日々の彩り、日々色直し

日々、悩みは尽きないけれど、負けず焦らず、生きていこうよ!
時には写真つきにするよ!

そして知人にアクセサリーをプレゼント 快適な軒下工房

2018-01-21 21:23:30 | 暮らし

快適な軒下でのモノづくりを始めています。
軒下が快適になった経緯については、私のブログをたどってください。よろしくお願いします。

9月29日のでブログ『四つ葉のクローバーができました!』と書いて栽培を続けています。
その4つのプランターは今、寒さ対策でビニールハウスに取り込んでいます。
そして、時々に四つ葉のクローバーを摘んではティッシュペーパーと新聞紙に挟んでダンベルを重石(おもし)代わりにしてドライフラワー作りのようにしています。

さて、先週、そのクローバーと百均で買ってきたミール皿を使ってアクセサリーを作ってみました。3つめです。
   これがミール皿です。
この皿部分に白いポスターカラーで色づけして、乾かして、その上に四つ葉のクローバーを置いて、レジンで被(おお)って、UVライトで硬化させて仕上げました。
これが硬化させているところです。

作るのが3回目になっても、レジンの中にできる気泡をなかなか上手く取り除くことができません。
結局、気泡が残ったままになったので、失敗作としてとっておきました。

金曜日に、ワイフの友だちの奥さん(私もよく話す人です。)が自分で作った炊き込みご飯とリンゴ2つをプレゼントに来訪してくださいました。
軒下にいる時でしたので、ワイフが買い物で外出している時でもあったので、外で立ち話をしました。
生活の話や畑の話などをする中で、四つ葉のクローバーも栽培していることにも話がおよび、ハウスの四つ葉のクローバーも見てもらい、アクセサリーの話もすることになりました。
そして、先に書いた失敗作の四つ葉のクローバーのミール皿を見せて、失礼なことに「よかったら貰(もら)ってくれる!? 失敗作で悪いけど」と圧(お)しつける形になってしまいました。ゴメンナサイ。

帰宅したワイフがお礼の電話をしての話の中で、「貰った四つ葉のクローバーのアクセサリー大切に使(つか)わしてもらうわ。」と言っておられたとのことでした。あぁ、嬉(うれ)し!

 


寒いけれど、軒下で快適に過ごす…軒下を囲(かこ)う

2018-01-21 19:57:30 | 暮らし

軒下で木工を始めて6年目。
軒下だから雨風・雪に影響されて作業がしにくかったので、数年前にシースルー・シートを8mほどを被って作業をしていました。
雨風・雪が吹き込むことはなくなりましたが、シートがあおられたり、その音がバサバサと、特に夜には耳障りになったりしていました。

左側のシートを外から見た様子です。
内側を見ると、下のようです。


煙突の部分は、始めからスチールと透明な波板で固定していました。それと、右側のシートが張ってある様子です。 

それで思い切って、昨年11月中頃から12月にかけて、木枠を作って、透明な波板を張って部屋のようにしました。
まず、左右の外観は次のようになりました。



ドア部分は、これまで張っていたシートを張っています。

内側は、少し整理をして、次のようにしています。



この写真は内側の右のスペースです。
ベンチの布団は私も座りますが、ペットのモモ(トイプードル)の指定席でもあります。私が軒下で過ごしている間はモモがこの布団で過ごしています。

シートを張ってから時計型の薪ストーブを置いていましたので、暖をとりながら作業しています。

陽が当たる午前中は薪ストーブを焚かなくても暖かく過ごせています。作業の他に新聞や本を読んだり、切り抜きや諸々のことをしています。


1月7日(日)の新聞とテレビから(2) 「サンデーモーニング 新春スペシャル」で見聞きしたことから

2018-01-09 17:34:55 | 暮らし

「サンデーモーニング 」の“新春スペシャル”版が、『“ゆらぐ時代”~時代の変わり目に~』と題して3時間放映されました。その中の「行きづまりの時代が問いかけるもの」というテーマの中で加藤諦三氏のインタビューコメントが映されました。

