舞踊家 木室陽一 きむろよういち おどるおどる

木室陽一の舞踊活動が、次第に明らかに。創作・舞台・即興。彼は何処に居て何処に向かうのか。現在、愛媛・中島にて島暮らし中!

舞踊家としての農業

2014-04-12 01:08:53 | 舞踊の営み
余分な枯れ枝は、木の負担になるし、実が傷つく原因にもなるので、
はじめは、ハサミで切り落としていました。

けれど、
ふと、気付いて、
手で払えば、ポキリと折れる。
それで充分。

わざわざ、ハサミで、チョキンとやらなくても、
ポキリと折れた所までが不必要な場所で、木に刃物を入れる事はないのかも。

もちろん、虫にヤラレた大きな枝は、ノコギリでギコギコ落としますが、
それも、あるイミ野蛮な行いであって、
全ては素手でやるべきなのでは?



素手でやる作業。

直に樹に触って、
ツタも素手で引っ張って、
古枝も手でポキリと折れるところまでで、
触れて、触って、時にはトゲが刺さりながらも、じかに接して作業する。

それが、
この一年で、畑に受け入れてもらえるようになった一番の理由のような気がします。

なんで、そんなコト思いつくの?
て言われると、
それは、
「僕が舞踊家である」がゆえのこと。

舞踊によって、空気を知り、
舞踊によって、風には勝てないことを知り、
舞踊によって、人との暖かみを知り、
舞踊によって、その暖かみが人のいない所にもあることを知り、
舞踊によって、戸惑いが動きを産むことを知り、
舞踊によって、動きがうまれるには、戸惑いを許すほど素直でなければならないことを知り、
舞踊によって、じっとして居ることを知り、
舞踊によって、導かれることを知り。

手間がかかっても。
トゲで傷ついても。
やっぱり素手で畑の作業をすると、
畑から得られる知恵がとても大きいと感じられます。

さて、
これが、感じられるけれど、
なかなか教えてあげられない感覚なので、
ちゃんとした農法には、ならないかもですが、
「ようさんの舞踊家農法」は、確実に存在する。


と、今日は確信しました。
よい一日でありんした。

ワイルドレモンの畑にて。

コメント (2)
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