対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

メダカを掬う

2019-11-15 | 日記
月曜日に近所の人と立ち話をしていた。その人が側溝を見ながらメダカがいるねといった。本当かと思いながら、水面を見ていると、たしかに、何か所か、ぱちぱちと光る。側溝は幅1メートル、道路から1メートルほどの深さで、年に何度か下りて掃除をしている。雨の日以外はほとんど水の流れはない。これまでタニシや名前の知らない小さな生物は見たが、メダカに気づいたことはなかった。メダカを取ってみようと思った。専用の網はなく、台所の目の細かいすくい網を使うことにした。まず、水曜日に挑戦。メダカを確認して脚立を下ろした。下した時点で逃げられた。しばらく待ったが、気配をさとられている感じだった。脚立では無理である。道路から手を伸ばしても網は届かない。今日、網に1メートルほどの園芸用の支柱を付けて試みた。一度やると、しばらくメダカは戻ってこないので、時間をおいて行った。空振りから始まったが、最初に、2匹すくえたときは嬉しかった。合わせて9匹すくった。

これは撮影用に空き瓶に入れたものだが、とりあえず、バケツに戻した。育てる根気はないような気がする。いずれ流れに戻すことになるだろう。

歌はハマンヨン(하망연)だった

2019-11-14 | ハングル
「チャングムの誓い」の歌で、オナラ(오나라)、カナラ(가나라)は、来る(オダ)と行く(カダ)がベースになっていることに最近気づいた。挿入歌で気になる歌があり、タイトルを検索した。「ハマンヨン、하망연(何茫然)」だった。チャングムを慕うミンジョンホの気持ちを歌い上げているように思っていたが、タイトルで早速つまずいてしまう。いろんな人が歌っているようだが、オリジナルを聴いてみよう。そのあとで、内容を確認したいと思っている。

하망연(何茫然)


サツマイモの収穫

2019-11-13 | 野菜作り
昨日、1株だけ掘ってみた。サツマイモ(安納芋)を傷つけないように遠くからスコップを入れたが、芋を切り裂いてしまった。かなり広範囲に芋は広がっていた。大きさはバラバラ。1キロ近いのもあった。標準的な大きさで育てるのは難しいようだ。
今日は残りの3株を掘った。さらに遠くからスコップを入れ、土を柔らかくして株を抜こうと思ったが、うまくいかなかった。切り裂いたのもある。途中で折れたのもある。小さいシャベルで芋の周りの土をどけてから抜くようにした。最後の方はうまくいくようになったが、思った以上に大変な作業だった。4株で10キロほど収穫できた。

ハクセキレイがいた

2019-11-12 | 庭に来る鳥
セキレイは北側の側溝や道路でよく見かけるが、庭の中に入ってくることはなかった。
せいぜい駐車場までだった。ところが、今日、外出先から帰ってくると、毎朝ラジオ体操をしている場所にセキレイがいた。かなり近づいても地面を啄み歩くだけで飛び立とうとしない。しばらくは、いるかもしれないと思いながら、カメラを取りに行った。思った通り、まだいた。追いかけても、移動するだけで、飛び立とうとしない。ゆっくりと、ときどきは速く。北へ、南へ、西へ、ずいぶんと長く歩き回った。ずっとここにいるかと思うほどだった。西側に移動すると、1メートルほど低く滑空した。追いかけていくと、側溝を越え道路に飛んで行った。

調べてみると、ハクセキレイ(白鶺鴒)。人に襲われたことがなく、人を怖がらないのだという。これまでよく見ていたのは他のセキレイ(セグロセキレイ)だったかもしれない。ハクセキレイとは生態が違っていたように思う。

筋肉痛が遅れても年のせいではない

2019-11-11 | 日記
先週の木曜日に庭の草刈りを4時間ほどした。次の日は特に感じなかったが、土曜日、日曜日に筋肉痛に気づいた。いまも右腕などには痛みがある。筋肉痛があとでじわっと出てきている。若いころは次の日に、年をとつてくると2~3日後に、筋肉痛が出てくるという説がある。わたしも信じていた。しかしこれは間違いのようである。
筋肉痛に年齢は関係がなく、筋肉痛が出てくる時期は運動強度に関係しているという。強い運動の後では早く筋肉痛が出てきて、弱い運動を長時間するような場合は遅く出てくるのだという。筋肉への負荷の大きさが筋肉痛発症のタイミングを決定していて、年齢ではない。たしかに草刈りは筋肉に強い負荷がかかるものではない。草刈りの場合、わたしがやっても子供がやっても、筋肉痛は遅く出てくるのである。

