第3回目の歴史講座は、山本祥隆研究員に『長屋王と木簡』と題して、講演をしていただいた.
『続日本紀』や『懐風藻』や『公卿補任』『尊卑文脈』『万葉集八—1638』
など資料に基づいての講義で、少々難しかったが、わかりやすく解説いただいた.
特に木簡(定義、発掘調査で出土した木片に墨書されたもの)に書かれてあったことをとおして話しを頂いた.ちなみに、木簡は現在全国で、38万点発見されており、そのうち奈文研に25万点保管している.そのうち長屋王邸宅から出土したのが35000点ある。(平城京で木簡が発見されたのは、1961年「昭和36年」に第一次大極殿の北側に設けられた推定大膳職のゴミの穴から出土したもの)
長屋王邸宅から出土した木簡を通し、家族のことや食卓のことやそこで働く人々のこと、そして長屋王が謀反の罪を着せられ自害したことやその後無実が証明されたこと(続日本書紀)などなど。
また、長屋王家から出土した木簡から、犬の司の話、牛乳、干蚫、鹿肉、奈良漬の元祖の話しなど当時の生活様式を知ることができた.
(参考:探検奈文研 http://www.nabunken.go.jp コラム作寶樓 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/09/20140901.html )
今回の新しい発見は、現在のイトーヨーカ堂の場所が長屋王邸とされているが、
万葉集8−1638の天皇の御製歌一首
あおによし 奈良の山なる 黒木もち 造れる室は 座せど飽かぬかも
(平城山にあった 黒木(原木で皮のついたもの)で 造ったこの室は、 聞くところでは、 左大臣長屋王の佐保の宅にお出かけになり、御宴を催された時のお歌)
また、185号木簡『佐保解(ばし) 進生薑(しょうか)弐拾根?』などから佐保の地にも領地がありそこで、宴会などを開いたことがわかった。
それは、『懐風藻』に賓宅(はうたく)にして新羅の客を宴す。また、初春作賓樓(さほろう)にして置酒(ちしゅ)す。などがあり、賓宅は長屋王の作賓(佐保)の邸宅、作賓樓とも言うことを教えていただいた.
佐保の地に長屋王別宅があったということを初めて聞かされたが、その場所はどこか?
現在の一条高校と宇和奈辺古墳の間ぐらいの地であった。今は国道24号線バイパスとなっているが、ここを発掘したときに2坪程の大きさの邸宅後が発見されたが(長屋王宅は4坪の大きさ)ここが作賓樓の跡地ではないかということだった。今は国道の下になってしまってわからない。
佐保の地に長屋王の別宅があって、貴族や外国人を招いて宴会をしていたという話しはまた新しいロマンを感じた。
午後から、ロマンの地へ草刈に!!!