日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

時間が止まった

2017-08-05 22:18:26 | 不思議なお話
こんばんは。
最近、夜が涼しくなってきたと申しましたが、たまにやはり寝苦しい夜もあり。
寝たか寝ないかわからぬままに、時間が過ぎてしまうこともあるようです。
昨夜もそんな感じでして。
で、明け方近く、ふっと目が覚めて窓の外を見ると、なんとも綺麗な空が。
あともう少しで朝焼けになったのでしょうけれど、なんせ相当寝ぼけておりましたので、それでもと思い撮ったのが此方。
寝ぼけていただけあって、かなりブレておりますがご勘弁のほどを;。(というか、拡大してこんなにぶれてると思わなんだ;)
明けの明星、金星が見えていますね。

                              

こちらは毎度おなじみの朝のお日様。
ピーカンです。

                              


このところ不思議な話をしておりませんでしたので、自分が体験したそんな話を書いてみようと思います。
明日の原爆の日に事寄せて、そのお話を、とも思いましたがそれはまた後日にさせて頂きます。


                                


一人暮らしをしていた頃、(今もそうですが;)20代の頃に瞑想をしていたという話は以前させて頂いておりましたが、その頃のことです。
多分、その頃は毎晩のように一人、瞑想をしておりました。
なにせ一人ですので、邪魔する人もおらず、しようと思えばそれこそ何時間でもできていたのではないのかな、と思います。
そんなことをしていたのも、これも以前話したように瞑想の先生についてあれこれしていた時期だったかと記憶しております。

グループで集って瞑想をしていた頃、ある音楽をかけてその音を楽しむというのか、音を見てみようといわれたことがありました。
音を観るって、どういうこと?と思っていたのですが、中の一人がスピーカーから流れる音を聞きながら、ああ見えるね、と言いました。
え?見える?
そう思い、その音が見えるという本人の近くへ行くと、確かにぼんやりとした感じで焦点をずらしてそのスピーカーを見ると、音に合わせて
微かな青い煙のようなものが出ているのが見えました。
これ?と思い本人に確認すると、そうだよといいます。
へぇ、音って見えるんだ、そう感じながらそのスピーカー辺りをしばらく眺めていたのを覚えています。
実際、音に色が着いているように認識できるという人がおられるようで、その人は音につれた色が見えているようですね。
「共感覚」というそうですが、他にも数に色が見えたりとか色々あるようですけれど、自分自身はその感覚はそのときだけのもので、その後は
音に色を感じることはありませんでした。
メンバーで同じ瞑想をすることにより、そのような感覚も、もしかするとその場でそれこそ共に感じあえるような状態になっていたのかもしれ
ません。


当時、付き合っている男性がおり(主人ではありません、そのもっと前です;)ある日曜日に会う約束をしていました。
彼はSEをしており、日曜といっても結構会社へ出ていたようでした。
本来ならそのような職場へ自分が行くことはないのですが、休日でもありましたので、今日はちょっと来て見ない?とその日に誘いを受けており
ましたので、それならば、と向かうことにしました。
因みにその彼は上記の瞑想のメンバー、仲間とは全く面識のない人です。
その日曜日、自分自身、朝から光が綺麗だなぁとか風が気持ちいいなぁとか、普段からぼんやりしている方でしたが、それに輪をかけたように
感じておりました。
バスに乗り、まずは街中へ出掛け、バスから降り立ちました。
いつも見慣れている風景なのに、何故だか周りが明るく心地よく感じます。
いやそれは、これからデートだからでしょ、といわれそうですが、そのような感覚とはまた違うものでした。
その日は、いつも以上にゆっくりと歩幅を進め、周りの人たちの楽しそうな声や表情を見ながら、自分も楽しいなと感じていました。
一歩、一歩、確かめるように進んでいくのですけれど、どうしてだかそのスピードがだんだんとスローモーションのようになってきて、それと
共に周りにいる人々も、またその声もゆっくりと聞こえてくるように感じられ、とうとう終いには自分自身が歩く事が出来なくなり、その場に
立ちすくんでしまいました。
立ち止まると共に、自分の周りだけが今度は膜を張ったよう、ベールを被せたように思われ、どうにも身動きが出来ないような感覚に襲われました。
実際にはものの数十秒、あるいはもっと短かかったのでしょうけれど、自分にしてみれば30分位はそのようにしていたように妙に長く感じられ
ました。
その間、周りの物音は一切耳に聞こえてきていなかったように思います。
どうしていいのか自分でもわからず、途方に暮れるというのはこういうことなのか、と後にして思えばそうだったのでしょうけれど、その時の自分
は、一体何が起こったのか全く分からず、どうにも出来ない状態でした。
そうしていても、頭の片隅で、これじゃいけない、周りの人に変に思われる、という多少はまともに判断出来る能力が残っていたようで、ともかくも
彼のいる会社へ行こう、と先ほどまでとは違い、とてつもなく重くなってしまったような足をひこずるような思いで、歩き始めたのでした。

