マルクスはエコロジーに大きな関心を持ち、持続可能なエコ社会主義を構想していた。(斎藤幸平)
人新世とは地質年代の新たな区分で、「人類が農業や産業革命を通じて、地球規模の環境変化をもたらした年代」と定義される。(クルッツェン博士)
コロナ禍は、資本主義がもたらした二つの危機(気候変動、格差社会)を可視化した。(斎藤幸平)
資本主義は環境破壊や経済格差を限界まで推し進めた。もう一度リセットして、持続可能で平等な社会を作ろう。(ダボス会議)
私たちは、一人ひとりがささやかな配慮をすれば、世界は変わるという物語が大好きです。しかし小さなアクションで満足すると、経済システムの中の真の問題が見過ごされ、一番必要な大胆なシステム変革ができなくなります。(斎藤幸平)
世界のCO2排出量が全く減っていないからです。それどころか、1990年のソ連崩壊以降の三十年間で1.6倍も増えました。このままでは「2030年までにCO2排出量を50%減らす」という目標は達成困難です。ただし、2020年に5.4%減少しています。コロナ禍で人びとが外出や旅行や買い物を控えたからです。リーマンショックの時でも1.2%減だったことを思えば、人類史上初の快挙で、今後のCO2削減のヒントになります。残念なのは、リベンジ消費によって2021年には4.9%増え、コロナ禍の状態に戻ってしまったことです。(斎藤幸平)
永遠の経済成長というお伽噺を大人たちがいつまでも信じているせいで、私たちの未来が犠牲になっている。(グレタ・トゥンベリ)
各国の掲げる2030年までの削減目標が全て達成されても、2100年までに世界の平均気温は2.4~2.7度上昇する。これでは、パリ協定の1.5度目標にほど遠い。(COP26)
脱成長を掲げているのが、ミレニアル世代~Z世代を中心とする若者で、イギリスの政治学者キア・ミルバーンは「ジェネレーション・レフト」と命名しました。彼らは資本主義下の格差や環境危機を問題視し、社会主義に肯定的です。(斎藤幸平)
今までと同じ経済成長を続けながら、CO2排出量や資源消費量を減らすことは、かなり難しいと言わざるを得ません。(斎藤幸平)
所得税や相続税の累進課税の強化。最高税率90%。<ピケティ>
干ばつの頻度と期間は、2000年以降、世界全体で29%増加していて、2050年までに干ばつが世界人口の75%以上に影響を与える可能性があります。雨の多い日本では、水不足や干ばつは遠い国の問題のように感じるかもしれません。 しかし、日本はオリーブオイルや小麦、大豆、鶏肉、とうもろこし、コーヒー豆、牛肉など多様な食品や原料、家畜飼料を輸入に依存しています。そしてその産出国の農業が、干ばつの被害を受けています。 干ばつによる森林火災も毎年のように拡大を続け、大気の二酸化炭素を吸収するたいせつな役割を担う大量の植物たちだけでなく、そこに暮らす人々や生きものたちの命を脅かしています。干ばつの原因のひとつは、気候変動による異常気象。これ以上、気候危機の加速をくいとめるためにわたしたちにできることが、まだまだあります。国連砂漠化防止条約(UNCCD)は、人類は干ばつの影響により「岐路に立っている。早急に、あらゆる手段を用いて緩和を加速する必要がある」としています。<グリーンピース>
枡野俊明著【「ゆるす」という禅の生き方】(水王舎)に次のような文章があった。
*****以下引用*****
「独座大雄峰」という禅語があります。百丈慧海禅師の言葉とされるものですが、「いまこの大自然の中で、自分がここにたった独り坐っていることが、いちばんありがたいのだ」という意味です。孤独の中にありがたさを感じ、幸福感を見出すのが、禅の世界観なのです。
