今年の雪は、、本当に大変でした。
肩に炎症が残って、、、
痛み止めを服用するのは、、、年寄りの私にとって
できるだけ、、、避けたいので、、、
(胃の具合が、、個人的に,、、炎症剤と合わないという体質なので)
炎症剤の入った、、湿布薬で、、痛みを抑えて、、、
危ない位置につららが有ると、
叩いて落としますが、、、
若いころ、、、タタイテ落とすつららが落ちないで
真上のつららが落ちてきて、、
頭を塗ったことがあります。
つららは振動で、とんでもないところのつららが落ちてくるので
ヘルメットをかぶるといいですよね。
ヘルメットがないときは、毛糸の帽子の下に、
折りたたんだ新聞紙を入れてもいいですよね。
つららだけを落として回り、、、
やっと、、春待つ気分になっています。
シップといえども、、、薬品入りなので
一日の使用量は、、厳密に守り、、、
痛いからと言って
あっちにも、、、こっちにも張っては、、、
いけないという湿布なので
疲れで、、、ボーとした頭で、、、
適当な時間に適当に交換をしないように
張った時間、、、
取り替えた時間を
メモしながら、、、
湿布を張り替えていると、、、
時間の経過するスピードに、、、びっくりします。
なんとなく、、
ひたむきに雪をカイテいると
日にちがすっとびますが、、、
湿布を張って、、、くたばって、、、TVを見ていると
今日は、、、何日,、、何時何分、、、???
次は
水戸黄門だ!!、、、なんて、、、時間がすっとびます。
水戸黄門の残した日本の各地の記録は
秀逸な資料になって、、、今にその精神は
NHKの
世界の映像になって
残っているような気gしてなりません。
何事も、先代がどう生きたか?
で、、、
国の若者は育ってゆくのですから
徳川御三家は,、、令和の時代に
黄門様のTV番組になって
葵のご紋の印籠の意味するところを
小学生や中学生に伝えていると
思いますね、、、
現実は、、、ハンサムの立ち回りが、元気をくれたり
ヴィーナスのような、、、由美かおるさんの
鍛えられた美しい動きに見とれたり
弥七、、、忍者のお兄さんの
体操選手もびっくりの動きが楽しかったり
勧善懲悪の後味の良さに、、
気持ちが安らぐ番組なので
印籠の力は、、、真実の力ですよね。
息子が、、子供のころ、、、
「お誕生日のお祝いに、、何がほしい?」
何気なく聞いたのですが、、、
「水戸黄門の印籠がほしい!」
大真面目に言われてしまい、、、
考えた末に、、、
縦横高さ,、、60×50×70の木でできた
おもちゃ箱と、、、地球儀を買ってきて
世界を回れたら、、、いいね、、、と
印籠は、日本中を記録した
黄門様のおもちゃ箱だったかもしれないね。
地球儀とおもちゃ箱は、、、
今でも、、実家の2階にあって、、、
息子の小さかった頃の記憶をとどめています。
若い時の時間の、、、
10倍以上の速さで、、時は過ぎてゆきます。
皺も、手に出てきました。
腕には筋肉がつきにくくなりました。
以前のように、、「皮下脂肪」がなくなってきたからでしょうね。
他人事のように,、、白髪が増えてゆくのには驚かされます。
高校生の時から、、、髪は長くしたままでしたが、、、
美容院に行ったのは、、、3回ぐらいですが
(子供のころ一回だけ、大学の卒業式、結婚式、、、グライです)
このたび、、雪かきの邪魔になるので
おさげにしておいて、、、
ゴムで、、根元を止めて
肩のところで、、、
自分で短くカットしました。
意外なことに、、、うまくいって、、、
立派な、、81歳目の前の、、、
オカッパ頭ができました。
後ろ姿に、、、若い人と間違われないように
髪は染めないことにしました。
ロマンスグレーとは、、、ゆきませんが、、、
いよいよ、、
人生終盤の、、、老境を生きる心地に
気持ちばかりが、、、
結婚と同時に、、、男性の天然の横暴に、
男尊女卑の実行は 日本の誇りとばかりに
何が何でも、、、わが道をペースを保ってゆくという
頑固なまでの、、、日本の戦中に生まれた男たち。
女房は、質素倹約してダンナの私物のように
家を守り、子供を育て、、、家計が足りないときは
自分で稼ぐという、、、無言の実力行使に
働かざる者、、、食うべからず!!