やっとの思いで彼のいる会社へたどり着くと、やぁ、よく来たね、もう少しで終わるから、これでも読んで待っといて、と文庫本を何冊か手渡して
くれました。
ただ、その時の自分が相当に青い顔をしていたのか表情に乏しかったようで、しかしその事を彼自身は待たせていることに腹を立てたのかな位に
最初は考えていたようです。
渡された本に目を通すことすら難しい気がして、自分自身は声も出せない感じで、ただ座って待っていました。
しばらくして仕事のけりがついたのか、手を止めて自分のところへ来てくれましたが、どう見ても普通ではない様子の自分にどう対処したらよい
のかわからぬようで、彼の方がオロオロするばかりでした。

その後、その日をどのように過ごしたのか、殆ど記憶に残っておりません。
ただ、出そうと思ってもどうしても声が出ず、自分が先ほどどのような状態であったかを説明しようにもそれもままならず、たとえ声が出たとし
ても一体どう言えば理解してもらえるのか、そう頭の中でグルグル考えていたのだけは覚えています。

既に夜になっていました。
おそらくどこかで食事もしたのでしょうけれど、その事も全く記憶にありません。
気づくと、彼の車でどこかをドライブしていたのですが、彼自身、本当にどうしようもなかったのだと思います。
その頃になり、やっと自分が声を出せるのではと感じ、搾り出すように、「もう帰ろう」と言ったように思います。

                              
                                

あの日の記憶はそこまでで、それ以降どうであったか、やはり覚えておりません。 

後日、その日のことをお会いしたことはないのですけれど、瞑想のグループでお世話になっている先生の、そのまたもう一つ上の立場にある先生と
いわれる方が仙台にいると聞いておりましたので、その方に向けて手紙を出しました。
あの時の自分がどのような状況で、どのように感じていたかをおそらく事細かに書いて送ったのだと思います。
しばらくして仕事から戻ると、郵便受けに達筆な文字の分厚い封書が届いておりました。
仙台の先生が返事を下さったのでした。
恥ずかしながら、その返信にどのようなことを書いて下さっていたのか、今となっては殆ど覚えておりません。
ただ、その文章のはじめあたりに、自分の出した封書が向こうへ届いた折に、その水色(どうやらその色で出したようです)の封筒を最初、とても
不思議な思いで眺めたと書かれていたのは記憶に残っております。
内容そのものはどうであったか定かに覚えてはいないものの、温かみのある文章で、心配することはないように綴られていたように思います。
当分は、その手紙を大事に保管し、事ある毎に読み返していたようにも思いますが幾度か引越しを繰り返すうちに、その大事な手紙もどこへいった
ものか、今では行方もしれません;。

                              


不思議な話と言っても、この程度の事ですけれど、今でもあの時の不思議な感覚は一体なんだったのだろう、と思うことがあります。
それこそ、ほんの少し次元の違う処へその時の自分は居たのではないのか、そうも思います。
あれ以降、そのような状態になることはありませんけれど、もしもう一度なってみることが出来るとしたら、今度はその感覚を思いっきり楽しん
でみたいと思います。  
ただし、そこまで心に余裕があれば、の話ですけれど。


本日もこのブログへのお付き合い有難う御座いました。
感謝申し上げます。                             
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中間地点

2017-06-24 23:09:35 | 不思議なお話
こんばんは。
今日は昼過ぎた頃から次第に雨となり、だんだんと本降りになってきました。
この辺りについていえば、待望の雨といえます。
ただし、明日は九州地方はかなりの雨量が予測されているようですし、注意が必要な地域もあるようですね。
朝日は見えましたが、その後は雨でしたのでその分写真はさほど撮れておりません。

                                

昨日、向こうの世界についてもう少し書いてみたいと書きましたが、自分で感じたことばかりですと、どうしても主観でしかものを見ていない
ようにも感じられると思います。
そこで今回は、自分ではない別の方が実際に体験したことをあげさせて頂こうと思います。
この方自身、幼い頃から人には見えないもの、感じないものを感じ取るほうだったらしく、その事で周りの人と自分が違うということが何となく
わかっていたといいます。
元々は信者さんのお宅の娘さんであり、その娘さん自身のことについてあれこれとご相談を受けておりました。
年月が経ち、その娘さんとの関わりの方が大きくなって行くうちに、自分とその彼女の歳の差はありましたが、人とは違うところがお互いに
あることで、どことなく家族ぐるみで話をしたりすることが増えていき、次第にその彼女と打ち解けて何でも話すようになっておりました。

そんな月日がかなり経ち、昨日話したように主人が倒れた時や、その後も幾度も入院したときなどは、ことある毎に何かと相談するようになって
おりました。
そうこうするうちに、昨日書いたように最後の病院へ主人が入院した頃から、その彼女が体験したことを述べさせて頂こうと思います。

                                 

