昨日、検索に8年前の記事があった。
思わず笑ってしまったが、自分の年齢を想い巡らすと
再婚など到底あり得ない。
結婚式は何回も可能だが、死人は生き返れないので一回限りだ。
結婚式は人生の門出だ。
葬式は人生の結末だ。
披露宴を華々しく開催した式場が、悲嘆にくれる葬式場に変わるとは
まるで浦島太郎ではないか。
下記は知り合いの門出と結末予定
団塊世代が死に絶えるまで、葬儀場は隆盛だ。
再掲
2016年
1月17日(日)朝 9時半
海老川大橋を渡る。
真冬の海風がアーチの橋を吹きぬける。
ウインドブレーカーの隙間に容赦なく
凍風は入り込む。
通常のウオーキングルートを変えて
東関東自動車道沿いを
冷たさに耐えかねて、速度をジョギングに切り替えた。
目的は
京葉線南船橋から西船の間に見える防衛省の廃墟団地を探索したい。
https://www.youtube.com/watch?v=0Ik09munF9k
しかし ルートを間違えたのか?
辿りつかない。
葬儀場に来てしまった。
ずっと、古い バブルの頃
先輩が六本木防衛庁の裏門近くで
スナックを経営していた。
深夜 4時まで営業。
スタッフは、全てイケメン青年。
芸能人、銀座のホステスが午前0時過ぎると
お客としてやってきた。
その店で料理を作る若者がいた。
彼は結婚することになった。
式 披露宴は西船橋にある結婚式場にした。
今 寒さの中、スマホで写真撮っている
葬儀ホールが当時は結婚式場だった。
その後、バブル崩壊
少子高齢化により結婚式場は淘汰された。
青年が披露宴した結婚式場も経営困難から
今後、三途の川を渡る団塊世代が急激に増加する
葬儀場に衣替えしたのだ。
青年は怒った。
俺の結婚披露宴の記念写真をどうしてくれる。
子供が生まれて、育ち
両親の結婚式会場が葬儀場とは言えない。
私は 笑いを堪えて言った。
「自分の葬儀をここでしてもらえば」?
「冗談じゃねぇ~」
「棺桶から飛び出して、もう一度結婚披露宴させろ」と怒鳴る。
あれから、幾年月?
あの青年はどうしているだろうか?
経営者であった先輩もバブルはじけて
店を閉じた。
それから、やはり学校の先輩の電気設営会社が入社。
サラリーマンになり、三度の結婚をして
この葬儀場近くの取引先を営業で回っている。
本日の歩数計
人生の黄昏