戦後の復興の時に、、貧困の極みを体験している
昭和10年代の男たちは、、、
家庭の幸せだの、、
女房子供の気に入るパパの姿など
まるっきし、、、縁のない世代であるから
結婚後の孤独は、
育児という忙しさのおかげで
感じる暇がないほど、、、
戦後の復興期に、、家族バラバラで
信州に疎開したという、、、
ダンナさんの結婚観は
男も女も、、
必要なものは自分で調達せねばならないと
常識である画のごとく、、、
家庭には振り向く余裕のない、、、戦後の
時間貧乏な男たちでしたね。
世にいう、、、猛烈社員の先駆け部隊でしたね。
働くことだけが、、、生きてる証のように
過程は置き去りでしたね。
戦争があった国の復活の時期の若い二人は
背中合わせの「サバイバル」が、、、結婚でしたね。
一段落して、、マイホームがローン付きで手に入ると
世間からの
近所付き合いや、、、町内付き合いとは、
蚊帳の外にいる、、アルバイト明け暮れ時代!
人付き合いには
不感症となって、、、
マイペースで
日記を書きながら、、、
一人で生きてるつもりでも
旦那さんが社会参加していてくれるという
存在だけに守られて、、、
男の外での世界には無関係に見えながらも
舞台裏の倉庫番をしながら、、、
主婦の人生の時間だけは、、、
無償で家庭に提供してゆくとき
かけがえのない、、、孫子が育っていましたね。
ばあちゃんは、、仕事をしたんですよ!!
男の子を二人、、、世間様に、、
お返ししたのですからね。
80歳過ぎて、、、息子たちとの会話のおかげで
、、放送大学が、、、面白く
大学生気分が抜けないのには、、、困っています。
天国のほうが近いのだから、、、
就活始めなければいけなのでしょうけど、、、
いつも、、、
アサヒが美しく、、、見える位置に
住んでいるせいか
太陽が、、日の出のエネルギーを届けてくれるんですよね、、、
このままだと、、、
頭と、、、体力のギャップが
だんだん広がって、、、
にぎやかに家事をしていたと思えば
明日には、、天国に行っていたという
理想的な、、、
この世とのさようならができるかもしれませんね。。
年金で食べて行かれる間は、、生きていたいですが
孫子の世話になって、、
生きていたいとは思えないのは
戦後の、、貧困世代に、、、
大勢の居候に
父も母も、、、大変だったことを、、、
思い出すからでしょうからね、、、
自分の力で、、、食べて行ける間は
庭木や、、山野の雑草と、、楽しく暮らせる自信はありますが
すごい、、、インフレになったら、、、
どうやって、、、食べてゆこうかと、、、
考える時がありますね、、、
世界は、、戦争しないで、、、貿易も、、、
25パーセントの関税だなんて、、、言わないで
アメリカ一番になる方法は、、、ないものでしょうかね、、、
アメリカがくしゃみをすると
日本は風邪になって、、、熱が出るんですよね。
アメリカが風になると、、、日本は発熱39度で
熱さましが要るんですよね、、、
トランプさんンが、、、ウクライナ戦争をやめて
ウクライナの復活事業に、、、
アメリカ人も
参加すれば、、、
失業もなくなるのと違うんですかね?
政治音痴、、、、経済音痴の,、ばあちゃんは
戦争のない地球というだけで、、、
どこの国にも、、、太陽の恩恵の作物が育ち
健全な心の自然との共存で、、、
気候変動も起きなくて、、、
人工的な地球破壊もなくて
スマホにしがみついた運動不足もなくなり
自然との共存が、、、
アメリカファーストの
鍵があるように思いながら、、、
破壊された戦争の傷跡の手当てに、、、
アメリカも、、ロシアも、、、頼りにしたいのだけど、、
ウクライナの復興が見たくても、、、
ばあちゃんの命のあるうちに、、、、
復興を見せてほしいんだけど
平均寿命まで、、、あと7年しか残っていないので
すぐに、、、戦争を中止して、、、
アメリカも、、ヨーロッパも、、アジアも
むしろ、、ロシアが、、中心になって
壊した戦争の傷跡を、、、世界と手をつないで
修復していってほしいですね。
戦争の修復を、、、
戦争孤児の力でできるように
戦争の傷を受けた子供たちの生涯の仕事を
修復するという、、、ことから
派生した良い面で
戦争孤児のみんなの心の貧乏を、、救って
心が、、他国をも,、、愛することができる
健全な大人に育ててほしいですね。
心の貧乏人に育ってしまう戦争孤児は
自分のことしか考える余裕がない子に育ってしまいます。
世界にとっても、、地球にとっても、、、
心の貧乏な戦争孤児が育つことは
永遠に、、、戦争が繰り返されるという
幸せを知らない子が育ってしまいます。
世界が結束して、、戦災孤児を救ってゆかねば
自分んを中心に、貧困からの脱出に
名誉と、、栄光と、、人種差別と、、優越感のために
また、、、戦争を手段に選ぶという
繰り返しが、、、やがて、、
地球を無味乾燥の星に導き
自然からのしっぺ返しを受けて、、、人類は
頭でっかちの人間が、核爆発のスイッチを押してしまい
地下都市で、、
モグラの国が、
日の目を見ないで
分身のAIを搭載のロボットが
地球上の学校で
代理生徒として
動き回るなんて、、、
絶対に、、、正夢になってほしくないですね!