ある日、彼女がたまたま一人でうちに居た時、主人が彼女のもとを訪れたそうです。
そう、当の本人はベッドの上でほとんど身動きすら取れずに寝ていた頃のことです。
その主人が、壁を通り抜けたのだか、窓をよっこらしょと跨いで入ったのか、ともかくも彼女の目の前へ現れたそうです。
最初、その姿、光景を目にした時は彼女自身、何が起こっているのか理解出来なかったといいます。
そりゃそうですよね、アニメや映画でもない限り、そんなことがあるわけも無いはずですから。
ですが、本当に突然、自分の目の前にその当時の主人よりもかなり若い風貌の本人が、ごく普通の元気な格好で現れたそうです。
驚いて声も出ない彼女に向かい
「やぁ、元気かの?」
と声を掛けた主人の肩には大きな風呂敷包みが担がれていたといいます。
それも、寅さんがもっていたような唐草模様のそれだったとか;。
この状況を理解できないものの、何とか声を発した彼女は
「この風呂敷、どうするんですか?」
とやっとの思いで尋ねたそうです。
すると主人は嬉しそうに
「これか?これはの、こっちへおる時のいらんもんを向こうへ持っていこうと思うての。母ちゃんやら息子がちいとでも困らんようにと思うてな。
 少しづつ、こうして担いで持っていこうと思うとるんよ。」
とニコニコしながら答えたそうです。
「はぁ、そうですか・・・。」
彼女はそう答えるのが精一杯だったといいます。
「ま、また来るけんの、じゃぁの」
と言うと、来た時と同様にスーッという感じで主人は壁の向こうへ消えるように見えなくなったそうです。
そんなことが、その後も二、三回はあったといいます。
そのいずれもが、不思議と誰も居ないときを見計らったかのようだったと後で気づいたとのことです。

最後は主人が逝く前、一週間くらい前だったといいます。
いつものように?壁を抜けてきた主人は、これまでにも増して大きな風呂敷を担いで登場したそうです。
「今回はかなり大きいですね」
と、これもまたこの状況に慣れてきていた彼女が聞くと
「うん、今日で終わりにしようと思うとるけん、こんな大きいのにしたんよ。こんだけ持っていってやったら、あれらも助かるじゃろうけんね。
 わしの仕事もこれで終わりじゃわ。あんたにも世話になったの。これまで色々とありがとうの。」
というと、その大きな風呂敷包みをよいしょと肩に担いで
「じゃあの!」
と言って帰ろう?としたそうです。
それを見て慌てて
「お気をつけてー」
と声を掛けた彼女に
「うん!」
とこれまた嬉しそうに笑いながら、じきに薄れるようにして見えなくなっていったといいます。

唐草模様のその風呂敷に、一体何を担いで「あの世」へと旅立ったのか自分達にはとんとわかりまねますが、本人にしてみれば残しておいては
いけないと思われるものを持っていってくれたのでしょう。
今でもそれが何だったのかは、やはりわからぬままではありますけれど。


                                  

実はこの話、主人の葬儀も終わり、五十日祭の後に(神道ですので四十九日ではなく、五十日祭となります)参列頂いた方々にお返しの品を
お送りさせて頂きましたが、その際に上記のようなことを文章にしたためまして、その品と共にお送りさせて頂きました。
生前の主人をよくご存じの方には「先生ならやりかねんね」と好意的に受け取って頂きましたが、そうでない方も当然おられ、そんな話には
触れることすらされない方がいらっしゃったのも事実です。
これもまた当然な話かと思います。 

話に登場してくれた彼女にこの事を聞いたのは、主人が逝ってしばらく経ってからでした。
悲しみが癒えぬまま、つい彼女にあれこれと話をさせてもらっているうちに、こんなことがあったんだよ、と私に打ち明けてくれたのでした。
最初は自分自身、まさかと思いましたが、いやいやあの主人ならその位の事はするだろう、と妙に納得出来たのでした。
息子にも当然、この話をして聞かせましたが
「あの親父ならやりかねんよ、でも出るんならまずは自宅に顔出さんとね」
とのたもうておりました。
自分もそう感じておりましたので、そう彼女に話すと
「家族のところに顔を出すのは、やっぱり難しいらしいよ、お互い(別れが)辛くなるから」
と答えてくれました。
夢とは違うのと、これもまた尋ねると、
「夢はまだ夢として認識するけれど、実際に目の前に出てくるとかなり狼狽するよ。こういう場合は他人の方がいいみたい」
とも話してくれました。

                            


「あの世」という話とは少し違うかと思います・
向こう側とこちら側のちょうど中間地点での出来事のようにも思います。
完全に向こうへ行く前の段階の話、とでもいえるでしょうか。
その世界、そこはもしかするとしんどさも苦しさもなく、案外楽しい場所なのかもしれない、そう思ったりもします。
自分自身が体験するには、まだしばらく時間が掛かりそうです。



