Hi! みんな大変ごぶさた~。ベランダから金木犀のほのかな香りが漂ってくる。台風までの爽やかな一日。イイネ!!さあ、今日からまた一緒にぶらりしよう!今日は杉並区にある大宮八幡宮の秋祭りをレポートするよ。ご存知ない方のために地図を貼っておくね。
京王井之頭線永福町駅から徒歩10分。永福町駅は2011年に駅舎の橋上化が完了、バリアフリー対応駅となった。改札前コンコースには、永福に在住していた彫刻家 佐藤忠良の彫刻「冬の像」が展示されている。北海道の染織工芸「優佳良(ユーカラ)織」のマントを着た女性の立像で、モデルは弟子の彫刻家 笹戸千津子。杉並区が購入、京王線の協力を得て展示している。彫刻の後ろには佐藤忠良について、もう1枚は昭和35年頃の駅写真と周辺に住んだ芸術家、文化人について解説されたパネルがある。洋画家中川一政の随筆「永福町雑記」に記された開業当時の様子が引用されている。(ウィキペディア)
改札前に置かれた彫像
像の左手に
像の右手に
教えられたとおり駅前の商店街を歩く。庶民的で落ち着いたな街並み、人々もとても穏やかで優しい感じ。でも商店街を行くのは遠回りだった。バスも沢山通る。駅前を斜めに突っ切って住宅街を抜ける方が全然早いし安全。やっと着いた。立派な神社だ。
沢山の露店が見える。賑わってるね~。早速行って見ようか。
その前に、大宮八幡宮について調べてみたよ。ちょこっと知識入れとこうね。
御祭神は 応神天皇(第15代天皇)
仲哀天皇(応神天皇の父君)
神功皇后(応神天皇の母君)
境内社は
大宮天満宮
大宮稲荷神社 三宝荒神社
若宮八幡宮 御嶽榛名神社 白幡宮
多摩清水社
なかなか歴史のある立派な神社のようだね。
第70代後冷泉天皇の天喜年中(1053~57)に奥州に乱(前九年の役)が起きた。乱を鎮めよとの勅令を受けた鎮守府将軍源頼義公の軍がこの地にさしかかると、大空に白雲が八条にたなびき、あたかも源氏の白旗が翻るような光景となった。頼義公は武運を祈り出陣した。その後源頼義公は奥州を平定し、康平6(1063)年、京都の岩清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てた。また、その子八幡太郎義家公も後三年の役の後、当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられている。
かつて、武蔵野国三大宮の一つで「多摩の大宮」あるいは「武蔵野国八幡一之宮」と称された。(ちなみにkinoppyの調べた所では、埼玉市の氷川神社、秩父市の秩父神社、そしてこの大宮八幡宮のようだ。あと行ってないのは氷川神社だけだな。)昭和44年には境内北端に続く旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、太古からの聖域であったことが判明している。(大宮八幡宮HPより)
お待たせ。さあ、お祭り気分に浸って来ようヨ。イェイ!
定番の金魚すくい、金魚の数が多い!すぐ採れそうな気がするけど・・。やめとこう。
懐かしい射的、男の子なら、喜びそうね。
チョコバナナ
数えきれないほどの露店、こうやって全国を巡っているのかな?それにしても、なんて緑の多い神社だろう。樹木や竹藪がそこここに。神社裏は善福寺川沿いに樹木に囲まれた和田濠公園だ。
一の鳥居、二の鳥居を抜けて、仲門に到着。この奥に拝殿と本殿がある。
天皇をご祭神とするだけあって、至る所に菊の御紋。門柱には明治天皇と昭憲皇太后の御歌が・・。
拝殿には次々とお参りに来る人々が長蛇の列。まずは境内を散歩して来よう。
拝殿を右横から撮ってみた。境内には至る所に手描きの提灯?が飾られていて明るい。祝天皇陛下御在位30年と書いてある。
左手に進むとここは若宮神社
その先には御神輿庫、氏子区域内のお神輿32基がおいてあるそうだ。圧巻!建物前方には源頼義公と八幡太郎義家公が手植えしたと伝えられる松の木の子孫。享保年間には新井白石が「大宮の松の如くに長大に見事なるものにて、しかも数多きは見及ばぬ事」と感嘆したんだそうな。
折角なのでお神輿を撮らせてもらった。自由に入れて、ちょっとびっくり?今度はお神輿が練り歩いている時に来てみたいな。お神輿の由来が書いてある。「子供神輿は大正の平和博覧会に出品されたものであり、大神輿は同型のものを大正末期に造った。製作者は八丁堀の名神輿師 秋山三五郎氏、三代目秋山三五郎氏によると、現在では到底製作できぬ文化財的なものだそうだ。神輿は大宮八幡宮900年祭より神輿庫に常置している。」とある。へぇ~、ビックリ。
本殿の方に戻ってみると、アレッ、なにやら、神主さん達に動きが??kinoppyは急いで駆け寄り、パチリパチり。
安産祈願のご祈祷かな?
