<写真は昨年6月にイギリスを旅した時のもの。モティスフォント アビーの搭の上から撮影したもの。夫は大きな木の下のベンチで待っていた。>
この頃短歌に嵌まっている。思い返してみると事の発端は昨年9月、知人から送られてきた一冊の歌集を読んだことにあるようだ。
その後、アウシュビッツ博物館に旅した時の事。短歌になりそうな言葉の断片が頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かびしていた。それを思いきって手帳にメモし、電車の中やホテル、飛行機の中で推敲を重ねてみた。短歌なぞ作ったこともなく、ルールも何も知らない。しかしその作歌の時の、感情と言葉が一致したと思える瞬間は、最近経験したことのない快感だった。一人旅の寂しさもあってか、20首ほど歌ができた。帰国後、一番身近にいる夫に見せると、「これが短歌か?」と、冷や水を浴びせられる。私は過集中なところがあるので、それから数十冊、短歌本を取り寄せて読みだした。
短歌本こそは、斜め読みの出来ない本である。昔は速読を競って多読を得意としていたが、短歌は何を何冊読んだかではない。一首でもいい、どれほど心の芯近くに到達できる歌に巡り会えたかなのだ。その人の心の持ちよう、生活感情などで短歌に込める思いも違うのは当然なのだ。歌は読者を選ぶのだ。
先日、書店で『角川 短歌』2月号を買った。「推敲法」の特集記事がでていた。初めのページに岩田 正氏の「森の洞」31首が載っていた。
朝あさの目薬まつすぐさせぬままわれは終わらむこころ残して
引退後、普段は理論物理学の本を読んで日々を過ごしている夫が、時々短歌の本を自分の部屋に持って行って読んでいるらしいことを知っている。この本を見せると、「いい歌だね。代わりに詠んで貰ったようだ。この人は有名な人なの?」 私は何も知らない。ネットで調べると、なんと憧れの馬場あき子氏の夫君ではないか。夫は戦中生まれなので、老がい(「がい」は老の字の下に毛を書く)の歌に共感する年齢なのだ。
短歌に興味を持つと、勧めてくれる人があって、最初に竹山広氏の歌集を何冊か読んだ。その中にやはり老がいを歌ったものが多くあった。
以下の歌は、竹山広氏の歌集『か年(「か」の字が見つかりません)』『千日千夜』『地の世』より。
祖母(おほはは)も母も癌にて逝きたるを怖れゐたりし人癌を病む
われの死がかずかぎりなき人間の死になるまでの千日千夜
遺さるる場合のあるを思へよと答えのできぬことをまた言ふ
この妻と生死分つは当然のことなるものを朝夕おびえつ
老妻にこころ捧ぐといふごとき一首を作り昼深く寝ぬ
老がいのがいとはこれか歌一首投げては拾ひ疲れてたのし
(「がい」は老の字の下に毛を書く)
推敲はほんとに楽しいのです。例えば4句目を違う言葉に変えたいのに、ぴったりした言葉が見つからない。朝に晩に宿題を抱えた子供のように軽い重圧感を抱えながら日々を送っている。ふっと、気持ちに近い表現が浮かんでくることもある。それからしばらくして、もっと近い表現が浮かんでくることもある。そんな時間が「疲れてたのし」なのです。
以下の歌は、夫が作った歌ですが、4首目は飯田市に住む友人が直してくれたものです。私の歌はいつの日か、、、
中国の領土広げし英雄は俺の事かと鄭和笑えり
手をつなぎ「さんまの開き」見せし子らあの日の笑顔今も忘れじ
木枯らしに帽子とられしあと追えば枯れた田の果てかすむ赤富士
から風に取られし帽子を追ふ妻を車椅子に待つ 遠き富士山(ふじ)見て
齢経てこの世あの世をつなぐ橋妻より先に渡らんと思ふ
老ガイの我が身に似たり愛犬も老ガイ故の悲しみ在るか
足萎えは入浴ならじと咎められ急ぎいづれば外は木枯らし
(温泉施設で「障碍者は入浴できません」と言われたときに詠んだ。)
悲しきは小学校の帰り道友を追い抜くともに足萎え
(足萎え=ポリオの後遺障害)
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