喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ふなやで懇親会

2017-02-12 | 田舎暮らし
 1週間前の2月5日、職場の日帰り旅行に行った。
旅の最後は、松山道後温泉の伝統あるふなやで懇親会。

 ふなやと言えば、皇室御用達の格式高い宿。
初めての利用だった。
 
「ふなやは、現存する宿としては道後温泉でもっとも古い歴史を誇る。
その存在は、多くの著名人や文化人にも一度は泊まってみたい宿として羨望の的だった。
 明治27年(1894)松山に教師として赴任した年の秋、夏目漱石は念願を果たし
「はじめての 鮒屋泊りを しぐれけり」
と句にしたため、正岡子規や高浜虚子ら松山ゆかりの文人も多く訪れ、
また皇室御用達の宿ともなった。
その輝かしい歴史はいまなお、ふなやの伝統として受け継がれている。


 1600坪の敷地を占める宿の多くの部分が日本庭園に割かれ、
宿の建物はこの庭園をとりかこむ形で本館と別館が建てられている。
 
 日本庭園は夜にライトアップされ、明治時代に建てられたという茅葺きの庭門が幻想的な雰囲気を醸しだしているのもまた、
この宿の格式と伝統を物語っているかのようだ。
 緑の多い日本庭園は多くの客室や浴場、ロビーに続くガーデンテラスなどからも美しく望め、訪れる人に安らぎを与えている。

 日本庭園の敷地内を流れる川は、人工の川ではなく、自然のままの御手洗川だ。
旅館の庭園内とも思えないほど、流れはけっこう急だ。
 正岡子規が「亭ところどころ渓に橋ある紅葉哉」
と詠んだのは、本館と別館をつなぐ「もみじ橋」あたり。

 浴場は別館の2階と3階に設けられており、本館に泊まった人は風呂に入りに行くたびに、
子規が詠んだ情趣を味わうことができる。

 夏にはホタルが舞う清流脇には、風流に食事が楽しめる川席がある。」

 ゆっくりと温泉に入り、いよいよ懇親会の始まり。





 全て地元の食材。 地産地消。




 量は多くないが、飲むとあまり食べない私にはちょうどいい。




 お互いに酒を酌み交わし、盛り上がる。
あっという間の時間だった。
もうご飯が出てきた。


 そして最後は、柑橘のデザート。


 佐田岬の田舎者が、皇室が利用される道後ふなやで食事をする。
何とぜいたくなことか。

 そのおもてなしのすばらしさには感激。
ぜひ取り入れたいことだ。

               岬人(はなんちゅう)




人が来てもらえるような居心地のいい家庭を

2017-01-28 | 田舎暮らし
 人が来てもらえるような居心地のいい家庭をつくりたいと思っている。
風通しのいい、開かれた家庭。

 両親のそんな姿を見て育った。

 お正月にも多くの人が来てくれた。
喜久家ボランティアのフランス出身のルシアン。


 釜木から来てくれた幼なじみのひょうきんなまー君。
平礒のこー君。
 2人は、関西で暮らしている。




 会話が盛り上がる。


 ふるさとに帰って来た時に、様子が聞ける人。
お酒が飲める仲間。

 次に会えるのは、お盆だろうか。
2人にとって、心待ちに思ってもらえればうれしい。

         岬人(はなんちゅう)
 

拝むということ

2017-01-28 | 田舎暮らし
 今日28日は、旧正月。
正月をふり返る。

 大晦日から正月にかけて拝むことが多い。

 我が家にお祀りしている9つの神仏を拝む高校1年の娘たち。





 これが神社であれば、

1:賽銭箱に賽銭を入れる。
 白い紙に包んだ米を「おひねり」として供えていた名残り。
 大事なものを捧げることは私欲があっては出来ないことなので、賽銭を入れることで心の靄を祓うという意味もある。

2:鈴を鳴らす。
 鈴の音によって祓い清め、神を呼ぶ。

3:二拝(2回頭を下げて深くおじぎをする)
 神への敬意を表す。

4:まずは胸の高さで掌を合わせ、右手を少し下にずらして二拍手。
 その後、指先をきちんと合わせて祈りを込めてから手を下ろす。
  掌をずらすのは、神と人とがまだ一体になっていないということ。
 二度手を打つことで神を招き、その後掌を合わせることで神人が一体となり、祈願を込めて神の力を体得するからだといわれている。

5:最後に一拝をして終了。
 もう一度おじぎをすることで神を送る。




 子どもたちには、神仏の意味もふくめ、拝み方までしつけをした。
そして何より子どもたちは、その1番の実践者である祖父の姿を見てきた。
 こうして次の世代へと引き継がれていく。
大切にしたい姿だ。


