⑪「新時代の鉄道りんかい線」平成元年当時、東京湾をくぐりお台場までつづく 謎の地下トンネルがありました。
京葉貨物線の地下トンネルです。実はこの地下トンネル。高度経済成長期に計画された構想によって建設されたものでした。蘇我(千葉市)から新木場を経て東京貨物ターミナル(八潮3)へ連絡する構想。
昭和60年には蘇我~新木場間が開通。しかし、京葉線(旅客)は新木場から東京駅へと方針転換されました。
その後、13号地お台場へ旅客線を通す計画が持ち上がり、東京臨海高速鉄道が設立。新たに東京テレポート~大崎間の延伸工事が計画されました。この東京テレポート~大崎間のルートには
A天王洲アイルから京急線の新馬場を経由して大崎へ至る経路。
B天王洲アイルから大井町を経由して大崎へ至る経路。
この2つの経路から大井町経由が選ばれ着工されました。平成8年臨海副都心線新木場~東京テレポート間が開業。平成12年に公募で名称がりんかい線に決まり、平成13年には東京テレポート~天王洲アイルが開業しました。
天王洲アイルは昭和61年に開発が計画され、平成4年にシーフォートスクエアが完成。22ヘクタールに及ぶ民間では最大規模の都市開発でした。平成4年に東京モノレールの天王洲駅も営業を開始。高層オフィスビルが次々に立ち並びました。平成18年には寺田倉庫で水上ラウンジ「ウォーターライン」ができて翌年、都市みらい推進機構主催の土地活用モデル大賞にて「寺田倉庫(株)運河ルネッサンス水上プロジェクト」として審査委員長賞を受賞しました。
平成14年天王洲アイル~大崎間が開業。埼京線(さいたま市の大宮駅まで)と相互乗り入れを開始した。大崎駅は明治34年に品川線の駅として開業。大正から昭和にかけて周辺には町工場が立ち並び、工業とともに歩んできました。昭和40年代後半から町工場が撤退をはじめ工業のまちのイメージが薄まって行きました。昭和62年日本精工大崎工場の跡地に大崎ニューシティーが完成。当事、フジテレビの移転候補地に名前があがったこともありました。同時期に計画されたゲートシティはバブル崩壊のあおりを受け、平成11年に完成しました。さらに平成19年西口にあった明電舎の工場跡地にシンクパークが完成してさらなる発展を遂げた。
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京葉貨物線の地下トンネルです。実はこの地下トンネル。高度経済成長期に計画された構想によって建設されたものでした。蘇我(千葉市)から新木場を経て東京貨物ターミナル(八潮3)へ連絡する構想。
昭和60年には蘇我~新木場間が開通。しかし、京葉線(旅客)は新木場から東京駅へと方針転換されました。
その後、13号地お台場へ旅客線を通す計画が持ち上がり、東京臨海高速鉄道が設立。新たに東京テレポート~大崎間の延伸工事が計画されました。この東京テレポート~大崎間のルートには
A天王洲アイルから京急線の新馬場を経由して大崎へ至る経路。
B天王洲アイルから大井町を経由して大崎へ至る経路。
この2つの経路から大井町経由が選ばれ着工されました。平成8年臨海副都心線新木場~東京テレポート間が開業。平成12年に公募で名称がりんかい線に決まり、平成13年には東京テレポート~天王洲アイルが開業しました。
天王洲アイルは昭和61年に開発が計画され、平成4年にシーフォートスクエアが完成。22ヘクタールに及ぶ民間では最大規模の都市開発でした。平成4年に東京モノレールの天王洲駅も営業を開始。高層オフィスビルが次々に立ち並びました。平成18年には寺田倉庫で水上ラウンジ「ウォーターライン」ができて翌年、都市みらい推進機構主催の土地活用モデル大賞にて「寺田倉庫(株)運河ルネッサンス水上プロジェクト」として審査委員長賞を受賞しました。
平成14年天王洲アイル~大崎間が開業。埼京線(さいたま市の大宮駅まで)と相互乗り入れを開始した。大崎駅は明治34年に品川線の駅として開業。大正から昭和にかけて周辺には町工場が立ち並び、工業とともに歩んできました。昭和40年代後半から町工場が撤退をはじめ工業のまちのイメージが薄まって行きました。昭和62年日本精工大崎工場の跡地に大崎ニューシティーが完成。当事、フジテレビの移転候補地に名前があがったこともありました。同時期に計画されたゲートシティはバブル崩壊のあおりを受け、平成11年に完成しました。さらに平成19年西口にあった明電舎の工場跡地にシンクパークが完成してさらなる発展を遂げた。
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