今日もこんなブログにお付き合い頂きまして、有難うございました。
感謝申し上げます。





ご相談等、承っております。
 
  kimikimiblue13@gmail.com

此方の方へお知らせ頂ければと存じます。

   
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山での出来事

2017-06-18 21:44:24 | 不思議なお話
こんばんは。
今日も今日とて良いお天気です。
その上、なんとなく空気そのものが白けているようで、PM2.5もかなり高いような気がします。
湿気がないのは助かりますが、こうも潤いが無いのも困り者です。
で、今朝のお日様。
どことなく雲はありますが、その後はほとんど雲なし状態。
本気で雨乞いしようかと思っております。(じゃ、早くしろと言われそうですね;)

                            

昨日、もう一つ思い出した話があると書いており、どうしようかと思いましたけれど、上げてみることに致します。
これもまた信じられないような、そんな話の一つではあります。


それは、主人と一緒になる少し前の事でした。
春、おそらく3月頃だったのではと思います。
二人で車に乗っており、場所は安佐南区の緑井あたりだったかと記憶しております。
これもまた、自分の得意分野?のようですが、ふとあの山って登れるのかな?と思いつき、運転している主人に尋ねると、これから行ってみるか
ということになり、そのまま車を走らせました。
その山というのは、テレビの電波塔のある権現山というところで、此処へは頂上まで車で登って行くことができます。
おそらくウィークデイだったのか、その頂上あたりやその途中にも桜があり、それを観るのにシーズンともなると結構な人や車がいるのです
が、その時には自分たち二人だけでした。
車を停めてくるという主人に、自分は先に上の方へ行く旨を告げて歩き出しました。
歩き出すと、これもまた歩いて登って来られたのか、資材を担いだその当時の運輸省の職員の方とおぼしき若い二人連れの男性が測量かなにかを
しにこられている姿を目にしました。
その時、自分は、一人の方と目が合ったように感じていました。
とはいえ、お互い知らぬ同士ですので、特に会釈するでもなく、そのまま自分達の進む方向へと向かったように思います。
自分自身は、元々お転婆といわれてきたような方ですので;、その時どのような格好をしていたのかは忘れましたが、どうやら大きな岩を
見つけて、その上に登ってみようと考えたのでした。
その岩自体は、かなり狭い場所を通らねばその上に登れないのもわかっておりましたが、先ほども申した如く、そのお転婆が功を奏し?よじ登って
みたのでした。

そこをようやっとで登ると、見えたのは、その下に広がる景色です。
すぐ近くにはゴルフコースもあるのですが、そこでプレイする様な音が響いてきたり、或いはすぐそばで鳴いているような鶯の声やら、様々な音が
耳元に届いてきて、ああ、気持ちいいなぁ、このままずっと此処へ居たいなぁ、と感じていたのでした。
時間は多分午後の3時過ぎくらいだったかと思います。
何故それを覚えているかといえば、大体それくらいの時間には、大抵おなかがすいたとかといい、何がしかお茶したりしていたからでした。
ですので、この山に登る前、来る前にもどこかでお茶して行こうかという主人の提案に、いや今いいよと断ったのも覚えていたからです。
こう書くのも、そんなお茶もなにもしていないのに、おなかもすかなければ喉も渇かない、ただひたすら気持ちいいなぁ、此処から帰りたくない
なぁ、と感じていたからでした。
自分が感じたその時の時間は、ほんの5分程度だったかと思います。

その頃、車を停めた主人は、先にどこかへ行った私を捜しにあちこちを歩き回っていたようでした。
申すように山の頂上ですし、車が停められるとはいえ、さほど広い場所ではありません。
捜すのも、それこそものの5分もあれば見つかるような場所です。
それにもかかわらず、いくら声をだして名前を呼んでも一向に出てくる気配はなく、だんだんと焦って来ていたようでした。
折りしも、先ほど自分が出会った運輸省の若い職員さんに主人も出くわし、此処で女性を見かけなかったかと尋ねたのですが、誰一人として
此処へは来ていませんよ、との答えしか返って来なかったといいます。
もし見かけたら、また教えて下さいと頼み、主人はまだあちこちを捜してくれていたのでした。

そんなことになっているなど露知らぬ自分は、その頃、そよ吹く風に頬を撫でられながら、ひたすら気持ちいいなぁ、とそればかりを感じて
いました。
が、ふと、あ、そうだ、主人はどうしているのだろうという思いが頭をよぎり、そろそろ此処の岩から下りようかという気になって、その場所
から離れました。
木々の間を抜けて、道路のあたりへ姿を現した私を見つけた主人は、驚くともなんとも言えぬような顔をして此方を見返してきました。
「どこ行っとったんや」
と咎めるとも安心したともとれるような声をして聞くので
「ごめんなさい、あそこの辺りにある岩の上から景色眺めてました」
と答えると
「あそこの岩か?あそこはさっき行ってみたけど、誰もおらんかった。それもじゃけど、大声で呼んだのも聞こえんかったんか」
と更に尋ねるので
「なんにも聞こえんかったよ、下のゴルフ場の音と鳥の声しか聞こえてないよ。あ、でも運輸省の人二人にあったよ」
と話すと、
「女の人なんて、見てもないと言いよったぞ」
と話したのでした。

