南極昭和基地近くで発見された火星からやってきた石が来年の大阪関西万博で一般公開される見通しである。54年前の千里丘陵の万博では月の石が展示されて米国館では長い列ができた。今度は火星からの石である。楽しみである。
安倍元総理と統一教会の関係のニュースが紙面を飾っているが、写真付きだから自民党の言う無関係は崩れさってしまっただろう。
安倍さんは長期政権を自慢されるしアベノミクスという経済対策も自慢たらたらのようだが、果たしてこのアベノミクスがあったのかどうか国民ははてと首を傾げるのではなかろうか。安倍さんの総理在籍期間は所謂失われた30年の中に入る。デフレ脱却の政策を本気でやっておられたであろうか。あれほど金利を上げろという声に全く耳を貸さずに裏では旧統一教会なるものと選挙対策をやっておられたようだ。
先般の政策金利0.25%上げでようやく経済が動き出したようで地方の地価が上がり始め活気を呈し始めている。たった0.25%の上げであるのに関わらずなのだ。自民党員に持ち上げられて自席を守っただけの長期政権ではなかったのか。金利を上げて国民の資産をより豊かに形成する政策を採っておられたならばそれはきっと”アベノミクス”として後世の残るよき政治家といわれそうだがテロで自滅された本人にとってはやはり何かが欠けていたとしか思えない。
関西地方特に京阪神地区はよく晴れていて今宵の名月はしっかりと見られるだろう。数年前はススキの穂を取ってきて玄関に飾ったものだったが、最近は気分的に余裕がなくなったのかすっかりそういうところまで行かなくなった。80歳を超えてやれ高血圧だ、血糖値が高いとか、BMIの数値が良くないとかで月を愛でるところまでに気分が乗らない。
でも、先日スーパーの売り場にお月見団子を買ってきて小さな仏壇に供えて今夜頂こうと思っている。「名月や 池を巡りて 夜もすがら」 昔の人は秋の夜長を愛でながら虫の音でも聴きながら一夜を楽しんだのだろうが、今はそんな悠長な気分な人は皆無だろう。今日も全国的に猛暑の一日だった。名月の夜が猛暑の夜になるのは初めてで温暖化が目に見えて現実化していることがよくわかる。
敬老の日、団塊の世代が全員75歳以上になったとある。
昭和40年代後半、学校を出たての若者が続々と会社に役所に就職してそれを受け入れる企業や役所は建物の改築や新たな場所への移動が大変だった。高度成長の始まりでもあった。街には若者で賑わい年末の忘年会は若い新入社員が幹事を任され夜の盛り場は爆発したような活気で溢れかえっていた。
その時代を彩った所謂団塊の世代がすべて後期高齢者となり街から消えてまさに宴の後の感じの今の世相である。団塊の世代の子供たちもそろそろ定年を迎えようとする。その団塊の世代の子供所謂団塊ジュニアーは豊かな時代に生まれ育ったせいかいまいち迫力に欠けるというか時代を造る精神に乏しいようだ。
豊かになったことは結構なことだが欠乏感に囲まれて生きてきた今の後期高齢者からみると何となく物足りない気持ちがするがどうだろうか。甲子園での選手宣誓を見ているといやいや今の若者も我々時代には無かった素晴らし闘志の持ち主であることがわかる。この若者が将来の日本を造ってくれるよう祈るほかない。きっとやってくれるであろう。結婚して子供を多く生んでくれるよう祈るほかない。
今日は13日の金曜日なので外出は控えて静かに過ごそうと思う。
さて、フジモリ元ペルー大統領が死去された。86歳。フジモリ大統領といえばペルーの首都リマにある日本大使公邸人質事件を思い浮かべるであろう。1996年12月17日、ペルーの左翼ゲリラが公邸に進入して多数の人質を取り立てこもった事件で1997年4月22日、軍の特殊部隊が公邸に突入して人質71人全員を無事救出するという見事な采配を成し遂げた最高責任者だった。ゲリラの逮捕と人質の救出という相反する対応をいかに成し遂げるかがフジモリ氏にとって最大の問題で心中を察するに余りあるものだった。氏の採ったものは持久戦に持ち込み相手の疲労を待つというもので終始ゲリラの行動を監視し対応をするというものでその間、密かに地下トンネルを掘削して大使公邸の建物に軍を投入しようとしたかもしれない。ゲリラのメンバーも疲れからか1階の大部屋をサッカーの会場にしているという情報を手にしたペルー軍は人質が2階にいることを確認、サッカーに興じているゲリラに地下に仕掛けたダイナマイトを爆発させひるむ隙に正面から軍の特殊部隊を突入させ銃撃戦となりゲリラ全員を射殺して事件は収束した。
特殊部隊側も1名の犠牲者が出たがひと質側にも1名の犠牲者が出た。だがこの指揮を執ったフジモリ大統領の手腕を高く評価するものだった。
フジモリ元大領領の死去に深い哀悼の誠をささげたい。