馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

宵闇の交差点。

2012-09-16 17:35:35 | 日記

9月13日(木)17時49分半蔵門線渋谷駅を出た。

雑踏から吐き出されて

有名な交差点に立ち止まり、東急文化村を確認。

陽射しが落ちはじめ、店のライトが灯りだした。

群れ行き交う若者のファッションスタイルに瞠目。

文化通りを歩き山手通りまで来た。

地図見た、三ヶ所ある建物が山手通りを挟んである。

信号渡り本館に行った。

フロントで用件は伝える。

「先週、入院しました母親を訪ねて来ました」。

名簿を巡るが該当者の名前は無いと言う。

私は具体的に状況を話す。私が勘違いしていた事に気付いた。

建物の最上階にホスピタルと看板があるが、一般的な病を治療する病院ではないのだ。

山手通りを挟んで本院 分院、新院があって

お袋は今年4月オープンした松涛にある新院に入ったのだ。

ホテルのロビーと間違えそうなフロントで受付。

2階にいるのだがエレベーターで上がった。

後で分かったのだが実兄が見舞いに来ていて階段で下りたので

すれ違いしたのだが遇なかった。

トラックが通れそうな幅広い廊下

看護室前の4人部屋の奥に酸素吸入器を附けた

お袋が横たわっていた。

 

近くの大学病院に約八ヶ月も入院した。

本来、長期入院は認められないのだが特別計らいだった。

今度のホスピタルは大学病院の近くで連携している。

ここに入院すると殆どが生きて戻ることがない

終末医療の場所なのだ。

お袋は苦しそうだ。

酸素吸入器が度々外れる。

直そうとするとお袋が口を動かすが聞き取れない。

7時半 弟と大学病院副院長の嫁さんが来た。

 

私は帰ることにして妻が作ったサラダドレッシングを弟に渡した。

保冷材をいれたので4時間は大丈夫と告げる。

20時 お袋に「帰るよ」と声かけるが反応はない。

 

暮れなずむ文化村通り渋谷駅に向かう。

左右の通りの洒落た小店から宝石のようなイルミネーションが煌き

華やいだ若者が肩寄せ合い通りすぎていく、

宵闇の灯りの下で甘美な幻想に浸る二人には

彼らには死ぬことを想像などまだ遠いことなのだ。

 

およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。

道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり

人々が歩いていく。

どこへいくのか、誰もほんとのことはわからない。

 

人はいつか死ぬ。

死ぬことに失敗はないのだ。

 


新浦安で飲む。

2012-09-16 16:10:26 | 日記

9月12日(水)16時50分 携帯電話にアイスマンから電話が入る。

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/64eea5454c65c37f19b698039415a7da

 

「新浦安で飲んでいる、来ないか」?

私は「OK」!と応じた。

夕方 お袋を見舞いに行く予定だったがキャンセルになった。

日比谷線小伝馬町駅から八丁堀駅 京葉線に乗り換え新浦安駅へ

ダイエーの4階にある居酒屋 さくら水産に6時少し前到着。

アイスマンはカウンターで飲んでいた。

4時ごろから飲み始めていた。

さくら水産の名前は知っていたが入店は初めてだ。

酒 ビールに味の差は居酒屋によって違いはないが

出てきた料理は不味い。

価格が安くても耐えられない。

早々に店を出て、別の居酒屋に入る。

ここも不味くはないが一般的なビル内居酒屋だ。

アイスマンに聞くと、新浦安地区は

埋め立て地に建造された団地群だけなので

地元に古くから有るような食堂、飲み屋は皆無だと言う。

震災後は液状化による地盤沈下と埃が舞っている。

 

学生時代同期のアイスマンは昨年初頭に

経営していた会社を清算した。

そして介護施設の運転手になって朝早くから

お年寄りの送迎をしていたが

今夏、又商売を復活した。

自宅を事務所にしたので

生活と仕事の境目がなくなり、ストレスが溜まった。

そんな訳で私を呼び出し酒飲むことになった。

今日は妻が実母介護で戻らない。

 

2軒目の居酒屋も出て、ホテルラウンジで飲むことにした。

ホテル20階のBARのカウンターで久しぶりにバーボンを飲む。

スカイツリーのライトアップが輝き

マンション群と港の明かりは素晴らしい。

アイスマンにとって介護の運転手だけの余生はつまらない。

一度でも商売を手掛けた人は、艱難辛苦を経験して

二度と商売はしないと思うのだが

あの臨場感が忘れられず又舞い戻るのだ。

泥棒が何度も豚箱に入れられても

こりずに泥棒仕事するのに似ている。

会社に入って我慢してサラリーマン生活が出来ないのだ。

 

アイスマンは大学卒業して14年間は仕事を転々とした。

その後は自分に適した仕事に出合いノウハウと人脈を拡げた。

そして50代になり独立した。

現在60代半ば、75歳まで商売すると意気込む。

胃癌と脳梗塞を患い、酒も煙草もバンバン。

人生の荒波を乗り越えてきた男は

漁港で会話する歯抜け爺さんとは違う。

 

自宅には0時に着いた。