自分が車から下りて主人と別れ、その後もう一度顔を合わせた頃には、ゆうに一時間は経っていました。
自分自身はものの5分と感じていた時間でしたが、実際にはそのくらいの時間が経過していたことになります。
その間、自分は周りの人や景色は見えていたのに、周りの人、主人も含めてですが、その人たちはこちら側は見えていなかったということ
になりますね。

                               

いつもの如く、ふと気づいて岩を下りた自分でしたが、それにはどうやら理由があったようでした。
私がいなくなったと思った主人は、そういえばこの辺りに小さな祠があったはずと気づき、辺り一帯を探したようです。
そうして見つけたその祠の神様に向かい、此処で見当たらなくなった連れの者を戻して欲しいと一心に拝んだそうです。
ややすると、私がどこからともなく現れて来て、先ほどの会話をしたことに繋がったのでした。

そんな経緯があったことなど全く知らず、のほほんとしてこれまでの事を聞いていたわけですけれど、もしあの時、主人がその祠の神様に
私を返して欲しいと祈ってくれなければ、実際には自分はどうなっていたのか、そう思います。
あの岩の上では飲食のことなども忘れる位、ただただひたすら気持ちよく、いつまでもこうして此処へ居たいと思っておりましたので。
時間も気にもなりませんでした。
岩の上やら辺りを捜しても声を上げて呼んでも全く見つからず、誰も自分の姿を見てもいない。
それこそ、同じ場所でありながら、別の次元に存在する、こちら側とあちら側のように思えます。

よく「神隠し」といいますが、あの時の自分はもしかすると、そのような状態だったのかもしれません。
今思い返しても、我ながら不思議な体験でした。

この時の話は、その頃自分達の方が面白がってしまい、色んな人にも話したのですけれど、皆さん怪訝そうな顔をするばかりだったのも
覚えております。

                                 

息子が幼稚園だったか、もう少し後だったか、やはり同じように桜の咲く時期にそこを訪れ、今度は二人してその岩に登り、最後に件の祠の
神様にお神酒を差し上げて、その時のお礼を申し上げました。
その時には、その岩に登っても、もう以前のようなことは当然起こらず、ごくごく普通に景色を堪能してきたのでした。

                                 

今日もまた、煙に巻くような話でした。
ですけれど、自分が体験したことでもあります。
どんな風に感じられるかは、皆さんにお任せしたいと思います。

本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。


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その明かりは

2017-06-17 21:50:33 | 不思議なお話
こんばんは。
今朝はやはりご覧のような元気一杯のお日様登場でした。
それでも、この後はだんだんと高層雲も増えてきて風もかなり吹いた日となりました。
気持ちよく過ごせましたよ。

                                

ただ、やはり水はかなり少なくなってきているようで、この辺りの田んぼに引く水は山からの湧き水を利用しておられますが、流れそのものが
細くなってきているようです。
そろそろ本格的な雨が欲しいところです。
そういえば、夕方いつものように散歩をしておりますと、いつもお会いするご近所の方が畑を耕しながら、「雨降らしてくれんかいね」
と冗談ではありますけれど、言っておられました。
そのくらい、水量が減ってきているのだと思います。

                                

前から申すように散歩するには、この辺りは平地ではありませんので坂を上って住宅団地の辺りまで行っております。
山を削って造成されたところですので、その端っこ辺りは当然山に近く、今日歩いた折にも人口の川を作ってあるその向こう側の藪から
がさごそと音がするので、こんなところへ人も入るまいに、と見ているとそれはどうやらイノシシ!のようでした。
民家のすぐそば、その川を渡ると人の気配もするようなところへ野生の動物が住んでいるんですよね。
息子が学生時代、原付で峠越えをして大学へ通っておりましたが、その峠辺りでは乗っていた原付よりも大きなイノシシを幾度か見かけた
そうで、そんなのとまともに当たったら、こっちが危なかったとよく話しておりました。

それほどこのあたりは、少し外れると自然が豊かであるとも言えるのでしょうか。
或いは、人間により開発が進んだ為、そのような動物たちも人の住む近くにまで出没するようになったのかも知れません。

                                 

ところで、そんな山、里山に近いようなところには何故か、気づくと若い頃から一人で登っていたりする時がありました。
何の気なしに一人で、道もないような場所をどこともわからず登っていき、気づくとどうやら山頂辺りへ出ているというような事がこれまで
に幾度もあったような覚えがあります。
さすがに最近はそのようなことは少なくなってきておりますけれど。

