家の初代猫
フミヤが死んだとき
号泣したの思い出して
いま思いだし泣き。
死んだとき
いや、
腎臓病って解ったとき。
あの時、
フミヤの様子がおかしいの
怖くて
病院に連れていくの
躊躇ってた。
猫の本、病気の本
読み漁ってたから
症状から
腎臓病ってのは
予測ついてたから。
治らない病気。
それは人間が甘やかして
人間の食べ物を
あげ続けたせい。
無知な父のせい。
止められなかった
アタシのせい。
心を決めて
一人自転車で
お金握りしめて
病院に連れて行き
やはり
フミヤは即入院になって
離れたくなかったけど
病院に置いて。
謝りながら
帰りの自転車
何も考えられなくて
号泣しながら帰った。
だれが見てようと
関係なかった。
涙が止まらなかった。
分かってたのに
それでも
涙は止まらなくて
家について
部屋に入った途端
声が
勝手にでて
部屋中に響く声で泣いた。
これが
慟哭
なんだと思った。
一緒に死のうと思った。
あの時
ただ孤独で
親も兄弟も
友達も信じられなかった。
あたしの側には
フミヤしかいなかったから。
今でも
思い出して泣いてしまう。
あたしはまだ生きている。
一番大事で
一緒に死のうと
思ってたのに。
それを思い出して
まだ泣きながら
まだ生きてる。
不思議でならない。
どうして
生きているのか。
不思議でしかたない。
フミヤは最後
あたしの部屋で
あたしの側で死んだ。
最後まであたしの事
思っててくれた。
ありがとう
ありがとう
今でも
忘れてない。
心に
傷になって残ってる。
まだ痛くて
治らない心の傷だけど
生きてるうちは
背負ってく。
フミヤには多分会える。
もちろんデュオとも。
二人で待っててね。
ゴメンね。
本当にありがとう。
大好きだよ。
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