6月24日(木)17時柳橋事務所を出て両国橋を渡り錦糸町駅まで歩く
本所警察前に来ると報道陣で溢れている。
相撲界を揺るがす野球賭博で逮捕者が出たと報道された。
国技館も本所警察の縄張り?なのか署の裏側駐車場には
多数のカメラマンが誰かが出てくるのを待ち構えている。
7時に自宅着、直ぐに風呂に入り
発泡酒、ホッピー飲んでほろ酔い。
うつらうつらしていた。
8時、携帯電話が鳴る。
開くと谷津病院に入院中の友人の妹さんからの電話
「兄の呼吸がかなり低い、この状態だと
まもなく呼吸が止まります」と看護士から連絡ありました。
「今から病院へ向かいますが入間から出て着くまでに
約2時間、もしかしたら間に合わない」と思います。
PM8時50分私は病室に入る。
看護士が言う
「手を握ってあげてくだい、優しい言葉をかけてあげてくだい」
「安心します、声も聞き取れ、居るのが分かっています」。
目は半開きだが動かない、口が微かに動いている。
頬は凹んでいる、足は太腿に肉がなく二の腕ほどの直径しかない
注射針の刺されていない左手を握る
暖かい、軽く押すと微かに彼の手から微電流が流れるように私の手に伝わる
必死に答えようとしているのだ。
11年前 山岳部同期が故郷富山で脳腫瘍になった。
駆けつけた病室で眠り続ける同期の右手を2時間
握り続けた。突然目を開けた、握っていない手をあげた。
しかし直ぐ力なく下がり目も閉じた。
しかし目蓋を必死に動かそうとしていた。
それからまもなく死んだ。
あの時の状態に酷似している。
10時妹さん到着、看護士が右腕の注射針をはずし
妹さんも手をにぎる。
「お兄ちゃん、私がいるのよ、安心して」呼びかける
確かに反応している。瞳孔が動く
唇は動く 頭が上下に少し動いたような気がする。
まもなくもう一人の友人が駆けつける。
PM11時食事するため出る
居酒屋が一軒開いていた。
妹さんは食事、私と友人は酒を飲む。
深夜零時 妹さんは病室へ
AM1時 外のベンチに腰掛ける。
友人も4年前 胃がんで手術65キロあった体重が
今では53キロしかない
木のベンチに座ると尻肉が無いので痛いそうだ。
彼は煙草を吸う、もらって私も久しぶりに煙草を吸った。
閉じられた商店街の街灯と薄ぼんやりした月明かり
湿気が高い、空に向かって二人黙って煙を夜空に上げた。
あいつはヘビースモーカーだった
1日ショートホープを60本吸い食事はせず
夕方3時から飲み屋で少しのつまみとビール、チュウハイ、日本酒
を5年間毎晩飲み続けていた。
友人はAM1時半運転代行で帰っていった。
私は病室に戻り妹さんとあいつの手をそっと握り締めた。
まもなく私は非常灯だけが点いた待合室のソファに横たわった。
AM6時妹さんに起こされた。
「兄は血圧があがり多少呼吸が出来ています」
「今後容態がどのようになるか判りませんが一旦入間の自宅に
帰ることにします」
私達は病院を出て船橋競馬場駅近くの定食屋にAM7時入り食事
それから妹さんを連れて私の自宅で今後の打ち合わせと
葬儀はせず直接斎場で遺骨にすることにした。
病院では葬儀屋さんは紹介してくれないので
ケアマネジャーに相談して簡易密葬をしてくれる葬儀会社
の紹介を受けた。
AM9時」妹さんは兄のマンションで夕方まで待機と書類整理することにする。
私は9時半歯科医院で治療 昼寝してPM3時日本橋の外科で
首吊り治療PM5時柳橋事務所で仕事
PM6時お客様が見えて事務所でスカイツリーを背景として
隅田川、神田川の合流点を行き交う屋形船を眺めながら飲む。
PM9時両国橋渡り国技館横の飲み屋街へ
餃子の店の2階に上がり ビール、焼酎
そしてラーメンを食べ始めた10時ごろ
妹さんから携帯に連絡が入る
「兄はPM9時27分息を引き取りました」
「明日、朝8時までに病院へ行きます」
やっと来たか 不思議な安堵感が生じた。