事実、禅僧が理想とする生き方は、いわゆる隠遁生活です。独り自然と一体になって、鳥のさえずりを聞き、川のせせらぎに耳を傾け、風のにおいを感じながら坐禅を組む。また一方では田畑で鋤鍬をふるい、ときに書物をひもとく。そんな暮らしの中に、生きる喜びも楽しさも、充実感も満足感も、一切合切があるとするのが禅的な考え方だといっていいと思います。もちろん、あえて人との繫がりを断つということではありませんが、人が生きるということの根底に流れているのは「孤独感」なのです。
出家後、漂泊の旅を続けながらすぐれた和歌を詠んだ西行さんも、孤独に寄り添って生きた人でした。その晩年の歌に次のようなものがあります。
「ねがわくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
できることならば、(旧暦)二月の満月の光の中、花の下で死にたいものだ、という意味ですが、歌の調べの背後には、独り自然の中で静かに死を迎え、やがては土に還っていくのだという孤独への愛着、あるいは孤独者の矜持のようなものが見え隠れしていないでしょうか。
孤独であることを怖れたり、孤独でいる自分を責めたりする必要などはありません。独りぼっちをじっくりかみしめ、ゆるりと楽しんだらいいのです。
*****引用終り*****
坐禅こそ組まないが、私の生活も随分禅的だと思う。母が死んで以来独り暮らしだから、14年も孤独な生活が続いていることになる。母は平成14年に亡くなった。父ともそれ以来、ほぼ離れ離れに暮らしていたが、その父も4年前に亡くなった。
日本人の生活の根底には禅があるといわれるが、私にも日本人の血が流れているということだろう。孤独にあっても、不思議と寂しさを感じない。ありがたさや幸福感を感じるのも事実である。孤独も慣れてくると、相手がいないので、知らず知らず、無心というか無の境地に陥り、自分の存在さえ忘れて生活していることに気づくことも多くなる。自分がいないのだから寂しさを感じようがない。
まさしく、私の生活は隠遁生活だ。朝、朝食を済ませると、自転車で川崎方面の南河原公園に行く。途中、鳥のさえずりを聞き、鶴見川のせせらぎに耳を傾け、風のにおいを感じながら一行三昧。コンビニで菓子パンと緑茶を買い、路上に坐って、喫茶喫飯。鋤鍬をふるいはしないが、自宅を掃除し、書物をひもとく。たしかに、こんな暮らしの中には、生きる喜びも楽しさも、充実感も満足感も、一切合切がある。
私には孤独者の矜持を持つというよりも、己を忘れて生きている、という感覚が強いので、プライドさえもない。
将来は何が起こるかは誰にもわからない。わからないものは分からないとして、不安を感じず、その日その日を、精一杯生きていきたいものだ。人の人生は次の歌によくでている。
みわたせば 花ももみじも なかりけり 浦の苫やの 秋の夕暮れ (藤原定家)
荒井公康
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何も言ってくれない
トマス・ア・ケンピスの「キリストにならいて」を読んでいるとなんだか怒られているような気分になるのだが、神様に怒られていると思うとなんだか有難くもある。年をとると、いろいろと言ってくれる人がいなくなる。若いころは、いろいろ言われて腹を立てていたが、全く若気の至りで、今思えば素直に聞いていればよかったし、そうしていればもう少しましな人生になっていただろう。後悔先に立たずである。いろいろと言ってくれる人のいる間が花である。子供の頃の両親もそんなものだろう。子供の頃は反発していても、大人になって有難さが身に染みる。全て子を思っての言動であった。しかし、本当に今は、私に対して遠慮なく何でも言ってくれる人はいなくなった。年よりの私にみんな遠慮がちだ。そう言う意味でも「キリストにならいて」は貴重な本だ。今の私にも反発もせずに素直に受け入れられる本だ。私も少しは素直になったのだろうか。教会にいて最近亡くなった坂本兄弟は、私のことを神に守られていると言っていた。不満だらけの私であるが、端から見ればそう見えるのかもしれない。坂本兄弟も私にいろいろ言ってくれる有難い人だった。そういう人を失ったのは悲しい。これからも「キリストにならいて」は何度も読んでいこうと思う。そして自分への戒めにしていこうと思う。
