終戦直後樺太からの引き揚げ船
三船受難・・・道外はもとより道内でも知らない人が
多いのに驚いた。
今回吉永小百合の「北の桜守」の映画で少しは知られるように
なったことは喜ばしい・・・。
満州からの引き揚げは過酷で人数も多かったので皆の知ることで
あるが
樺太からの引揚者のことは中国の引揚者の陰に隠れて
地味に人々が知ることになったようだ。
語り部の殆んどは90歳前後
1人逝き2人逝きして語り部もいなくなり風化しつつある。
悲しいことです。
今回私は施設訪問で
何気に「岸壁の母」を選び唄うようになったが
驚いたことに
この歌を
満州からの引き揚げ船と間違っている方がいたのにはびっくりした。
それも
とても博学な方だったから・・・。
岸壁の母は
第二次大戦後ソ連による抑留から解放され、引き揚げ船で帰ってくる
息子の帰りを岸壁で待つ、実在した母親をモデルにしている。
昭和29年に菊池章子が唄いヒットし
昭和46年に二葉百合子が浪曲調で吹き込み大ヒットとなり
今なお坂元冬美などに歌い継がれている。
先日ネットで台湾の歌手が杖をつき老婆の姿でよろよろと歩き
絶叫して唄っている姿を見て
余りもの過剰表現に
悲劇が 喜劇化されているようで不愉快だった。
品が無い・・・・。