              岬人(はなんちゅう)

神様をお迎えし、お祀りする正月

2017-01-28 | 田舎暮らし
 今日は、春節(旧正月)。
正月をふり返る。

 正月は、神さまをお迎えし、お祀りする行事。
田舎のわが家では、そんな文化が色濃く残っている。

 大晦日、家中のすべての神棚に神様の好きなもちなどのお供え物が置かれ、燈明が灯される。

 左が年神様。
正月のみお供えされる。


 座敷の神様。


 お不動様。
正式には不動明王。仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。
大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。
真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。


 恵比須様。


 荒神様。


 庭に祀っている鍾馗(しょうき)様。


 明けて正月。
お供え物は、雑煮になる。
 ただし、仏壇は精進料理なので、魚などのだしをつかって煮たものはお供えされない。








 神棚の向きは、「天子は南面し、臣下は北面す」という故事にあるように、南は君主が向く方角とされている。
また東は太陽が昇る方角で、1日が始まる方角とし「勢いが良い」とされている。
 この事から神棚は南向き・東向きに置くのが一般的とされている。


 田舎暮らしには、このような大切な風習や文化がまだまだ色濃く残されている。

                    岬人(はなんちゅう)

内子オーベルジェから田舎暮らしを考える

2017-01-23 | 田舎暮らし
 一昨日、五十崎に用事があった。
朝7時過ぎ。
1時間ほど早く着いたので、内子の竜王公園に久しぶりに上がってみた。

 ここには、様々なスポーツ施設などがあると同時に、
田舎にはなじみが浅い高級ホテルがあった。
その名は、「オーベルジェ内子」。



 オーベルジュとは、フランス発祥でありながら、
日本各地にも数多く点在するようになった<宿泊設備を備えたレストラン>=オーベルジュのこと。

 自然環境などの地域性を活かしながら、地元の食材を使った料理の提供に努力を惜しまないオーベルジュは、
その土地ならではの食事を楽しみとする旅行者の期待に応えられる存在のようだ。



 また、食の安全や健康への影響、食材の品質に一般旅行者の関心が高まりつつある現在、
オーベルジュの存在は食事先を選択する際に、指標の一つともなるはず。

 オーベルジュでの食体験によって得られる、日本の食の豊かさとすばらしさを
国内はもとより世界へも伝えていくこともできるかもしれない。




 内子や五十崎の冬は長いので、それに備え、人間も植物も虫たちも春の訪れをじっと待ち続け、寒く長い冬を越していく。
田舎にいると、日々季節の移ろいを感じることができる。

「身土不二」、人の生活と自然環境は切り離せないということを昔の人は知っていた。
 オーベルジュ内子のコンセプト、すなわち内子の身土不二を根本に、
滞在を通して、人が生きる歓びと真の豊かさを感じとっていく。



ホテル内部を見せてもらおうとしたところ、
スタッフの方と仲良くなり、離れにある宿泊の部屋まで見せてもらった。

 いつか泊まってみたい宿だ。



                岬人(はなんちゅう)

年神様を迎える年末の風景

2017-01-06 | 田舎暮らし
 年末からばたばたしていて、ブログの更新ができていなかった。
今さらながら、ふり返ってみたい。

 正月に年神様を迎えるために、大がかりな掃除を行った。

 まず、母家の玄関。


 年神様は、とがった物がお気に入りなので、門松を立て
年神様が普段おられる田んぼのわらを使ったしめ縄を飾る。


 玄関周りや家の周辺もきれいに掃き掃除。


 同じようにわが家の玄関も掃除と簡単な飾り付け。


 玄関の前の小道も水をうち、掃き掃除。






 わが家の簡単な神棚もきれいにし、お供え物を。


 車も洗車し、しめ縄を飾る。


 昼前から始めた大掃除は、夕方まで続き、
ようやく最後は自分の身を清めるために、風呂に入り、きれいにする。

 何しろ神様を迎え入れるためには、きれいなことが大切だから。

 大晦日は、とてもおだやかな天気で、気持ちよく年越しできた。
田舎にはこんな文化や風景がまだたくさん残っている。
未来に残したいふるさとの大切なもの。

                  岬人(はなんちゅう)

 

 

 

