今日のころころこころ

2014・10・2 おばさんの道 かながわの古道50選・関白道の一夜城跡付近

透頂香が終っちまった・・・行きますか小田原。

かながわの古道50選・関白道の一夜城跡付近。

この道は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの頃から利用されていた道といわれています。豊臣秀吉は、陸海15万の兵力をもって後北条氏の小田原城を取り囲みました。また、一年を超す長期戦も覚悟し、石垣山に天守閣を持つ半永久的な城を築き、上方から家族や女性を呼び寄せました。木立に隠して城の工事を進め、完成と同時に前面の木立を伐り倒し小田原城から見えるように工夫しました。この城は『一夜城』と呼ばれ、和戦評定を決めかねていた小田原方に降伏の意志を決めさせたといわれています。
ふむふむ( ..)φ

JR東海道線・早川駅下車。

お天気があやしいな(T_T)
ま。歩き出す。方向音痴であるが、かながわめいぼく100選・早川のビランジュ様をたずねた時の記憶あるから大丈夫。
駅前の信号を左。

バス停のところで、線路をくぐる。とりあえず、JAかながわ西湘早川選果場を目指す。

大丈夫でした。ちゃんと案内があった。

そこの分岐は右ね。

ンギャ!出た。巨大観音様。

大船もそうだけど、こういうの建てる方々のセンスよくわからないよなぁ(?_?)なぁおまえ(?_?)

ま。歩く。

新幹線をくぐる。

下に選果場が見えた。

その先は真っすぐね。

ぐんぐん登る。

今は農閑期。たまに軽トラが通り過ぎる以外に人っ子一人いない。ビランジュ様への道を一緒にさがしてくださった隊長様はどうしておられるかな?
関白秀吉といえば派手なイメージで、関白道というからにはどんな道かと思ったが、派手な秀吉ではなく、地味に緻密に、だけど大胆に出世街道を駆け上がる藤吉郎道、なのかもしれない。

真っすぐに進む。

ちょっとカーブ。

そこから、農道兼観光道に合流。

関白道改修記念の碑があった。

ここが、終点。
せっかくここまで登ってきたのだから、一夜城に寄っていこう。

歩いている人は皆無だったのに駐車場にはたくさん車があると思ったら、どうやら産直の品々やらレストランがあるようだ。今は鉄の馬車でドライブコースということかな。
ん?石だ。

そうか。そりゃそうだ。たくさんの職人さんたちがいなければ城なんてできない。
そういえば、道中は小田原庭園業組合さんの見本市になっていたな(^^)匠たちのご子孫かな(^^)

城跡に登ろう。

道もまっすぐだったのだから、登城もまっすぐなんだろうと思う。

城の規模がわからないから、あえて回る。

なんと大規模だったのだろうか。
お恥ずかしいが、初めて秀吉の一夜城と聞いた時には、はりぼてのお城だと思っていた。小田原城のボランティアガイドさんから大笑いされてしまった。それでも、山城に毛が生えた程度だろうと思っていた。こんなにすごかったんだ。

なんでだったんだろう?後北条氏のバックにはどんな勢力があったのだろうか?最悪でもここからは一歩も引かないぞという意思表示だ。
ま。下りよう。

関白道を引き返す。

早川港に降りる。

秀吉は、この港から荷揚げしたんだろうな。

坂道は険しいが、悪くはないよな。
西海子小路からういろうさんへ向かう。

ついでに、伊藤博文翁に御挨拶。

ついでに、正恩寺様に寄る。このお寺様、好きなんです♡なぜだかこころ安らぐ。

透頂香買って、喫茶室でひと休み。

美味しいなぁ♡♡♡
小田原城を通りぬけて駅まで。
発掘・復元は順調に進んでいる。

今の鉄筋コンクリ小田原城は、後北条氏の小田原城とは違うようだ。
この現場がそうだったとすれば、戦というより統治の城だったということだ。小田原評定と後世に馬鹿にされるが、こうだったとすれば、秀吉がそこまでしたのも納得がいく。確かに、ある意味手強い。

コメント一覧

うさぎ
iinaさまこんにちは〜(^^)/
雨はいかがですか?
だいぶ前のブログにお越しいただきありがとうございますm(__)m
サムネイルかバカでかい画像しか貼れない頃のブログで、お手数おかけいたしましたm(__)m
一夜城、ほんとに規模が大きくて驚きました!
つーか・・・
あれでほんとに小田原は気がつかなかったのかなぁ???
資材はどこから運んだのでしょうか??
陸路からこっそりとだったのかな?
真下の早川港からだと大量に効率良く運べるけど、早川港のすぐ先は西海子小路で小田原の城のすぐ横です??
それともそこにある石とか木??
そこにある石とか木だったとしても、人が集まれば食事が必要になるし??
謎だらけです!!!
もののはじめのiina
一夜城
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/815fa0b2ee59cfc75bd5cf8584b7d8a0
小田原の一夜城は、思いのほか規模が大きかったです。
即席で造った割りに、堂々とした石垣でした。

そして、たしかに此処から小田原城が見えました。



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