「プラグマティズムの格率」に迷う

2019-11-08 | アブダクション
20年ほど前に『弁証法の系譜』を読んでいたときは、もっぱらヘーゲルの「論理的なものの三側面」(『小論理学』の規定)に関心を集中していた。いまは、パースである。パースの「プラグマティズムの格率」も英文で引用してある。はじめて気がついた。
これを『アメリカ哲学』(鶴見俊輔著、講談社学術文庫、1976年)と比べてみると、上山春平のはmight conceivablyだが、鶴見俊輔のはmight, conceivablyと間にコンマがある。原文はどちらなのだろう。コンマのあるなしで、意味はずれてくると思われるのだが。英文の構造がよくわからない。2番目の文はわかる。最初がわからない。
「プラグマティズムの格率」の和訳をいくつか見たが、わかりにくい。鶴見俊輔によれば原文がそもそも悪いということである。
鶴見俊輔の訳、『世界の名著48』(上山春平・山下正男)の訳、米盛祐二の訳(『パースの記号学』)、そのほかいくつか見たのだが、すっきりできるものはない。

パース「習慣」、思いがけない内容

2019-11-07 | アブダクション
米盛祐二著『パースの記号学』(勁草書房、1981年)を読んでいる。

毎朝ラジオ体操をする習慣、寝る前に歯をみがく習慣、この程度の理解だったが、パースの記号論において、またプラグマティシズムにおいて、「習慣」は思いがけない内容を持っていた。
習慣は一定の行動様式だが、パースの「習慣」はあらゆる行動様式を意味しない。宗教的信仰・道徳的行為などは含まない、またルーチン化した行動や習癖でもない。それは「一般性」や「法則性」に限定された行動様式のことである。端的にいえば、科学の行動様式である。
(引用はじめ)
プラグマティシズムにおいては習慣とは科学的合理的思惟または推論を形成する自己分析的、自己批判的、自己統制的行動の様式ないし原理を意味するものである。パースが特に「習慣変更」という言葉を使っているのは、つまり絶えず、自らを修正し統制しつつ発展する科学的合理的習慣の性格を強調したいからである。
(引用おわり)
パースの「習慣」は、バシュラールの「科学的精神」と結びつく。
(引用はじめ)『新しい科学的精神』(関根克彦訳、中央公論社、1976年)
認識が歴史をもつようになったその瞬間から、精神は変化する構造をもつ。実際、人間の歴史は、その情念、その偏見、直接的衝動にかかわりをもつ一切のことにおいて、永遠にくりかえされる出直しであるかもしれない。しかし、出直しをしない思考がある。それは、修正され、拡張され、補完された思考である。この思考は、もとの限られたあるいはぐらついた地盤に立ち帰ることはしない。ところで、科学的精神とは、本質的に、知の修正であり認識枠の拡大である。この精神は自分の過去を審判しこれに有罪の判決を与える。この精神の構造は、自分の歴史的過誤の意識である。つまり科学の立場では、真なるものを長い誤謬の歴史的修正と考え、経験を共有された最初の幻想の修正と考える。科学の知的生活の全体は、この認識の微分に弁証法的に働きかけるという、未知の世界との境界線上における営みである。
(引用おわり)

(注)
プラグマティシズム(pragmaticism)
パースはプラグマティズム(pragmatism)を「論理学の一つの原理」に限定して提起したが、ジェイムズやデューイによって意味が拡張されたため曖昧になった。そこで最初の立場を厳密に保持するために表現し直したもの。

シランの色づく葉と実

2019-11-06 | 庭の草木
もう11月である。秋は深まっている。シラン(紫蘭)の葉と実は黄色に色づいている。これまで花の時期しか映してこなかったが、枯れていく様子も趣があってよいと思う。紫蘭は地下の茎からでも種からでも増えていくのだという。