家族でいっしょに働くことの幸せ

2016-11-29 | 田舎暮らし
働くということで、農業や田舎の良さを感じることがある。
それは、家族でいっしょに働けるということ。
ゆったりと。

 写真は、ふるさと平礒での様子。



 弟の洋海と2人の娘たち、そして母。
10年ほど前のこと。
楽しそうに柑橘を選果。
 2・3歳の姪たちもお手伝いのつもり。
これがいいのだ。

 子どもは、親やばあちゃんら家族の働く姿を見て育つ。
それがどれほど大切なことか。

 

 これも9年ほど前の写真。
小学3年生の息子も喜久家ボランティアとして来てくれた
韓国のキリュウちゃんや埼玉のお姉さんたちといっしょにお手伝い。

 

 7年前、父と母の選果の様子。
父がこれほど笑顔で写真に写るのは、とてもめずらしい。
きっとよほど楽しかったのだろう。

 

 6年ほど前の収穫作業の様子。
娘が、ばあちゃんといっしょに汗を流す。
豊かな実りに感謝。


 働くということは、心豊かな人生を送るためにとても大切。
大切な人といっしょに働ける。
共働って、本当に幸せなことだと感じる。

 そんな時間がふるさとには、流れている。

                      岬人(はなんちゅう)


孫の散髪をするばあちゃん

2016-09-25 | 田舎暮らし
 昨日息子が松山から帰ってきた。

 そしていつもの光景。



 ばあちゃんの散髪。
息子は、ばあちゃんの散髪が気に入っている。

 ばあちゃんもまたうれしそう。

 未来に残ってほしい家族の風景。


         岬人(はなんちゅう)

 

お彼岸に娘たちとお墓参り

2016-09-25 | 田舎暮らし
 今日はお彼岸の最終日。
夕方まで部活動をして急いで帰る。
暗くならないうちにお墓参りをしたい。

 娘たちに声をかけると、一緒に行くとのこと。
夕方6時過ぎ。
辺りは薄暗くなってきた。



 台風の後、木の葉が散乱していた。
それを見て、さやかがほうきで掃き始めた。
 大切なことだ。


 いつからだろう?
彼岸花が咲いていた。
 ひかるはお気に入りを写真におさめていた。



 彼岸花のいい話をしてあげようか。
 「ヒガンバナは、曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも、言う。
中国から、帰化したものと言われている。

 よく田畑の縁に、沿って生育しているのは、土に穴を掘る、ネズミ、モグラ、虫など小動物を避けるために、
有毒な球根のヒガンバナを植えたと、言われている。

 湿った場所を好む、有毒植物。
山間部などで見られるのは、その場所に、人里であった可能性が、有る。

 墓地に多く、見られるのは、人為的に植えられたもの。
墓地に、多いのは、虫除けと、土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐためと、言われている。

 有毒なので農産物ではなく年貢の対象外なので、田畑や墓の草取りの際に、栽培された。
 デンプンを多く含み、すって、長時間、水に、さらせば、無害化の可能性が有り、
救飢植物として、江戸時代の飢饉時や、第二次世界大戦中などの戦時に、食用にされた。」


 二人とも興味津々。
そして私もいろいろな角度から撮影。






 平礒のお墓は集落の一番高い所にあるので見晴らしがいい。


 そして湾の向こうには、明かりがつき始めた釜木の集落。


 結構、長いこといた。
そうこうしているうちに、父が犬を連れて、日課のお墓参りにやって来た。
 田舎のこんな時間はいいものだ。

           岬人(はなんちゅう)



 

 

ほろ酔い もみじ饅頭

2016-09-10 | 田舎暮らし
 田舎にいてもおいしいものは食べられる。
とれたての野菜や果物、魚介類はもちろん、流通が発達した現在では時として都会的なお菓子やスイーツまでも。
食が豊かになった。

 8月にめずらしいお菓子をいただいていた。
それを朝食べようと取りだした。
 贈ってくれた人が絶賛していた逸品。
その名も
「ほろ酔い もみじ饅頭」



 ところが思い出した。
「冷やして食べるとおいしいです。」
包装にも書いていた。
「冷やすと一層おいしくいただけます。」と。
ということで、これは食べず、冷蔵庫に。

 アイスコーヒーと一緒に、もう一つの洋菓子をいただいた。
 朝日で輝く釜木湾を見ながら。 

 田舎にはない味だ。



 朝のちょっとした幸せな時間。

 今晩は、郷帰りした喜久家ボランティアの夏ちゃん、台湾のゴー、弟、息子・娘たちとの懇親会。
これもまた幸せな時間となりそう。
 ビールを飲みながら、「ほろ酔い もみじ饅頭」を食べるとしよう。

          岬人(はなんちゅう)

 

 



 