荒井公康
理不尽、挫折、失敗、後悔、屈辱、苦などの否定的な経験がなかったら人生はどんなに素晴らしいだろう。そう思うことは自然なことだ。しかし否定的な経験のない人生などあり得ないのも現実だ。自分ひとりしか存在しないとしたら、自分は何も感じないかもしれない。他者とともに存在することに否定的な経験の原因があるのだろう。「人を恨むな」と母は生前に言っていた。私の受けた屈辱的な経験を承知してのことだった。人は他人に対してはどこまでも残酷になれるものである。しかし、否定的な経験をしたことのない人間とはあり得ないのと同時に、あるとしても底の浅い人間になるのではないか。否定的な経験こそ成長の糧ではないか。そして他者にそのような否定的な経験をさせまいとすることこそ愛ではないか。これは相手の成長を否定することになるかもしれないが。だから、あえて人に厳しくする人もいるかも知れない。それも一種の愛かもしれない。人間は愛に生きるか憎しみに生きるかどちらかである。少なくとも、憎しみによって他者に否定的な経験をさせることは避けたい。幸い、人間には慣れというものがあり、年をとると、否定的な経験にも耐性ができる。人生はそのようなものだという感覚が身についてくる。他者は自分の思う通りにならないから他者なのである。それが分からないと悲惨なことになる。暴君になってしまう。否定的な経験を繰り返した私はそう思う。
不幸の始まり
実家の一階部分をブラジル人が借り、酒場を開いてからが、私の人生の不幸の始まりであった。母が死ぬまでは親子三人で仲良く静かに暮らしていた。ブラジル人が来る前には日本人(丸新食品)が実家の一階部分を借りていたが、静かに営業しており何の問題もなかった。しかし、ブラジル人が酒場を開業してからは、私の居住していた場所の雰囲気は一変して、昼間から酔っ払いが大勢、辺りをたむろし、入れ墨をした人間が出入りするなど私も怖い思いをした。近所からも騒がしいと苦情が出ていた。小学校も近いし風紀は完全に乱れて、困ったものだと思った。私も家主として注意に行ったが、逆に営業妨害だとか文句を言ってきて、警察が介入するようになった。明らかに民事介入で不法なことだった。外で焼き物をし消防法に違反するなど不法なことを行い、指摘した私が営業妨害と悪者にされ、警察とももめることになった。結局、私はそこに住めなくなり、やむを得ず、マンションに移り住むことになったが、住み慣れた実家を離れたことは、かなり苦痛であった。なにしろ、実家は小学生の頃から住んでいて想い出にあふれる場所であったから。時々、実家に用があって私が戻ると、実家の前を通っただけの私に対して、酒場の女主人は盛んに通報することを繰り返し、その後私をなんとストーカー扱いし、警察に訴えるようになった。しかし、警察官の中には、通報があって何回調べても酒場にはなんの被害も認められないと言う人もいた。明らかに今思えば、その女主人は虚偽告訴罪を犯していたことになる。なぜか、警察というのは女性の言うことは無条件に信じるものらしい。しかし、私の失ったものは大きい。実家を失ったことは、懐かしい思い出の故郷を失うことに等しかったからである。想い出の部屋、想い出の環境を無理やり奪われることになった。現在、やっとブラジル人も退去し、付近は平穏に戻ったが、想い出の住処を失った私の精神的な苦痛は大きなものがある。虚偽告訴を繰り返したその女主人は憎いが、忘れるしかない。しかし、この件で、改めて日本人がいかに大人しく秩序を重んずるかの認識を新たにした。外国人は倫理観に乏しく騒がしく、外国人にやたら物件を貸すものでないとも思った。日本では借り手よりも貸し手のほうが立場が弱いのもある意味問題だと思う。迷惑を受けて追い出したくても法律上簡単にはできないようになっているのである。私の心の痛手は大きいが、諦めるしかないようだ。
荒井公康