それでも今日の散歩の際、これまたふと思い立って、いつも歩く団地の端っこの辺りを道沿いにずっと上のほうまで歩いてみました。
ちょうど写真を載せておりますが、白く見える葉っぱはまたたびだと思いますけれど、そのような植物があるような結構な山に近い所でした。
造成してある場所なので、道も舗装してありますし、歩きやすくもあります。
それ以上に山へ入るには、これはちょっと危ない感じでしたし、道も定かではありません。
靴も普通のスニーカーですのでさすがに入ろうとは思いませんでした。

此処までくると鳥の声もはっきり聞こえますし、ホトトギスなどはそぐそばで鳴いているのかと思えるほどです。
そこまで上ってきて結構熱くなってきておりましたが、辺りの山の冷気のせいか、ひんやりと感じられました。
今では民家がそこへ何軒も建っておりますのでそれほどでもないのかもしれませんが、夜間はさすがにどうだろうな、と思えるくらい、すぐ
そばまで山がせまっているようなところでした。
人の気配よりも、自然の気配、山の氣そのものが感じられるような、そんな思いがしておりました。

                                

山の氣と書きましたが、狐火というのを聞いたことがおありでしょうか。
その名称など、その時まで全く知りもしませんでしたけれど、ある時そのようなものを目にした事があり、確かに?それは存在する
のかもしれない、と感じた出来事がありました。

息子がまだ年端も行かない幼い頃のことです。
夏になると涼を求めて、自分達親子は夜な夜な車でよく出かけておりました。
特にどこへいくということでもなく、ある時はその頃まだ観音にあった広島空港へ最終便の飛行機の到着を見に行ったりとか、或いは
少し奥へ行き、蛍を見に出かけたりだとか、要するにどこでもよかったのですね。

そんな頃、これもまたよく可部の方の山へ涼みに行っておりました。
何故そのようなところへ、といわれそうですが、はじめはその山へおそらく榊を頂戴しに昼間に訪れていたように思います。
山に植わっているその榊を何本か切り取らせていただき、そこへ山の神様にお礼としてお神酒をその辺りに撒いて、感謝の意を表して
おりました。
そのような経緯があり、夜なら少しは涼しいかもというので、こちらもまたその辺りの住宅団地を抜けて山道を走っていっておりました。
夜ともなれば、鹿や兎がヘッドライトの明かりに驚き、逃げて行くのを申し訳ないなと思いつつも、夜景の見えるような場所まで車を
走らせ、そこでしばらくはエンジンも切り、しばし景色を楽しんだりしておりました。
そんな街の光景とは反対側、いわば山の方は当然何の人工物もなく、目が慣れるにつれ、そこへ山があるんだなと感じられる程度の事しか
わかりませんでした。
そんな山なのですけれど、ん?という感じで視界の端に何かを感じ取るように思えました。
振り返って、なんとなく感じた辺りを見ても何もありません。
気のせいか、とまた目の前の夜景を眺めていると、やはり山の辺りに何かしらを感じます。
それで、どことはなく後ろの山の辺りをぼんやりと眺めていると、山の中腹辺りに、時たま、ぽっ、ぽっ、という感じで微かな明かりのような
ものが見えます。
いえ、見えるような見えないような、そんな感じです。
ですけれど、ふと気を抜くと、ついその微かな明かりともいえぬような場所へ自分の足が向いてしまいそうになっておりました。
自分の頭の中に
「こちらへ参らぬか」
というような声が響いてきたように感じ、ついふらふらとその山の方へ歩いて行きかけておりました。
はっと気づいたのは、そんな自分の名前を後ろから呼んでくれた主人の声でした。
振り向くと、元居た場所から50メートルかそれ以上離れた場所まで来ていたのでした。
主人に手を握られた幼い息子の姿も見えて、慌てて走って戻ったのを覚えております。

主人に今しがたの事を話すと、ふらふらと行きかけている自分を見て慌てたのは、その主人だったらしく大きな声で引き止めたと話して
くれました。
あのままですと、もしかすると夜の闇にまぎれて自分自身どうなっていたのかと思うと、今でもあまりよい心持は致しません。
その狐火のようなものに最初に気づいていたのは主人のほうだったようですけれど、あまり話すと、これまた自分の事ですのでよからぬ
ようになってもいけないだろうと思い、話さなかったとの事でした。
それ以降、その辺りの山へ夏の間、涼を求めて行ったとは思うのですけれど、その狐火のようなものがまた見えたかどうかは覚えておりません。

                                 


こう書いてきて、これってどうかすると、夏の怪談話?みたいなものですね;。
どうやら書く季節を間違えたかもしれませんね。
と茶化してはいけませんけれど、そのようなこともあったのは記憶の中に留めております。
怪談でなければ、さながら夏の風物詩といったところでしょうか。

                                

やれやれ、とんだ話の展開となってしまいました、申し訳ございません。
ですけれど、この話を書いていて、もう一つ思い出した話があります。
それは、また明日にでも。


                                

