作物を栽培している中で「間引く」という行為をするのだけれど、これは人間が自分たちにとってより良く育てて収穫をするための方法ですよね。
「自然淘汰」というのは、何であれ個体そのものが生きていくために同種の存在と競争して生き延びていく行為で、人間が人為的にかかわれない現象と言えるのですよね!?
こんなことをメロンやジャンボレモン、その他いろいろな作物を見ていて思いました。
例えばメロンです。
花が咲いて雌花に着果するとプクッと実が付き、膨らみ始めます。
ところがその付いた実が黄色くなって、そのうちに落下してしまいます。
これって、豊かな収穫を思い描いて育てる行為をしている私には、どうしようもないことで、ただ傍観することしかありません。
そこで私は“それなら” と、黄色くなった実、黄色くなり始めた実を積極的に摘んでいきます。
放っておいても黄色くなって落下する、この写真の右上の実も摘実しました。
「自然淘汰」。たぶん、下に大きくなっている実との栄養分の獲得競争に負けたのでしょうか!?
いやいや、そんな「勝った負けた」の世界ではなく、「当たり前」の行為として「自然淘汰」が存在しているのですよね、絶対。
さあ、この写真の2つの実はどちらが落ちて、どちらが大きく育っていくのでしょう!?
早めに私がどちらかを摘果するべきでしょうが、木に任せようと決めています。単なる“傍観者” ではなく、温かく見守っている存在として。
そうそう、ですから、私のビニールハウスは、知人にもよく言うのですが「実験ハウス」なのです。
ジャンボレモンですが、その名の通り大きな実がなりますから、たくさん付いた実の中から、比較して、大きな実を残すように、順次、育ち具合を見ながら“摘果” を続けています。そうしないと、木自体が弱ってしまいますからね。
ユズの実は、今のところ、育っていく実の重さに耐えられるように“支え” をして、育ち具合を見守っている最中です。
角度を違(たが)えて撮った写真2枚で紹介します。
この写真の支えをしてある支柱の右の方には自然落下した実の枝が残っているのが見て取れますね。写真の中央辺りにも、3枚の葉っぱの囲まれたところにも自然落下の痕跡が。
“きっと摘果はしないだろう” と自分の行為の予測をしています。 ↼変な表現ですが。
右端にいくつか見えるオレンジっぽい色の実はアンズです。収穫の時を迎えました。
次の写真には、自然落下したアンズの実も写しておきました。
このアンズ、拾って洗って、さっそくかじりました。実と種はきれいにあっさりと分かれてくれました。
一応、種は残しておいて“苗” までは育ててみようと思っています。
ところで、ユズの実ですが、小さいとはいえ、こんなに実を付けておいていいものなのか、見ていて、あらためて悩み出しました。