「釜山港へ帰れ」を読む4

2019-11-05 | ハングル
「釜山港へ帰れ」(作詞:黄善友・日本語詞:三佳令二、作曲:黄善友)を読んでいる。今回は2番、日本語詞「きっと伝えてよ カモメさん いまも信じて耐えてるあたしよ トラワヨ プサンハンヘ 逢いたい あなた」の部分。日本語詞はこのあとくり返しの部分があるが、黄善友の詞はここで終わりである。
「언제나 말이 없는 저 물결들도 부딪쳐 슬퍼하며 가는 길을 막았었지 돌아왔다 부산항에 그리운 내 형제여 」

언제나 말이 없는 オンジェナ、マリオヌン
언제(いつ)、나(も)、 말(言葉)、이(~が、主語)、 없다(ない)+는(連体形)→ 없는(ない~)
いつも言葉がない

저 물결들도 チョ、ムルキョルドゥルド
저(あの)、 물결(波)、들(も、複数)、도(も)
あの波たちも

부딪쳐 슬퍼하며 プディッチョ、スルポハミョ
부딪지다(ぶつかる)+어(~て、動作の連結)→부딪쳐(ぶつかって)
슬퍼하다(悲しがる)+며(~して、並列)
ぶつかって、悲しがって

가는 길을 막았었지 カヌンキルㇽ マガソッチ
가다(行く)+는(連体形)、 길(道)、을(~を)、 막다(ふさぐ、阻む)+過去(ㅆ、Ⅲ-아)+었(~した、結果が残っていない過去、過去完了)+지(~だよ、パンマル体)
行く手を阻んだんだよ

돌아왔다 부산항에 トラワッタ、プサンハンヘ
돌아오다(帰って来る)+過去(ㅆ、Ⅲ-아)+다(詠嘆)→돌아왔다(오+아→와、와+ㅆ→왔、帰ってきたよ)、부산항(釜山港)+에(へ、方向)
帰ってきたよ、釜山港へ

그리운 내 형제여  クリウネ、ヒョンジェヨ
그랍다(懐かしい、愛しい)ㅂ変格用言(形容詞)+ㄴ(連体形)→ㅂ脱落+우+ㄴ
→그리운(愛しい)、내(わたしの)、형제여(兄弟よ)。
愛しいわたしの兄弟よ

上山春平の弁証法論理学

2019-11-04 | アブダクション
上山春平はプラグマティズム論理学(パース、デューイ)をヘーゲル弁証法の発展形態と見て、マルクス主義論理学と並行して捉えている(『弁証法の系譜』未来社1963、こぶし書房2005)。上山は、まず「論理的なものの三側面」(ヘーゲルの『小論理学』での規定)を問題解決の過程として捉える。
問題解決の過程弁証法的な論理のモメント
認識論的過程論理過程
(1) 問題のない段階定立命題(正)悟性的モメント
(2) 問題をもつ段階矛盾命題(正と反)否定的理性的モメント
(3) 問題の解決した段階 統合命題(合)肯定的理性的モメント
次に、その3つの段階に、プラグマティズム論理学、マルクス主義論理学、ヘーゲル論理学の要素を次のような表にまとめている。
問題解決の過程プラグマティズム論理学マルクス主義論理学ヘーゲル論理学
探究の過程認識の過程理念の過程
(1) 問題のない段階         
(2) 問題をもつ段階1) 問題    
2) 仮説1)アブダクション1) 感性的認識1) 直観1) 生命
3) 推論2)ディダクション2) 理性的認識2) 思考2) 理論的理念
4) テスト3)インダクション3) 実践3) 実践3) 実践的理念
(3) 問題の解決した段階5) 言明   4) 絶対的理念
(上山)(デューイ)(パース)(毛沢東)(レーニン)(ヘーゲル)
わたしの立場からいえば、大枠は間違っている。しかし、中央部の次のような「3つ組」の対応は継承できるのではないかと思われる。

2) 仮説  1)アブダクション 1)感性的認識 1)直観 1)生命
3) 推論  2)ディダクション 2)理性的認識 2)思考 2)理論的理念
4) テスト 3)インダクション 3)実践    3)実践 3)実践的理念

これまで、アインシュタインの思考モデルに、パースの3つのダクションの対応を図に示してきた。

ここで、
 アブダクション(仮説)――  EJA
 ディダクション(演繹)――  AS
 インダクション(帰納)――  SEA
である。
この図は上山春平が求めた弁証法論理学の図解としても有効ではないかと思えてきた。