ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

娘のがんと死

2009年04月08日 | 私生活 雑感
2月12日のがん宣告からわずか2ケ月足らず、4月1日の夜、娘は病院で息を引き取りました。その日は、ちょうど家内の誕生日でした。
遠くの知人へのご挨拶です。

心のこもった生花をありがとうございます。
4月4日、近くの教会で、無事お葬式を終えました。
50人位のごく内輪でと思っていましたが、小さな教会があふれるほどの参列(120人以上)がありました。
親戚はもちろん、友人、職場の人たちに、これほど愛されて、
娘は幸せな30年だったと思いたいです。
いつも自立できる大人に!と厳しいことも言ってきましたので、友人や仕事でちゃんとやっていた証を、今回の葬儀で感じることができ、親として感謝の気持ちでいっぱいです。
娘のことを思うと、胸が締め付けられるようで、涙があふれ出て止まりません。
ここ10年くらいは、家内と3人で楽しい生活を一緒にすごしてきたので、、、
入院中に、行きつけのお店で食事やショッピングをしても、
何か重石を背負った気がして、やり切れません。

今朝も、ひょっと僕の部屋に入ってくるような気がして、現実を思い知らされています。
何でも話せる関係だったので、天国から地獄に突き落とされた気持ちです。
哀しみにも、底なしがあることをはじめて知りました。

娘は、1/末、胸が息苦しいと診察に行き、レントゲンに異常あり。
それから検査入院、2/12に結果、肺がんステージⅣ(骨と副腎に転移)と宣告され、打ちのめされました。
娘は、その場で横になり、涙で「お父さん、迷惑かけてゴメン・・・」
その優しすぎる気持ちを思うと、今でも胸がつまります。

娘は、入院する少し前、神様に祈ったら、”みんなのために生きるんだよ。みんなに生かされているということが、素直に感じられる”と言って、その週の3/7に、私たちの教会で洗礼を受けました。
病床でも、聖歌でひとつの救いを得ていたようです。
2/12の宣告からの1ヶ月半は、放射線と抗がん剤の治療、その後の副作用(嘔吐、白血球の低下、血小板の減少など)、最後の1週間は進行したがん(というより抗がん剤の副作用でしょう)の症状が日替わりで出てくる感じでした。その間、がんの勉強、病院・治療法の調査、セカンドオピニオンなど、追われるような毎日でした。



娘は、モルヒネの調整がうまく行かず、身の置き所がないように苦しんだ夜も、最後まで生きる望みを捨てませんでした。
きっと、今までの普通の生活がしたいという思いだけで、、、。
あっという間に、天国に召された娘に、
短かったけど、楽しい思い出をいっぱい残してくれてありがとう、と聞かせたい気持ちです。

これから、今の絶望を新しい希望につなげていかなければなりませんが、家内と一緒に新しく出直したいと願っています。

これからもどうぞよろしくお願いします。



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お悔やみ (僕酔伝)
2009-05-19 22:08:13
松田様、奥様

お嬢様の急ぎすぎるご逝去の報に、心底お悔やみ申し上げます。
選ぶ言葉もありません。

ちょくちょくブログには立ち寄ってましたが、更新が無いのできっと忙しく飛び回っている事だと思ってました

March 10, 2009 23:11:21これは松田さんから私のブログにコメントを貰った時間です。この時も娘さんと家族とで、運命と必死に戦っていたのですね。
奥様は延岡出身(脇坂先輩のご親戚)お嬢さんは女房の後輩ということで、お会いしたことは有りませんでしたが、松田一家は私の気持ちの中では、非常に近いご家族で、今日ブログにアクセスて、指先が震えました。

今私からは、何の言葉も浮かびません。ご家族の愛に囲まれながら別の世界に飛び立ったお嬢さん。色々こと聞かせて下さい。

人と話が出来るようになったら是非メール下さい。

羽澄

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