平成20年5月7日にFMICS用に書いた原稿です。
まあ、10年前とほぼ変わらない現状に
少し違和感を感じ赤で加筆しました。
最近の子供たちは、「マッチで火を点けられない、ナイフで鉛筆を削れない」等、数え上げたらきりがないくらい当たり前のことができないと言われています。挙句の果てに「外で遊ぶことが出来ない」なんて凡そ私の子供時代には考えられないことが現実のようです。大人が子供たちの安全と安心を考慮しすぎて、子供たちから「危険なことや面白いこと」を遠ざけてしまったツケが回ってきたのだと感じます。私が子供のときは、毎日外で色々な工夫をして遊びを創造していたと自負があります。現状は、そんな体験もせずに塾に通って小中学校時代を過ごして、高校生活をおくり大学に入学する。大人たちが用意した「危なくない、面白くない」トンネルを永い間かけて潜り抜けてきた学生ばかりだということです。
「大学という“場”の力で学生に“気づき”を与えてほしい」というカレッジマネジメント149号の千葉望氏のタイトルに魅かれました。文中、『今の親たちは大学を「学問の場」だと長い目で見ている親は本当に少なくなった。大学を就職予備校みたいに考え「就職率の高い大学」にこだわる。こういう状況の中で、子供は小さいときから「明日のために今日を売り渡す生活」を続けていく。いい高校へいくために、いい大学へ行くために、いい会社に行くために。現状に子供が希望を失わないほうがおかしい』という。この状況を打破するような言葉が冒頭のタイトルとなっていた。
これが無理なことを実感している私がいます。
最終目標がいい会社にいくためと親から言われても、彼らはその会社に入ったところで、将来が担保されないことを知っている。
子供のときから塾に通い、いい会社にいくための道を走らされた子供たちは、まるで富士山を最終目的として、親の車で高速道路に乗って5合目まで連れて行かれてしまったようなものです。車を降りた瞬間に初めて空気の違いを肌で感じ、温度の違いに驚くのと同じです。まさに大学を卒業して社会の空気に触れる瞬間もきっとこんな感じだと思います。それで違和感を感じ、せっかく入った会社も3年以内に辞めてしまう人が増えたと話題になっています。
まあ
我慢して働いて
50歳で出向に出されるか
60歳で役職定年を迎えるか
65歳で無事に定年して
卒婚されるのか
退職金はあっという間になくなっちゃう
これを意識して
就職しますか?
いま、私は車で旅行に行くときに高速道路を時速100㌔で走っても普通に感じ、車内の温度を快適に調整し音楽も聴けることに違和感を感じません。何一つ不自由のない空間に勘違いしている自分に気づいていません。実は自分の足で歩く意味は、土の感触を踏みしめ山や谷を越えるときに感じる空気や温度の違いを肌で感じながら進める点にあります。時には難所があったり見知らぬ人と出会ったり、その時々に多くのことを学べることにワクワク感が生まれます。これが“楽しみの原点”だと感じます。
ワクワク感と出会いを大切にして
人とふれあって学ぶことも重要ですね。
学生に“気づき”を与えられる“場”とは、便利な高速道路を作ることではなく、煩わしくて大変なでこぼこ山を乗り越えられるような環境を創ることだといえるのではないでしょうか。
振り返ると
面白いおじいさんたちから
教わることの方が
大切な事が多かったなぁ
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