今日もまたこのブログにお付き合い頂きまして、有難うございました。



ご相談等、承っております。
 
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青いキャップの

2017-06-07 23:13:51 | 不思議なお話
こんばんは。
今日は朝から雨、その後この雨により中国中方も梅雨入りしたと発表されました。
久しぶりの本格的な雨でしたので、やっと作物も息を吹き返したようですが、長雨の方は少し遠慮願いたいところです。

                             

このところ、龍だの狐だのとそのような話題ばかりですけれど、そのような話をしていたからというわけではありませんが、あれこれと
思い出した事があります。
そんな話から一つ、書いてみようかと思います。

もう十数年、二十年近く前にもなるかと思いますが、ある仕事のご依頼を受けまして四国の金比羅宮からずっと辿って徳島まで参ったことが
ありました。
その最後の神社であった事です。
ご依頼のあった事というのは、その依頼主の方のところの従業員さんが社員旅行に行って戻られると、どうにも人が変わったようで怒りっぽくなり
ちょっとしたことで苛立ち、周りの人も困惑している、どうしたものかということでした。
神様にどうすればよいものかと伺ってみると、「まずはその行った先を辿って来てみよ、タヌキが憑いておる」というものとでした。
はぁ、タヌキですか?とこれも半分呆れた思いでしたが、タヌキというのは一体なんなのだろう、と思いつつも先ずは行くこととしました。

そこで早速、皆さんがお越しになった道順をなぞるようにして尋ねてみることにしました。
息子はその当時小学一年生、夏休みでもあり、置いておくわけにもいかず、連れて行きました。

朝早くに広島を出て、瀬戸大橋を渡り、まずは四国へと向かいます。
最初は、まず参拝したとされる金比羅宮です。
神様にタヌキといわれておりましたし、なんとはなくタヌキなら此処かな?とか根拠のない理由ですが、恥ずかしながらそこへ参ったという
こともありました。
ご存知のように千数百段はあるという階段を登り始めたのですが、さすがに上までは登るだけでも時間も掛かるしということで、途中の、誰も
いないような静かな場所で、その金比羅神宮の神様に、此処で何かあったのでしょうか、とお尋ねすると、
「此処ではない、阿波へ参れ」
と言われ、そこからまたひたすら高速を走り、徳島へと向かいました。
その前に、夏でもありかなり喉も渇き歩き疲れたことも手伝って、下の方にあるうどん屋さんでまずは水をもらい、次いで腹ごしらえをして
また一路、東へと走りました。

もうかなり昔のこととて、どこかまでは高速もなく長い坂道を登って行くと、急にひらけたような場所に出て、なんとも景色のよい処へ出た
ようなこともおぼろげですが、覚えております。
その後は、申したように高速を走りました。
どこかのSAで休憩したときは、高校野球の放送を備え付けのテレビで流していましたが、それがそのSAに近い場所の高校が対戦しておりま
したので、そんな様子を周りの人たちも興味深そうに観戦していたように思います。

徳島市内へ入り、その頃は今のようにパソコンもなく便利なグーグルマップなど当然あろうはずも無く、持参していたマップルを食い入るように
見つめながら、市内にある神社をあちこちとさがしていました。

一つ一つ目星をつけながら、此処かなどうかなと思いながら、尋ねて行ける所はそこまで足を運び、そこの神様に伺ってみても、どうにも釈然と
しません。
此処も会社の皆さんが来てみたよといわれていた眉山近くへも行き、その辺りの神社へ同じように尋ねてみましたが、やはりわかりません。
そうこうするうちに、日も暮れて結局はその日は宿を取り泊まることにしました。
先ほども書きましたが、折りしも夏でもあり、またお盆の前くらいだったのでしょうか、場所はどこら辺へ泊まったのかうろ覚えですが、夕方
から夜に掛けて近くの公園で阿波踊りの練習をしている音が響いて来ていました。

                               

翌日は、これまで通って来たところではどうにもわからないままでしたが、後は会社の方々は吉野川を渡り、鳴門辺りのインターから高速に乗り、
明石大橋を通って広島へ向けて帰ったと聞いております。
そこで、ここからもう一度、その鳴門までにある神社を、地図を頼りに尋ねて行きました。
此処で駄目なら、どうするかねと言いつつ、後はこの一社だけだね、といいながらその場所を確認するのですが、地図上では分かっても実際には
その神社へどのようにして行ったものやら検討もつきません。
地元の高齢者の方がゲートボールをしている広場の横に車を停めて地図を広げて見ていると、その中のお一人が「どうしたんや?」と
近づいてこられます。
「この神社をさがしているんですけど」と地図をお見せしていると、向こうの方から軽トラックが走ってきて
「そこへは、あそこを登っていったらええわ」と広場の奥を指し示します。
それを聞いて、自分は既に歩き出し、車に乗っていた主人はそのオジサンとまだなにやら話をしていたようでした。
車が一台通れる道を一人で歩きながら、その神社へ辿り着きました。
主人が運転する車も程なく到着し、そこの神様におうかがいしてみました。
そうすると、やっと此処で真相が判明しました。