ご祈祷終了~。みんな一斉に歩きはじめた。どうやら本殿に向かっているようだ。kinoppyも大急ぎで、着いて行った。
拝殿。大宮八幡宮はとても開けた神社だ。こんなにkinoppyがウロウロしても誰も何も言わない。みんなが神事を自由に楽しそうに見守っている。境内に飾られた提灯などを見ると、それぞれ手描きで、子供の作品も多い。皆が喜んで積極的にお祭りや行事に参加している様子が見てとれる。日頃からの神社と氏子さん達のオープンで明るいお付き合いが感じられる。素晴らしい
ひょいと上を見上げると、ちょうどお賽銭箱の上あたり、素晴らしい照明が並んでいる。この神社では至る所に奉納者の名前が記されている。どこの神社でもそうなのかも。でも、ここでは目に入りやすい、と感じた。
左
真中(これには記名がない。菊の御紋だからか?)
右
左角を曲って拝殿左横に行ってみると、神主さん達はここから入ったらしい。発見!こんな靴をはいているんだ、へぇ~。とっても面白い。
北神門(赤門)を出て、外から撮ってみた。拝殿から見ると右側の門だね。神輿庫とは反対側。こちら側には神社の弓道場振武殿がある。更に進むと和田濠公園。
大きな弓を抱えて、本殿に向かってお辞儀をする人を沢山見た。こんな活動も街の人々との絆となっているとkinoppyは思うな。
可愛い絵模様の提灯?
だるまみくじ、カワイイ、kinoppyはその前に根付を買ってしまった。
こうして、今振り返って見ても、緑が多くて、清々しいステキな神社だった。
次は「15夜の神遊び」に来るよ。だから、みんな、それまで楽しみにしててネ!
京王井之頭線永福町駅から徒歩10分。永福町駅は2011年に駅舎の橋上化が完了、バリアフリー対応駅となった。改札前コンコースには、永福に在住していた彫刻家 佐藤忠良の彫刻「冬の像」が展示されている。北海道の染織工芸「優佳良(ユーカラ)織」のマントを着た女性の立像で、モデルは弟子の彫刻家 笹戸千津子。杉並区が購入、京王線の協力を得て展示している。彫刻の後ろには佐藤忠良について、もう1枚は昭和35年頃の駅写真と周辺に住んだ芸術家、文化人について解説されたパネルがある。洋画家中川一政の随筆「永福町雑記」に記された開業当時の様子が引用されている。(ウィキペディア)
改札前に置かれた彫像
像の左手に
像の右手に
教えられたとおり駅前の商店街を歩く。庶民的で落ち着いたな街並み、人々もとても穏やかで優しい感じ。でも商店街を行くのは遠回りだった。バスも沢山通る。駅前を斜めに突っ切って住宅街を抜ける方が全然早いし安全。やっと着いた。立派な神社だ。
沢山の露店が見える。賑わってるね~。早速行って見ようか。
その前に、大宮八幡宮について調べてみたよ。ちょこっと知識入れとこうね。
御祭神は 応神天皇(第15代天皇)
仲哀天皇(応神天皇の父君)
神功皇后(応神天皇の母君)
境内社は
大宮天満宮
大宮稲荷神社 三宝荒神社
若宮八幡宮 御嶽榛名神社 白幡宮
多摩清水社
なかなか歴史のある立派な神社のようだね。
第70代後冷泉天皇の天喜年中(1053~57)に奥州に乱(前九年の役)が起きた。乱を鎮めよとの勅令を受けた鎮守府将軍源頼義公の軍がこの地にさしかかると、大空に白雲が八条にたなびき、あたかも源氏の白旗が翻るような光景となった。頼義公は武運を祈り出陣した。その後源頼義公は奥州を平定し、康平6(1063)年、京都の岩清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てた。また、その子八幡太郎義家公も後三年の役の後、当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられている。
かつて、武蔵野国三大宮の一つで「多摩の大宮」あるいは「武蔵野国八幡一之宮」と称された。(ちなみにkinoppyの調べた所では、埼玉市の氷川神社、秩父市の秩父神社、そしてこの大宮八幡宮のようだ。あと行ってないのは氷川神社だけだな。)昭和44年には境内北端に続く旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、太古からの聖域であったことが判明している。(大宮八幡宮HPより)
お待たせ。さあ、お祭り気分に浸って来ようヨ。イェイ!
