馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

台風直撃の沖縄へ飛ぶ!

2015-08-25 17:32:16 | 日記

8月25日(火)

朝8時半 短パンにシャツだけで出る。

先々週までの暑さがなく、剥き出しの手足に

肌寒さを感じる。

汗も掻かず背負いバッグにテニスシューズは快適だ。

 

昼飯に焼きそばを食べていると、娘から

メールで写真が送られてきた。

マンゴーかき氷だ。

返信した。

「貧乏なお父さんは即席焼きそばを事務所で食べている」。

 

8月23日(日)夕方 友人からラインメールで

「息子が羽田に着いた」と連絡入る。

昨夏 友人の息子が台湾の語学留学する手伝いで台湾に同行した。

 

日本の大学3年に復学するが、覚えた中国語を維持するのが大変だと言う。

 

その頃、娘は明日の旅行準備のため、買い物に出かけた。

18時 母親にメールで「明日、出発の飛行機が欠航になった どうしよう」

24日7時半の沖縄行き飛行機が、台風直撃で欠航。

 

笑ってはいけないが!

昨夏、一昨年夏も沖縄旅行に出発当日に台風直撃で

2度とも行けなかった。

今度で3度目になってしまう。

 

娘の仕事はハードを超えている。

正月三が日を除いて殆んど仕事。

朝7時半に自宅を駆け足で出て

帰宅は終電 就寝は午前2時

 

唯一 夏季休暇で連続7日休むのだ。

癒しが沖縄の海辺で戯れ

整体を施し

南国フルーツを食べ

清潔なベッドで自然な目覚めをすること。

そのことが楽しみなそうだ。

海外と関わりのある仕事なので

海外旅行には行きたくないそうだ。

 

うなだれて帰宅したが

一緒に行く友達は、羽田までのバス切符を

既に買ってしまったので、羽田空港でキャンセル待ちをする。

24日 朝 重いスーツケースを引きずり羽田に向かった。

逐次、母親に状況メールが入った。

空港で怒号が飛び交い凄いことになっている。

娘のお兄ちゃんも心配でメールした。

16時 「今 キャンセル待ち161人、ダメかな」のメール。

17時 「臨時便に乗れた」

20時 娘からメールがきた。

 

「沖縄!

無事到着!なかなか着陸できなくてハラハラしたけど、着陸できたよ!着陸時は皆で拍手だった(^o^;)諦めないって大事だね(^-^)v」

 

やれ やれ!

戻りは金曜日の夜。

 

私は山登りに行きたいが

天候不順なのでどうするか?


人も植物もいつかは消失。

2015-08-24 17:19:55 | 日記

8月24日(月)

朝8時半 船橋漁港に流れ込む海老川河口沿いを通った。

橋の手前に雑木林があったはずだが

切り払われてコンクリート歩道になっていた。

現在        以前

 

亡くなった同期が住んでいたマンションが見える。

数か月この通りを歩かなかった。

忽然と消失?

あいつとハゼ釣りをした護岸だ。

雑木林には蛇の卵の殻が散乱していて

ハゼ釣りしていたが背後の草むらが落ち着かなかった。

 

雑木林には想い出がある。

平成10年8月18日朝 雑木林の枝伐採していた老人が

転落して、木の股に足が挟まれて身動きできなくなった。

救出したのだ。

 

漁港の一隅で、歳歳年年人同じからず。

歳歳年年 環境も同じではない。

 

いつかは、朽ち果てる。

 


同期会 仲間外れ。

2015-08-23 21:28:13 | 日記

8月22日(土)

2009年8月22日 暑い陽差しを浴びる漁港で

あいつと最後のハゼ釣りをした。

あれから 6年が過ぎた。

その後、同期は柳橋事務所に集まり飲み会するようになった。

青春の残影を語り、人生の最終コーナーを見えるところまで

差し掛かった。

今年4月19日にも通称(柳橋会)を開いた。

今回も食べ切れない肴類、アルコールがテーブルに並んだ。

 

毎回 出席者は異なるが、今回は大学入学前

予備校で一緒だった同期が参加した。

61歳 食道癌で逝った同期は合気道部主将で

彼は副将だった。

 

大手建設会社の役員で関西地区の責任者の彼は

定年を迎えるまで単身赴任であった。

奥さんも同じく合気道部同期。

 

毎回、出席同期は、都合がつかない、健康状態で来られないのがいるが

同期会に招かれない同期がいる。

卒業後、体育会同期で仲良しだった連中で集まった会があった。

当時、私は参加していなかった。

その中心メンバーだった同期は柳橋会には呼ばれない。

 

その男は、他人を批判、説教ばかりして

自己顕示、自己中心、自己満足で

同期に対しても

「ああ しなくちゃいけない 」

「こうしなければいけない」

と周囲に説教ばかりしていた。

現役サラリーマン時代は、仲間内で

他人批判しても周囲は

「又 馬鹿が言っている」と話半分で聴いていたが

利害損失を考えながら、一定の考慮で人間関係を維持したが

社会人としての一線をリタイアして

穏やかな安定した日々を過ごしたいと思う年齢になった。

 

なので、60代後半の人生で、未だ会社地位を基準とした

上から目線の言動に周囲(同期)はへきへきしていた。

 

お前に苦言を呈す などと説教したが

井の中の蛙は相手にされなくなった。

 

裏返すと、自分に自信がなく、心弱く

周囲を嫉妬していて、自己顕示することによって

高圧的に他人批判を繰り返した。

 しかし 晩年になり

狼老人は相手にされなくなった。

 今日の柳橋会は午後2時から7時半まで続いた。

酒豪が二人いて、日本酒一升瓶を2本飲み干した。

 

柳橋を渡って、藤沢、町田、中野、千束へ帰った。

 息子に祝い金を頂いて感謝です。


明日、お袋は満92歳誕生日。

2015-08-20 19:52:45 | 日記

8月19日(水)

17時渋谷スクランブル交差点に着いた。

松涛の邸宅街を抜け、病院へ。

既に 弟は来ていた。

お袋は私を見て

「ありがとう」滑舌が回らない声で言った。

看護婦さんが

「お母さんは寂しがり屋ですからね」

サイドテーブルには、花束が置かれていた。

明日8月20日で、満92歳なるのだ。

 

この病院で一番の長生き。

ここは特養ホームではない、介護施設でもない。

完全看護の病院。

同室の老婦人達は、次から次へと後から入室して

先に三途の川を渡ってしまった。

 

日本一の高級住宅地

現総理、元総理もお住まいである。

 

だからと言って優雅な暮らしではない。

遺漏で食事、水分も摂取出来ず

歩行も出来ない。

連れ合いを亡くし既に28年の年月が去った。

 

那須の寒村 貧しい農家の次女だった。

 

肉親と暮らせて、自宅で食べて、家族で喧嘩して

泣き笑いする健康寿命で人生全うするには

どうすればいいのか?