戦士に育てるのではなくて、、、
戦争反対の、、、平和を愛する、、子供に
育ててゆく義務があるように、、
思えるのは
ばあちゃんが、、、人生の晩年んで
何が、、人間の幸せかと言われれば
戦争のない時代に、、生きることが、、
幸せだと、、、
答えられるからかもしれません。
防空壕で生まれたばあちゃんは
戦後の団塊の世代が、、
もうすぐ、、77歳になるけれど
この人たちの、、国を復活する、、、
モーレツ社員の姿の時代に
大学に通って、、自分も、、、
自己実現と、、モーレツ社員になれるような
生きがいに向けて、、、
専門教育に意義を感じていた時代が
戦争の傷跡の子供たちが、、
青年にさしかかる頃でした。
日本は、、、復活が、、、見事だったけれど
いつの世も、、、いたこ一枚舌地獄の
「緊張感が緩まることのなかった時代」を生きましたね。
のほほん、、、と、、、
小春日和の日向ぼっこのような青春が
なかったですね、、、、。
私は戦後の復興期に生きる年代でしたが
軍隊手帳、、、奉公袋、、、寄せ書きのある日本の旗、、、
草色の袋に入った父の遺品の中で
父の内臓を壊したのは、、、戦場だったと思いましたね。
晩年は20貫目と言われた、、、開業で運動不足で太った父も
54歳で、、、働きすぎて,、急逝した時には
ばあちゃんは19歳でした。
大学一年生の時でした。
3年間は、、、アルバイト、、家庭教師、、、
観光スポットの、、外人さんへの神社仏閣の説目係など
勉強とバイトの両にらみの職を選んで
夜の7時からは、、大学院生の教室で
教職を専攻して、、、大卒と同時に
薬剤師、、、衛生検査技師を厚生省から免許。
東京都の学校で物理化学生物の
高校と中学の免許取得
月4万円で 住宅付の、、女学校からの
理科の先生の求人に、、一度は、、
先生になるかな?、、、
デモシカ先生になりそうな気がして
薬理の教授から
「東京大学で文化勲章受けられた先生の
実験助手として2年間行ってほしい、、、
身分は公務員だから、、、と言われて
2年以後は、、母校で呼び戻すといわれて
従いましたが、、、
初めの3か月は公務員
4か月目からは、、教室員ということになってしまい
安月給過ぎて、、、
父親のいない私には
一年間だけ勤務するのが限界でしたね。。。
3倍以上の報酬を下さるというので
私立医科大学の、、、臨床部の
臨床薬剤師として
大学ビョインンお薬局に勤務した。
第二次世界大戦で、、、軍医だった父に連れられた母が
最後の連絡船で、、、母国に、、
着のみ着のまま、、、最後の連絡船で
優先マジカに、、本土決戦に備えて
帰国できた途中の
防空壕で、、、私を生んだんだそうです。
栄養失調で、、、産声を上げなかったおかげで
殺されずに済んだそうです・
その時生まれた、、、赤ちゃんが
81歳を目の前にして、、、
あの、、第二次世界大戦の
原子爆弾んが2発も落ちた、、、
破壊され、、、再起不能かと、、、思われた日本が
80年経過して、、、81サインぽばあちゃんになって
雪を掻きながら、、、家庭を作ってこれたのですから
ウクライナの復興に、、、
アメリカが、、、日本に復興の道を開いてくれたように
世界が、、ウクライナの復興に
地球の未来の子供たちの心の成長をかけて
終戦と復興と、、地球との共存で
もともといた地球の動物たちが
暮らせる自然環境を保護して
心ある人間んを育てれば、、、
名誉と栄光と、、、欲望に生きるほかに
こんなに素晴らしい地球の恵みがあるんだと、、、
子供たちの傷ついた心を、、、人間界より
大きなダイナミックな地球の恵みの復活のなかに
生命や、、宇宙区間や,、太古の時代からの星の世界の
本能の発達する、成長段階の機会を大人が用意してゆくことで
戦争を始める、、、大人も居なくなることを祈っています。
権力は、、若き日に握ると面白かったのでしょう、、
信長は,、、神になれるになれると思ったかもしれません。
地球を征服できると思ったかもしれません。
叡山の焼き討ちは、、、
権力をほしがった戦争孤児ぬ育てた
時代の人間像なのかもしれません・
もう、、、よしてください、、、
名誉と、、栄光と、、権力と、、、戦争に生きるのは、、、
地球を破壊するだけで、、、誰も幸せにはなりません。
アメリカファースト、、、になるためには
地球人の幸せを、、サポートしてください。
ばあちゃんは、、、孫子の時代に
戦争がないように、、祈りながら
日記に書いておきます。
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