東京に残る高低几号標。
小雨降る洲崎神社さまへ。
東京メトロ東西線・木場駅下車。
曲がれば幽かに江戸風情。
洲崎神社さまは、徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院の守り神として江戸城内紅葉山に創立された弁天社が元禄13年にここにこられたという。
境内の一角に津波の記憶の碑。
文字の判読ができない碑は波除碑というのか。
寛政3年(1791年)に深川洲崎一帯は高潮に襲われ多数の死者行方不明者が出た。幕府は洲崎弁天社から西方一帯を買い上げ空き地とし、空き地の両端の北側に波除碑を建立したという。
ー葛飾郡永代浦築地此所寛政三年波あれの時家流れ人死するもの少なからす此後高なみの変はかりかたく流死の難なしといふへからす是によりて西は入船町東は吉祥寺前に至るまて凡長二百八十五間余の所家屋とり払ひあき地になしをかる々もの也寛政甲寅十二月日ー
ほう・・・
その後も関東大震災と第二次世界大戦。
高低几号標は波除碑の裏側の下。
塀ぎりぎりに碑が建つから見るのは大変だけどありました。
この高低几号標が波除碑に刻まれた頃の洲崎神社さまの前は海。
裏手は木場。文字通りの木場があった。
波除碑の後ろの塀は無かったんだろうな。