私は1960年代の多感な頃に加藤諦三氏の著書もよく読みました。自分のあり方を考えるための指針ともしていたように思います。
何十年ぶりかの再会でした。著書を通じて出会い、TVで出会ったのです。懐かしかったなぁ。今は早稲田大学の名誉教授になっておられるのですね。

あの頃著(あら)わされた、若者や迷う者へのメッセージに励まされたり救われた人は多いと思います。
私の部屋には、まだ何冊もの著書が保管してあります。

ですから、前のブログで紹介した新聞記事「悩んで読むか 読んで悩むか」の相談者には加藤諦三氏の1960年代・70年代の著書を紹介したいと思いました。

さて、私の中にはもう一人、101歳で亡くなられたジャーナリストの「むのたけじ」さんがいます。
むのさんの著書のうち『詞集たいまつ』が並んでいます。
その『詞集たいまつⅠ』に次のような新聞の切り抜きが挟(はさ)んであります。
私の書斎(物置のようになっていますが。)にある本に関係する新聞記事があれば切り抜いて挟むことにしているのです。

読みにくいとは思いますが、なんとか読んでいただければうれしいです。

むのたけじさんには私が働き出してから様々な人や思想に出会う中で出会いました。
常識的な物の見方、観念的な考え方とは違う物事のとらえ方を示してくれました。繰り返し、
面白くあるいは考えながら読んで、多面的に物事を見る見方を身につける大きな力になったように思います。

このお二人には自分づくりの過程で支えられました。

「サンデーモーニング 新春スペシャル」の内容には触れませんでしたが、私にとってこのお二人を思い起こせたことは、これからを生きていくための、この時期ですから、新年を歩むキッカケにすべきなのかもしれませんね。


1月7日(日)の新聞とテレビから(1)

2018-01-08 12:38:59 | 暮らし

訪問していただき、ありがとうございます。
【朝日新聞の「悩んで読むか 読んで悩むか」を読んで】

ちなみに、回答者は斎藤環氏です。経歴は左下の通りです。

さて私は、この記事を読んで、自分の思春期を思い出したのです。
中学1年生の1月14日に父が交通事故で即死しました。部活が上手くいって上機嫌の帰り道、国道で自動車が渋滞しているのです。
家に帰りついて、「何かあったの?」と近所の人に聞くと、「早よ高見医院へ行き! 」と急(せ)かします。
医院に着いてみると、診察室のベッドに父が横たわり、母が立ち尽くしていました。
国道の坂で父の引いていたリヤカーに後ろから下ってきたトラックが乗り上げて、トラックとリヤカーの引手との間に挟(はさ)まれたのです。
医師の説明では、“内臓破裂で即死” とのことでした。シーツをめくって、口や鼻、ペニスからも出血しているのを見せられました。
近所にはまだ自動車がほとんどなく、結局、布団を敷いたリヤカーに乗せて連れて帰りました。

父の死後、代々農家だったので、田地の多くは人々に耕作をお願いして、自家で消費する分だけ(飯米取り)、数反(すうたん)は自分で作ることにしたのです。
まさに思春期真っ只中(まっただなか)、農業をすることにしたのです。そのうちの一反(いったん)は国道と県道の角近くにありました。
そこの代掻き(しろかき)をするのが5月初めの連休中。当然、信号で国道・県道のどちらかの車が必ず停車することになるのです。
連休中のこともあり、家族連れも多く、車窓は開けられていて、古い耕運機も、泥の跳ね返りのある顔も見られることになるのです。
県道に止まっている車に向かって耕運していくのです。前方は見つめるのですが、恥ずかしくて、顔を伏せるようにして作業をするしかありませんでした。恥ずかしくて恥ずかしくて。こんな場面はまったく想像するものではありませんでした。
こんな耕作を、中学2年から大学を卒業して就職して2年まで続けました。
その後仕事に没頭するようになって、飯米取りの田んぼも人に託(たく)しました。さらにその後、電電公社に売り、買い戻して、今に至ります。

この記事から、あの当時のことを思い出したのです。
そして、“あんなことに悩んでいたんだなぁ” と振り返る時があることを知りました。特に、“負い目” に思うことも負い目としてではなく、第三者的に受け入れた形で。
また、“当然のことをしていて平然としている” ことの当たり前さを身につけることを意識し始めるきっかけになったことも。

【朝日新聞の声の欄の「日本の先生の仕事は多すぎる」を読んで】

当たっている部分、認識が不十分なところなどはあるけれど、よく書いて投書したと思います。(な~んて “上から目線” のようでは嫌われますよね。)
実は、私が新聞に投書したのも、やっぱり高校時代でした。 当時新しく作られる日本一長いロープウェイの安全性についての内容だったと記憶しています。切り抜きしておいたのですが、探し出せず残念!

