は相対性理論を創ったか」(アインシュタイン京都講演、1922、石原純訳)に「直覚」があった。
(引用はじめ)
(前略)このマイケルソンの実験の不思議な結果を知り、そしてこれを事実と承認すれば、恐らくはエーテルに対する地球の運動ということを考えるのは私たちの誤りであろうと直覚するに至りました。つまりこれが私を今日、特殊相対性原理と名づけているものに導いた最初の路だったので、このとき以来私は、(後略)
(引用おわり)『アインシュタイン相対性理論の誕生』(我孫子誠也、講談社現代新書、2004)より。

枇杷の実とヒヨドリ

2018-06-05 | 庭に来る鳥
冬の間はほぼ毎日、ヒヨドリの鳴き声を聞いたり姿を見たりしていたが、暖かくなって、あまり見かけなくなっていた。ユスラウメの実に寄ってきたとき、久しぶりに見たが、その後また見かけなくなっていた。今日、ヒヨドリの鳴き声が枇杷の木から聞こえた。近寄っていくと、その姿があった。

「冬鳥」とばかり思っていたが、「留鳥」に変わってきているのだという。「留鳥」としている記事もあった。