定番の金魚すくい、金魚の数が多い!すぐ採れそうな気がするけど・・。やめとこう。
懐かしい射的、男の子なら、喜びそうね。
チョコバナナ
数えきれないほどの露店、こうやって全国を巡っているのかな?それにしても、なんて緑の多い神社だろう。樹木や竹藪がそこここに。神社裏は善福寺川沿いに樹木に囲まれた和田濠公園だ。
一の鳥居、二の鳥居を抜けて、仲門に到着。この奥に拝殿と本殿がある。
天皇をご祭神とするだけあって、至る所に菊の御紋。門柱には明治天皇と昭憲皇太后の御歌が・・。
拝殿には次々とお参りに来る人々が長蛇の列。まずは境内を散歩して来よう。
拝殿を右横から撮ってみた。境内には至る所に手描きの提灯?が飾られていて明るい。祝天皇陛下御在位30年と書いてある。
左手に進むとここは若宮神社
その先には御神輿庫、氏子区域内のお神輿32基がおいてあるそうだ。圧巻!建物前方には源頼義公と八幡太郎義家公が手植えしたと伝えられる松の木の子孫。享保年間には新井白石が「大宮の松の如くに長大に見事なるものにて、しかも数多きは見及ばぬ事」と感嘆したんだそうな。
折角なのでお神輿を撮らせてもらった。自由に入れて、ちょっとびっくり?今度はお神輿が練り歩いている時に来てみたいな。お神輿の由来が書いてある。「子供神輿は大正の平和博覧会に出品されたものであり、大神輿は同型のものを大正末期に造った。製作者は八丁堀の名神輿師 秋山三五郎氏、三代目秋山三五郎氏によると、現在では到底製作できぬ文化財的なものだそうだ。神輿は大宮八幡宮900年祭より神輿庫に常置している。」とある。へぇ~、ビックリ。
本殿の方に戻ってみると、アレッ、なにやら、神主さん達に動きが??kinoppyは急いで駆け寄り、パチリパチり。
安産祈願のご祈祷かな?
ご祈祷終了~。みんな一斉に歩きはじめた。どうやら本殿に向かっているようだ。kinoppyも大急ぎで、着いて行った。
拝殿。大宮八幡宮はとても開けた神社だ。こんなにkinoppyがウロウロしても誰も何も言わない。みんなが神事を自由に楽しそうに見守っている。境内に飾られた提灯などを見ると、それぞれ手描きで、子供の作品も多い。皆が喜んで積極的にお祭りや行事に参加している様子が見てとれる。日頃からの神社と氏子さん達のオープンで明るいお付き合いが感じられる。素晴らしい
ひょいと上を見上げると、ちょうどお賽銭箱の上あたり、素晴らしい照明が並んでいる。この神社では至る所に奉納者の名前が記されている。どこの神社でもそうなのかも。でも、ここでは目に入りやすい、と感じた。
左
真中(これには記名がない。菊の御紋だからか?)
右
左角を曲って拝殿左横に行ってみると、神主さん達はここから入ったらしい。発見!こんな靴をはいているんだ、へぇ~。とっても面白い。
北神門(赤門)を出て、外から撮ってみた。拝殿から見ると右側の門だね。神輿庫とは反対側。こちら側には神社の弓道場振武殿がある。更に進むと和田濠公園。
大きな弓を抱えて、本殿に向かってお辞儀をする人を沢山見た。こんな活動も街の人々との絆となっているとkinoppyは思うな。
可愛い絵模様の提灯?
だるまみくじ、カワイイ、kinoppyはその前に根付を買ってしまった。
こうして、今振り返って見ても、緑が多くて、清々しいステキな神社だった。
次は「15夜の神遊び」に来るよ。だから、みんな、それまで楽しみにしててネ!
happyさんには都内なんてお庭のようなものですね。でも、最近では色々新しい建築物などができnていて、見物するには楽しいですよ。オリンピックもありますし。kinoppyには今の所時間がなくて以前のようにウロウロできませんが
また頑張って楽しめるように、心のゆとりが持てるように工夫したいと思います。応援してね。
車で新宿方面に行くには大宮八幡宮の前を方南通りへと・・・大きな神宮があるとは思いましたが、こんなに奥深いとは思いませんでした。東京は意外と神社仏閣が多く、緑が多いのです。この頃はテレビなどで放映されると、古いものと新しいものが入交り、東京だけで観光が出来そうです。
早いですね~。お気づきになりましたか?佐藤忠良さんの彫刻。鬼城さんのためにあれだけのスペースをさいた、と言っても過言ではありません(笑)夕方から大急ぎで周って、帰りは大雨に降られました。間一髪で駅に到着。ほっとする間もなく昨日は台風。今回の風は怖かったです。夜11時~1時半までものすごい風。4Fなのになおさらかもしれませんが、かなり広めのベランダで室内は奥まっているにも関わらず防音硝子戸がガタガタ言ってました。1時過ぎに少し収まったので眠ってしまいましたが・・。(笑)15号が来てるらしい。もう来ないで!!次回24日に行われた神遊びです。見てね