対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ヒヨドリかメジロか

2019-03-15 | 庭に来る鳥
上の方にあるみかんはほとんどが食べられ皮だけになっている。実があるのは低いところにあるみかんだけである。食べづらいのだと思われる。地上1メートルほどの高さに実があるみかんと食べさしのみかんがあった。このあたりで見かけたのはヒヨドリだったので、これはヒヨドリの食べさしではないかと思っていた。
今日、気配をころして近づいてみると、ヒヨドリではなかった。メジロがいた。

最初からメジロだったのだろうか。それとも、ヒヨドリの食べさしをメジロが啄んでいるのだろうか。

鳥の体は軽い。ヒヨドリはメジロの何倍も重いだろうが、しかし、この程度の枝なら十分だろうと思われる。食べさしはヒヨドリだった可能性はある。メジロだった可能性もある。ヒヨドリかメジロか、ではなく、ヒヨドリもメジロも、と思われる。

キジバトがエサを啄んでいた

2019-03-14 | 庭に来る鳥
ペアで見る機会が多いが、今日はシングルだった。久しぶりのキジバトである。のんびりとエサを啄(ついば)んでいた。それをのんびり眺めていた。いま庭を掘り起こしているので、地中にあった芽や茎や種、昆虫の幼虫やミミズなどが地表に出てきて、いいエサ場になっているのだろう。耕していない場所にもエサは豊富にあるようだ。

幼いスギナ、ツクシも出できている。

蕗の塔

2019-03-13 | 庭の草木
ふきの薹(花茎)が生長して花として背が高くなった花茎を塔に見立てる。蕗の花の別名である。蕗の葉とは地下茎で繋がっている。葉の濃い緑と花の淡い緑の対照は味わいがある。

ピントレは続けているけれど

2019-03-11 | 日記
測定すれば血糖値は高いけれど自覚症状はない。また、薬を飲んでいればHbA1c(ヘモグロビンA1c)の値は改善したこともあって、以前から食事のカロリーはほとんど意識していない。食事療法をやっていないのに等しい。これがそもそもダメなのはわかっているのだが。
それでもHbA1cの値は気にしていた。ピントレを続けているのも根底にあるのはその値の改善である。ピントレは、丸々2か月は実行している。しばらく前に期待をもって測定したが、残念な結果だった。悪化していた。ピントレをやっていなければもっと値は悪かったのだろう。この間、正月独特の食事があった。最近また酒を飲むようになっている。このためにピントレの効果が打ち消されたのだろう。
ピントレは運動だから効果がないわけではないだろう。食事に注意しながら続けていくことにしよう。

庭にいる時間が長くなった

2019-03-08 | 日記
今年は野菜を作るつもりである。今はジャガイモを植える準備をしている。庭のカンナの球根を掘り起こして、2坪ほどの畑を確保した。根切り虫と思われる幼虫を2ひき見つけた。今日は肥料を入れた。種芋の芽出しをしている。これは種芋を日に当てて発芽を促すものである。初めての試みである。これまでもその都度確認しながら作ってきたが、全く身についていない。基礎的な知識と技能を身につけるつもりでやっていきたいと思う。

セイヨウタンポポ綿毛の蕾

2019-03-07 | 庭の草木
昨日見たタンポポの近くにタンポポの蕾があった。一つは先端が白いもの、もう一つは黄色いものである。これはセイヨウタンポポの花の蕾ではないが、別の種類のものとも思えない。何だろうと思った。



これは花が咲いた後、種子が生長していく過程の2つの段階であった。タンポポは開花した後、花茎が倒れて種子の成熟を待ち、再度立ち上がって綿毛を作る。これも知らなかった。下の写真の倒れている赤紫の花茎の近くから黄緑の茎が伸びているが、この先についているのが上の写真の綿毛の蕾である。また、まわりの綿毛は別の茎から舞い落ちてきたものである。
この前の段階を見ておこう。昨日見た蕾は今日咲いていた。昨日咲いていた花は閉じ始めていた。