さて、この記事から、生きている時々の自分がその時々に関心を持ったことに持っている知識に新しく知識を仕入れて分析・統合すること、そしてその思考結果を表出することの必要性・大切さを再認識したのです。

退職するまで、若い人たちに「そんだけ音楽を聴いていたら、何千曲もの歌が頭に入っているやろ。もうあふれてくるもんがあるんとちがうか。その気があったら作詞や作曲ができるのとちがうか。歌だけとちがう。俳句でも短歌でも。絵画でも小説でもいいんやで。」とけしかけてきました。今、彼らはどんな表現活動をしているのだろうか。
私は未だに、あれやこれやの表出活動を続けている(始末!?)。

次のブログは「1月7日(日)の新聞とテレビから(2)」として、「サンデーモーニング 新春スペシャル」で見聞きしたことからのことを書きます。ぜひ訪問してください。 

 

 


前出の「今年もよろしく!」の続きです

2018-01-07 15:51:19 | 暮らし

3日までは何をするともなくゆっくりして、まぁ、3日の夜は前出のブログ(1/6「明けましておめでとうございます。今年もよろしく!」)にあるように知人の代わりに夜回りをしましたが。
4日は木工で“ティッシュペーパーボックス” を作り始めました。底板と蓋(ふた)板を切り出し、ルーターで角部分の成形などをしました。ここでホワイトパイン材がなくなったので作業は中断することになりました。
ちなみに、この写真のような“ティッシュペーパーボックス” を作るのですよ。

  
蓋板が重石になってティッシュペーパーが取り出しやすく、ティッシュペーパーBOXの交換もとても簡単なのですよ。

5日は離れの2階の子供部屋にTVが見られるようにアンテナからケーブルを引く作業を始めました。ちょうど子どもが泊を伴う出張のため作業がしやすいためです。
2本あるアンテナのうち使っていないUHFの1本をこれに充(あ)てるため、屋根に出てつないでみました。窓から引き入れてTVで設定してみたのですがKBS京都しか映りません。
きっとアンテナの向きを調整する必要があるのでしょうね。もちろんずーっと昔に設置したものなので古くなってアンテナそのものの感度が落ちていることもあるのでしょう。

屋根に上がるのに、滑らないように靴下を脱いで素足になっていたので冷たくて、身体も冷えたし、今生きているアンテナからのケーブルから分配してもいいのではないか、とか考えることも出てきたので、“今日はここまで” としました。
それに、アンテナは大屋根に上げているので、寒さでこわばった身体で上り下りする中でひょっとしたら事故を起こすかもしれないと思ったからです。

6日は軒下(私の作業場。木工や電子工作・工芸などを、時には新聞や本を読んだりする場所。薪ストーブも置いているのですよ。)と私の部屋にも続いている物置の整理をしました。
“ティッシュペーパーボックス” 作りやTVケーブルを引く作業とまったく無関係のように思われるかもしれませんが、ずーっと昔に買ったアンテナ・ケーブルの分配器や同軸ケーブルをつなぐ中継接栓など、何か使えるものはないかと探す目的もあったのです。
ありましたよ。古くてもきっと使えると思います。経費節減、経費節減。

7日の今日は、MBSテレビの「サンデーモーニング 新春スペシャル」を観て、“ティッシュペーパーボックス” 作りで切り出した底板と蓋板にサンドペーパーをかけました。そして、午後の今、このブログを書いています。

あの~、新聞を読みながら「サンデーモーニング 新春スペシャル」も見聞きしていたのですが、その新聞と番組から考えたり思い出したりしたことを書きます。ぜひ訪問してくださいね。