9月13日(木)17時49分半蔵門線渋谷駅を出た。
雑踏から吐き出されて
有名な交差点に立ち止まり、東急文化村を確認。
陽射しが落ちはじめ、店のライトが灯りだした。
群れ行き交う若者のファッションスタイルに瞠目。
文化通りを歩き山手通りまで来た。
地図見た、三ヶ所ある建物が山手通りを挟んである。
信号渡り本館に行った。
フロントで用件は伝える。
「先週、入院しました母親を訪ねて来ました」。
名簿を巡るが該当者の名前は無いと言う。
私は具体的に状況を話す。私が勘違いしていた事に気付いた。
建物の最上階にホスピタルと看板があるが、一般的な病を治療する病院ではないのだ。
山手通りを挟んで本院 分院、新院があって
お袋は今年4月オープンした松涛にある新院に入ったのだ。
ホテルのロビーと間違えそうなフロントで受付。
2階にいるのだがエレベーターで上がった。
後で分かったのだが実兄が見舞いに来ていて階段で下りたので
すれ違いしたのだが遇なかった。
トラックが通れそうな幅広い廊下
看護室前の4人部屋の奥に酸素吸入器を附けた
お袋が横たわっていた。
近くの大学病院に約八ヶ月も入院した。
本来、長期入院は認められないのだが特別計らいだった。
今度のホスピタルは大学病院の近くで連携している。
ここに入院すると殆どが生きて戻ることがない
終末医療の場所なのだ。
お袋は苦しそうだ。
酸素吸入器が度々外れる。
直そうとするとお袋が口を動かすが聞き取れない。
7時半 弟と大学病院副院長の嫁さんが来た。
私は帰ることにして妻が作ったサラダドレッシングを弟に渡した。
保冷材をいれたので4時間は大丈夫と告げる。
20時 お袋に「帰るよ」と声かけるが反応はない。
暮れなずむ文化村通り渋谷駅に向かう。
左右の通りの洒落た小店から宝石のようなイルミネーションが煌き
華やいだ若者が肩寄せ合い通りすぎていく、
宵闇の灯りの下で甘美な幻想に浸る二人には
彼らには死ぬことを想像などまだ遠いことなのだ。
およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。
道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり
人々が歩いていく。
どこへいくのか、誰もほんとのことはわからない。
人はいつか死ぬ。
死ぬことに失敗はないのだ。