写真の右側が昨日の蕾が開いたもの、左が昨日咲いていた花が閉じ始めたもの。左の茎が倒れて上の写真へと繋がっていく。

セイヨウタンポポの蕾

2019-03-06 | 庭の草木
庭のあちこちでタンポポの黄色の花が目立つようになった。それを見ていたのだが、近くにかたく閉じた緑の蕾(つぼみ)らしきものに気づいた。花の後の白い綿毛はなじんでいるが、花の前の蕾はこれまで気にしてこなかった。

蕾の形はタンポポの種類によって違うようである。形を比較してみると、これはセイヨウタンポポの蕾だった。しばらくこのままなのだろうか。それとも明日には開きはじめるのだろうか。

病気の椿

2019-03-05 | 庭の草木
一昨年チャドクガが転移したツバキは、昨年たくさんの花を咲かせていたが、今年は一つも花が咲いていない。葉も貧弱である。花芽はチャドクガに食べられてしまったのだろう。
最初にチャドクガに気づいたツバキは回復傾向にあるが、病を引きづっている。

「헤이다」の由来2

2019-03-04 | ハングル
約束약속のなかの그대 헤일 수 없는 맘(クデ ヘイルス オムヌン マム )から헤이다という単語を取り出したが、手元の『コスモス朝和辞典』には載っていなかった。また、ネットで検索したがわからなかった。そのとき近くの図書館で調べた一番大きな辞書は『朝鮮語大辞典』大阪外国語大学朝鮮語研究室編(角川書店)だった。そこにも載っていなかった。関連ありそうな헤아리다(数える、推し量る、察する)はあったが、これは『コスモス朝和辞典』にもある単語だった。
しばらくして、ヤフーの知恵袋(「韓国語の単語について」ベストアンサー2010年1月)をみつけて疑問が解消した。〈基本形は「헤이다」ですが、本来の形は「헤다」です。大きな辞書を引くと「세다(数える)」の方言形として登録されています。〉
さて、あらためて『朝鮮語大辞典』を見てみた。やはり「헤이다」は見出し語としてはなかった。「세다」の説明のなかに方言形の指示があるのかと思ったがそれもなかった。「헤다」の見出し語のなかに「方言〔咸鏡北〕→세다」とあり「세다(数える)」を指示していた。咸鏡北道は北朝鮮の東北地方である。
ベストアンサーでは「헤다」から「헤이다」への説明は次のようになされている。
(引用はじめ)
「헤다」という語は古い時代の語形が生き残ったものです。15世紀の言葉では「혜다」でした。標準語形「세다」は子音が「ㅎ」から「ㅅ」に変化したものです。子音が変化せず「ㅎ」のまま現代に伝わったのが、「헤다」という語形です。
「헤이다」は「이」という音が間に入り込んだ形です。用言の語幹(本体部分)が「ㅐ、ㅔ、ㅚ」といった母音に終わる場合、その後ろに「이」という音が入り込む単語が若干あります。「헤이다」もそのようなものの一例ということができましょう。
○ 개다 - 개이다 「晴れる」
○ 설레다 - 설레이다 「揺れる」
○ 쬐다 - 쬐이다 「照る」
(引用おわり)
また、「세다」と「헤(이)다」の関係は次のように述べられている。
(引用はじめ)
「数える」の意の単語は、ソウルなどの中央(首都圏)では通常「세다」という語形が主に用いられますが、「数えきれないほど」という句の中では「헤일 수 없이」のように、「헤(이)다」という語形も化石化して用いられるようです。おそらく常套句として形が固まったのでしょう。ネイティブスピーカー何人かに尋ねたら、「헤일 수 없는」のような句は文学的な感じがするという答えが返ってきましたから、「詩の中で使われるなど特別な単語」ではないかという質問者さんの推測は、的を射ているのではないかと存じます。
(引用おわり)
回答者はどういう人なのだろうと思う。