此処へ来るときに渡った吉野川へその昔、洪水があり、上の方から流されてきた男の魂が元の自分の里に戻りたい、それで旅人である件の従業員
の男性に憑いたのだと、そこの神様に教えて頂いたのでした。
つまりは、タヌキというのは、人間の男の魂をいうもので、あまり素性のよろしくない者のことをそう申すようでした。
また、何故その人に憑いたのかといえば、お互いの波長が合うようなもの同士がそうなりやすい為でもありました。
結局そこでやっと事の真相も分かり、ほっとしたのですが、先ほどから数多の蝉の喧騒の中を歩いて登ってきたこもあり、かなり喉も渇いている
ことに気づきました。
そうしてこれもまた自分が登ってきて気づいたのですが、神社のその表側に当たるほうには参道となる長い階段がありました。
ちょうどそこへ、その炎天下に杖をつき、お年の割りには不釣合いな程の真っ青なキャップを被ったおじいさんが一人登ってきました。
初対面の自分達親子三人を見ても、特段驚いた様子もなく
「やぁ、ご苦労さんなねぇ。わしゃこの方へ住んどるもんでの、毎日こうして此処へお参りするんよ。ほんでの、こうして持っとる缶コーヒーを
 飲むんが楽しみなんじゃ」といいながらナイロン袋に入ったその缶コーヒーを一本ずつ自分達へ手渡して下さいます。
喉の渇いていた自分はこれは助かるとばかりに、おじいさんにお礼を申して、その缶コーヒーを受け取り飲み干しました。
そのおじいさん自身は、「わしはまだ、この上におっての観音さんまで参るんじゃ、ほんならの」と言って、自分はそこではそのコーヒーには
口もつけずに神社の奥に見えている細い道をまた登って行かれました。
有難うございました、とお声を掛けて、ん?となんとなく違和感を感じ、そのおじいさんが登っていった山道を今度は自分が駆けて行ったの
ですが、いくら慣れているおじいさんでもそこまでは速くなかろうにと思うのに、その姿はどこにも見当たりませんでした。

「お父さん、あのおじいさん、おらんかったよ」と主人に言うと
「あれは、神様の使いじゃろうて」と申します。
え?と怪訝そうな自分に、
「考えてもみぃ、おじいさん一人で毎日登るというのに、なんで缶コーヒー4つも持ってくるんよ?自分らは貰うて飲んだけど、本人は口にも
 せんかったじゃろう?」
とも話します。
確かに言われてみれば、神様にお伺いをして終わった途端、計ったように現れて、しかも余分に3本も持ち、自分は飲みもせず、スタスタとでも
いう風に山道を何処へともなく姿を消したのですから。
今でも印象に残っているのは、そのおじいさんが被っていたあの目の覚めるような青いキャップと、おじいさんの背丈ほどもあった長い杖です。
もしかすると、ちょっと洒落た山の神様、だったのかもしれませんね。

そんなこともありましたが、目的も果たし、そこの神社を後にして帰路につくこととし、来た道を車で麓までおりました。
そこでは、先ほどまで結構な数の高齢者がおられたにもかかわらず、全くどなたも見えません。
そういえば、此処へ登るときも、自分達が何処へ行きたいなど一言も話もしないうちに軽トラがやって来て、行くべき道を教えてくれていたの
でした。
タヌキではなく、それこそキツネにつままれたような気持ちでそこを後にし、すぐ近くのインターから高速へ入ったのですが、その高速からは
先ほどの神社の屋根がチラリと見えていたのでした。

帰宅し、件のそのタヌキといわれた魂については、縁もゆかりも無い者でもありますし、むしろあだなすような者にも感じられましたので、その
ように叱るような文言を以ってその魂を御祓いし、従業員さん自身も元の穏やかな方にと戻られました。
詳細はまだ事細かにありますが、概略を言えばそのようなことでした。

                                                                  

自分達が承る事柄は、大体このようなちょっと考えにくいようなことも数多く、それがむしろ当たり前のようですので、さして驚きもしません
が、このおじいさんには後々考えてもどうにも不思議でなりませんでした。
山の神様だったのかも、と書きましたがそこの神社、金比羅神社となっておられ、もしかするとそこの神様がそのような人間の姿に似せて出て
こられたのかもしれませんね。

                                

この話には、もう一つ後日談があります。
それは、この四国行きから帰って二日後、自分自身は高校の同窓会があり、出席した後実家へ一晩泊まったのですが、それから戻ると疲れが出た
のか、次の日の朝、唸る様な胃の痛みで目が覚め、結局は急性胃炎で4日間ほど入院したのでした。

四国行き、大変ではありましたが、色んなことがぎゅうぎゅうに詰まった、そんな旅でもありましたことも合わせてご報告致すものです。


だんだん胡散臭いような、わけ分からんブログとなっておりますけれど;、そんなブログへのお付き合い、今日も有難うございました。


                                
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