一瞬涙が出たのだろうか
本所警察前に来ると報道陣で溢れている。
相撲界を揺るがす野球賭博で逮捕者が出たと報道された。
国技館も本所警察の縄張り?なのか署の裏側駐車場には
多数のカメラマンが誰かが出てくるのを待ち構えている。
7時に自宅着、直ぐに風呂に入り
発泡酒、ホッピー飲んでほろ酔い。
うつらうつらしていた。
8時、携帯電話が鳴る。
開くと谷津病院に入院中の友人の妹さんからの電話
「兄の呼吸がかなり低い、この状態だと
まもなく呼吸が止まります」と看護士から連絡ありました。
「今から病院へ向かいますが入間から出て着くまでに
約2時間、もしかしたら間に合わない」と思います。
PM8時50分私は病室に入る。
看護士が言う
「手を握ってあげてくだい、優しい言葉をかけてあげてくだい」
「安心します、声も聞き取れ、居るのが分かっています」。
目は半開きだが動かない、口が微かに動いている。
頬は凹んでいる、足は太腿に肉がなく二の腕ほどの直径しかない
注射針の刺されていない左手を握る
暖かい、軽く押すと微かに彼の手から微電流が流れるように私の手に伝わる
必死に答えようとしているのだ。
11年前 山岳部同期が故郷富山で脳腫瘍になった。
駆けつけた病室で眠り続ける同期の右手を2時間
握り続けた。突然目を開けた、握っていない手をあげた。
しかし直ぐ力なく下がり目も閉じた。
しかし目蓋を必死に動かそうとしていた。
それからまもなく死んだ。
あの時の状態に酷似している。
10時妹さん到着、看護士が右腕の注射針をはずし
妹さんも手をにぎる。
「お兄ちゃん、私がいるのよ、安心して」呼びかける
確かに反応している。瞳孔が動く
唇は動く 頭が上下に少し動いたような気がする。
まもなくもう一人の友人が駆けつける。
PM11時食事するため出る
居酒屋が一軒開いていた。
妹さんは食事、私と友人は酒を飲む。
深夜零時 妹さんは病室へ
AM1時 外のベンチに腰掛ける。
友人も4年前 胃がんで手術65キロあった体重が
今では53キロしかない
木のベンチに座ると尻肉が無いので痛いそうだ。
彼は煙草を吸う、もらって私も久しぶりに煙草を吸った。
閉じられた商店街の街灯と薄ぼんやりした月明かり
湿気が高い、空に向かって二人黙って煙を夜空に上げた。
あいつはヘビースモーカーだった
1日ショートホープを60本吸い食事はせず
夕方3時から飲み屋で少しのつまみとビール、チュウハイ、日本酒
を5年間毎晩飲み続けていた。
友人はAM1時半運転代行で帰っていった。
私は病室に戻り妹さんとあいつの手をそっと握り締めた。
まもなく私は非常灯だけが点いた待合室のソファに横たわった。
AM6時妹さんに起こされた。
「兄は血圧があがり多少呼吸が出来ています」
「今後容態がどのようになるか判りませんが一旦入間の自宅に
帰ることにします」
私達は病院を出て船橋競馬場駅近くの定食屋にAM7時入り食事
それから妹さんを連れて私の自宅で今後の打ち合わせと
葬儀はせず直接斎場で遺骨にすることにした。
病院では葬儀屋さんは紹介してくれないので
ケアマネジャーに相談して簡易密葬をしてくれる葬儀会社
の紹介を受けた。
AM9時」妹さんは兄のマンションで夕方まで待機と書類整理することにする。
私は9時半歯科医院で治療 昼寝してPM3時日本橋の外科で
首吊り治療PM5時柳橋事務所で仕事
PM6時お客様が見えて事務所でスカイツリーを背景として
隅田川、神田川の合流点を行き交う屋形船を眺めながら飲む。
PM9時両国橋渡り国技館横の飲み屋街へ
餃子の店の2階に上がり ビール、焼酎
そしてラーメンを食べ始めた10時ごろ
妹さんから携帯に連絡が入る
「兄はPM9時27分息を引き取りました」
「明日、朝8時までに病院へ行きます」
やっと来たか 不思議な安堵感が生じた。
一瞬涙が出たのだろうか