1年の時から、県大会に行っていたので
正直・・半分行ったつもりでいました。
実家の母を連れて、ミニタの演奏を聴きに゛文化会館゛へ。
二階の席に行くと、三年のお母さんたちが居ました。
13時に演奏開始。
初めは、課題曲。これはなんとなく無難にこなせた感じ?
次は自由曲。
いよいよミニタのソロです。
失敗しないか、緊張で・・となりのEさんはなんだかくすくす泣いてるの。。
ミニタのソロは・・成功でした。失敗も無く・・と、思いました。
ただ、自由曲のラストのスピードが速くなるところが、
なんだかバラけていてまとまりが無く聞こえ・・
「これはやばいかな」って思いました。
次の次のM中学校は、うちの自由曲と全く同じ曲で
そこのソロのコがクラリネットを吹いたとき、
『うちのミニタの方が上だな』と、本当に思いました。
だけど、まとまりはそっちの学校の方があったので
全部の学校が終わったとき、ぎりぎりあたりの予感がしました。
そして、結果発表。
全校の吹奏楽の部長、副部長が壇上に上がりました。
賞状を読み上げる先生の前に行って、初めて「賞」が判ります。
わが校は「銀賞」でした。
銀賞は5校居たので、金賞はもれなく゛県大会゛に行けますが
銀賞は3校が行けます。
そして・・・M校が呼ばれたのに、我が校は呼ばれませんでした。
壇上のミニタが泣き始めたのがよーく判りました。
私も見ていたら、涙が出ました。
ピアノをやっていたわけでも無く、我が家には無関係の音楽。
本当に楽器が出来るのか心配でした。
「お母さん、ミニタ・・楽譜が読めないのに今気がついた」
なんともノー天気なのにびっくりした、一言。
それでも毎日毎日、泣き言ひとつ言わずに頑張ってました。
1年のうちからもっと真剣に聞きに来てあげれば良かったと、今頃思います。
最後に楽器の積み込みの時、団子虫の様丸くなり3年生が真っ赤な顔して
泣いていました。
一生懸命やっても、報われないこともある。
そんな勉強をした、ミニタの夏でした。
正直・・半分行ったつもりでいました。
実家の母を連れて、ミニタの演奏を聴きに゛文化会館゛へ。
二階の席に行くと、三年のお母さんたちが居ました。
13時に演奏開始。
初めは、課題曲。これはなんとなく無難にこなせた感じ?
次は自由曲。
いよいよミニタのソロです。
失敗しないか、緊張で・・となりのEさんはなんだかくすくす泣いてるの。。
ミニタのソロは・・成功でした。失敗も無く・・と、思いました。
ただ、自由曲のラストのスピードが速くなるところが、
なんだかバラけていてまとまりが無く聞こえ・・
「これはやばいかな」って思いました。
次の次のM中学校は、うちの自由曲と全く同じ曲で
そこのソロのコがクラリネットを吹いたとき、
『うちのミニタの方が上だな』と、本当に思いました。
だけど、まとまりはそっちの学校の方があったので
全部の学校が終わったとき、ぎりぎりあたりの予感がしました。
そして、結果発表。
全校の吹奏楽の部長、副部長が壇上に上がりました。
賞状を読み上げる先生の前に行って、初めて「賞」が判ります。
わが校は「銀賞」でした。
銀賞は5校居たので、金賞はもれなく゛県大会゛に行けますが
銀賞は3校が行けます。
そして・・・M校が呼ばれたのに、我が校は呼ばれませんでした。
壇上のミニタが泣き始めたのがよーく判りました。
私も見ていたら、涙が出ました。
ピアノをやっていたわけでも無く、我が家には無関係の音楽。
本当に楽器が出来るのか心配でした。
「お母さん、ミニタ・・楽譜が読めないのに今気がついた」
なんともノー天気なのにびっくりした、一言。
それでも毎日毎日、泣き言ひとつ言わずに頑張ってました。
1年のうちからもっと真剣に聞きに来てあげれば良かったと、今頃思います。
最後に楽器の積み込みの時、団子虫の様丸くなり3年生が真っ赤な顔して
泣いていました。
一生懸命やっても、報われないこともある。
そんな勉強をした、ミニタの夏でした。
本当にあれこれ忙しそうで、
夏バテしないように
気をつけてね。
いつも来てるけど
ちゃんと読んでるけど
ちょっと 遠慮してました。
後になってあの時はよく動けたなぁって
いい思い出になると思いますよ
コンクールは私にとって少し息抜きになりました。
後で点数をつけて下さった先生がミニタの演奏を
「素敵なソロでした。どなたかに習っていられる
のですか?」
だって。
クラリネットだって学校のを借りているのにね。
でも、そんな感想を頂いて余計に悲しかった
みたいです。
私も疲れていて、どこでもすぐ寝られます。
目をつぶれば、すぐ大いびきです。。
お恥ずかしい・・