家族でいっしょに働く

2013-11-29 | 田舎暮らし
 働くということで、農業や田舎の良さを感じることがある。
それは、家族でいっしょに働けるということ。
ゆったりと。

 写真は、ふるさと平礒での様子。



 弟の洋海と2人の娘たち、そして母。
6年ほど前のこと。
楽しそうに柑橘を選果。2・3歳の姪たちもお手伝いのつもり。
これがいいのだ。
親やばあちゃんら家族の働く姿を見て育つ。
どれほど大切なことか。

 

 これも6年ほど前の写真。
小学3年生の息子も喜久家ボランティアとして来てくれた
韓国のキリュウちゃんや埼玉のお姉さんたちといっしょにお手伝い。

 

 4年前、父と母の選果の様子。
父がこれほど笑顔で写真に写るのは、とてもめずらしい。
きっとよほど楽しかったのだろう。

 

 3年ほど前の収穫作業の様子。
娘がばあちゃんといっしょに汗を流す。
豊かな実りに感謝。


 働くということは、心豊かな人生を送るためにとても大切。
大切な人といっしょに働ける。
共働って、本当に幸せなことだと思う。

 そんな時間がふるさとには、流れている。

                      岬人(はなんちゅう)



田舎で飲むジャック・ダニエル old No.7

2012-02-11 | 田舎暮らし
田舎で飲むジャック・ダニエル old No.7


 初めてジャック・ダニエルを飲んだのはアメリカコロラド州へ研修に行った時だった。
この人こそアメリカンといった風貌のトム・ハワースに出会った。
ひげ面で体格の良い彼は、いつも楽しく・思いきったことをさせてくれた。

 テネシー・ウイスキーのジャック・ダニエルが大好きで、
私もよく飲ませてもらった。
 日本に帰国するためあいさつに行ったときも
紙袋に包んだジャックダニエルをお土産として私に差しだした。
大らかな彼の気持ちがとてもうれしかった。

 あれから8年、ジャック・ダニエルをよく飲んでいる。
今日もビールを買いに行った店で目にとまり、ついつい買いこんだ。
そして家に帰り、ストーブの前で味わった。

 その箱には次のようなことが書かれていた。

『時とともにすべてのものは変化します。
しかし、ジャック・ダニエル蒸留所が造り出すテネシー・ウイスキーの製法は、
100年以上経った今も変わっていません。
 時間のかかるチャコール・メローイング製法で一滴一滴ろ過した芳醇な味わい。
まろやかで均整のとれた琥珀色のウイスキー。

 このジャック・ダニエル・オールドNo.7が初めて金賞に輝いたのは、
1904年セントルイスで開催された世界博覧会でした。
翌1905年にはベルギーで開催された世界博覧会においても金メダルを獲得しています。
そして次々と国際的な博覧会で7つの金賞を受賞していきます。
ジャック・ダニエル・オールドNo.7がこれまでに受けた数々の栄誉は、
ボトルに貼られた黒ラベルのなかに、みつけられるはずです。

 そして、ウイスキーに相応しい個性的なデザインと、
選ばれた四角いボトルも100年前から変わっていません。
現在ではジャック・ダニエルのシンボルとして世界140カ国以上で親しまれています。

 ジャック・ダニエル・オールドNo.7は、決して変わらない。
変えてはならないものを静かに語っているのです。』
 

時代が変わっても変わらないもの。
変えてはならないものは、田舎にもあります。

 ストーブの炎を見ながら、
ほろ酔い気分でそんなことを考えていました。


                岬人


キャンドルナイトで過ごす日

2011-10-23 | 田舎暮らし
 日常の生活からどんどん火がなくなっている。
 調理、暖をとる、風呂、灯りなど
火は私たちの生活になくてはならなかったもの。
 でも今やオール電化によって、炎を見なくてもそれらができるのだ。
あるときからそんな生活に危機感となつかしさを覚え、
機会があればできるだけ、火を使うようにしている。

 

 昨日まで1泊2日で伊方町の中学1年生が集まって、
合同宿泊野外体験活動があった。
 夜は、キャンドルサービス。
77名の子どもたちが、火の神から分け与えられた火を手にし、
燭台に立てていく。
 暗闇に照らされた燭台を飾るキャンドルの炎。
とても幻想的で、
「わー、きれい。」
という声があがった。

 炎は、実用的なことばかりだけではなく、
私たちの心を癒す効果もある。
 以前、我が家では、キャンドルの夜を定期的にもうけていた。
子どもたちもそれを楽しみにしていた。
秋の夜長、久しぶりにまた「キャンドルで過ごす夜」を復活させたいと思っている。